雑文の掃き溜めで継ぎ接いだ世界から

創作小説「SEPTEM LAPIS HISTORIA」「ナイツロード 外伝」の連載、たまにイラストを投稿します。よろしくお願いします

SEPTEM LAPIS HISTORIA 024- ゾイロス・イクシオン

「この歓声は……何?」
『忘れてるかもしれないけど、本来バトルっていうのはスポーツであり、パフォーマンスであり、ショーだもんな』
『そしてこの惑星でも有数の人気を誇る……でしょう?』
「シエリアさん皮肉たっぷりですよ」

 一行は既に、街中の適当な空き地に移動していた。適当な間合いを取り、ジノグライとゾイロスと名乗った男が相対する。
 白と黒。赤と青。焔と雷。
 それを取り巻くように、円状にノックスの住人達が歓声と雄叫びをあげる。にわかに活気づいた空き地の中で、ジノグライはちらりと顔を顰めた。
「……やりにくいな」
「案外楽しそうですよ?」
「フン」
 そう鼻を鳴らしたジノグライの顔は、一旦顰められた途端、むしろ歪んだ笑顔を浮かべていた。獲物を見つけた猛禽のように、ギラリと輝く目をしている。しかし目の前の、ジノグライより背が高いゾイロスと名乗った青年は、表情が変わる気配を見せなかった。微笑したままで、相手をじっくりと見定めている。丁寧なようで、どこか不気味だった。「目は口ほどにものを言う」なる格言こそあれど、彼の糸のような目からそれを判断するのは非常に難しい。
「さて、ジノグライさん」
「なんだ」
「ここでルールを定めましょう、あなたは意識を回復して間もない、それにどうやらあなた、魔術の心得が無いらしいですね?」
「!」
 今度は驚愕の眼差しがゾイロスを貫いた。どこの馬の骨とも知れぬ輩にそんな事情を見透かされるのは不快ですらあった。
「ですから私は……」懐に手を突っ込んだ。「ハンデを与えたいと思います」
 出てきたのは拳銃だった。
 拳銃と言えばそのとおりだが、そこはかとなくサイバーな雰囲気を漂わせている。要するに、ビームを撃つことすらできそうな拳銃だった。
「これは私の武器……一見拳銃のようですがビームも撃てますし、このように――」
 耳に痛い音が飛び込む。ゾイロスは目の前の地面に銃を向け、引鉄を引いた。凄まじい銃声と共に前方に飛んだのは本物の弾丸だった。空薬莢が排出される。
「――実弾も撃てるのです……本来ならジャッジの結界がかかった中で、有効な手立てとなるはずでしたが……残念なことです」
 そのサイバーな拳銃に安全装置をかけ、ゾイロスは何処からともなく現れた細い鎖で雁字搦めにこれを縛り付けたのち、もう一度懐にしまった。
「さて……物理的に武器を封じ、ついでに少々私自身も重たくなりました……これなら良い戦いが出来そうです……が」
 まだ何かあるかのようにゾイロスが聞き入っていた聴衆に話しかけた。
「どなたか……このオーディエンスと我々を隔てるようにバリアを張ってくれる方はいませんか?」
 改めて聞けば、割とよく通る声でゾイロスは頼んだ。
「彼も私も……きっと光線を主に使うはずです……観戦は許すので是非……」
 なぜ光線を主に使うことがばれているのか、ジノグライは気になった。ところが自分の両腕をちらと見たとき、苦い顔を隠しきれなかった。
 つまり義手を背負っていると言うことは、強さを相手に対しばらしてしまうことにも繋がるのだ。そのことに今更気づいて、ジノグライは渋い顔をする。そんなことにも頓着せず、ゾイロスは観衆のひとりに依頼してバリアを張ってもらう。透き通った球体のシャボン玉のような膜が観衆と二人を隔てるように構築されていく。完全な球体が作られると、その瞬間に霞の如くバリアが空間に溶けこんでいった。
「さて……」
 ゾイロスが短く詠唱する。もはや見覚えのある薄桃色の線が空間を奔った。
「……」
 ジノグライは小さく歯噛みした。
 ジャッジ。
 パフォーマンスとしてのバトルをする上で有用な結界。
 敗者の治癒を約束する結界。
 そして、魔力の裏返し。
「……」
「合図はあなたからどうぞ」
「……俺が手を打つ、その時だ」
「いいでしょう」
 沈黙。
 手を打った。
 青い火花が散る。

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 それが合図だった。
 ジノグライが猛ダッシュをかける。そして帯電した義手が唸りを上げてゾイロスの腹に吸い込まれた。
 かのように見えたが、
「!」
 驚愕が映される。
 そこにいたはずのゾイロスはいなかった。
「こっちですよ」
「な……」
 そしてジノグライは思う。
「俺と同等の速さ……?」
「さぁどうでしょうね」
 後頭部に重い衝撃が弾ける。どうやら殴られたらしい。
「ぐっ……!」
 振り返る。後ずさりながらも電撃を放った。何発かゾイロスの腕に当たったらしく少し後退する。
 すると一気にゾイロスは屈み、屈んだ途端赤い煙が奔ったように見えた。そのまま一気に加速し、勢いにのった蹴りを繰り出した。
 蹴りはジノグライの腹を一薙ぎし、彼を背面跳びのような格好で吹き飛ばす。地面に手をつき、転がり、再び素早く立ち上がる。一定の距離を保ったまま、再び一挙に青い電撃を遮二無二撃ちまくる。
「ふむ」
 すると鞭のような赤い赤い熱の帯がゾイロスの両腕から伸びだした。バリアを張らない代わりにそれらを振るう。振るう。
 たちまち青の軌道は砕け散る。さらに突然その帯を地に叩きつけた。
 今度は少しだけ熱を失った帯が砕け散る。それらが粉々になり、まるで火山弾のように熱を帯びて前方のジノグライに襲い掛かった。ジノグライがこれを横っ飛びでかわす。転がる。砕けた帯が重力に引かれて地に落ち転がった。
 それに気をとられそうになったが、熱と唸りに危険を感じたジノグライが前方に注意を注ぐと、ゾイロスが地面に手をついてそこから円状に炎の輪を広げていた。すぐにジノグライのもとに炎の領域が広がる。前方に思い切り跳躍し、彼はゾイロスを上から踏みつけにかかる。
「でぇい!」
「おや」
 腕を曲げ衝撃に備える。果たしてジノグライの脚はその狭い領域を確実に捉えていた。腕を下方向に振るった。ジノグライの身体が地面に吸い寄せられる。土埃が舞い上がるのも厭わず、受身をとった。衝撃が逃がされる。ファイティングポーズを続けてとった。帯が飛ばずに言葉が飛ぶ。
「良い身のこなしです」
「そいつは良かった」
「なかなかやりますね」
「こっちの台詞だ」
 ジノグライは静かに昂ぶっていた。言葉は要らない。すぐさま戦いに身を投じたかった。
「ふんっ!」
 今度は空間を切り裂くように腕を動かした。青い軌道が飛び散る。ゾイロスは軽々とした身のこなしでこれを避けた。避けられたレーザーは見えない壁に阻まれる。観衆の驚愕の悲鳴が上がるがそれに構ってはいられなかった。
 今度はゾイロスが攻撃に転じる。赤い光線がてんでばらばらに飛び散り、ジノグライの逃げ場をなくしていく。当てるつもりはさらさらないようだったが、ジノグライの動ける範囲が狭まっていく。
 これを横たわるように転がって避け、ついでに前にいるゾイロスとの距離を縮める。そのまま走り出し、更に距離を縮めていく。
 そのまま今度は手刀を振りかざし、ゾイロスに迫る。しかしながらゾイロスはその帯電した手刀を喰らってしまう。そこにジノグライは嫌な感触を覚えた。
「……?」
 おかしい、と思った。普通ならゾイロスはこれを避けるなりするはずだが、と思った。喰らった彼の身体はそのまま転がり、その瞬間ゾイロスの身体全体からスモッグが湧き出た。
「なっ!?」
 完全に油断していた。前が見えない。前が見えなくなる前にゾイロスと目が合ったような気がした。紫の煙が周りを覆いつくす。瘴気にあてられたかのように身体がピリピリしだした。たまらずその煙を吸い込む前に、義手で払う。
 はずだった。
「あつ……!?」
 気が付いたときには、既に赤い帯が身体中に絡みついていた。少しでも腕や脚を動かそうとすると、容赦ない熱に焼き尽くされてしまう。特に義手には厚く絡み付いており、レーザーを出そうとしても熱に阻まれる。おまけに帯びの硬さを調整したらしく、物理的にも阻まれるようだった。煙が一挙に晴らされ、ゾイロスが後ろに回りこんだ。ざわざわとしたオーディエンスのざわつきがこちらにも響いてくる。
「私は何もしませんよ」
「この炎の拘束を解け!」
「それは出来ない相談ですねぇ」
「クソッ!」
「私は何もしませんよ、ですがあなたも何も出来ません」
「……」
 屈辱的だった。一瞬の隙を突かれて全ての挙動を封じられ、相手に何も出来ないという苦しみは、ゾイロスの熱よりも熱く苦しい責め苦をジノグライに与えた。
「降参するのです」
「できるかぁ!」
「あなたは何も出来ない」
「決め付けるな、俺はまだできるはずだ……!」
 ジャッジの結界の仕様を思い出す。苦しむのは一瞬だ。それよりも背後のむかつく人間に一泡吹かせてやりたかった。
 後方に向け、一気に振り返る。
「な」
 拳と共に一挙に渾身のレーザーをぶちこむ。しかしながらその拳の勢いはあまりにも弱かった。しかしながらゾイロスはレーザーを胸にまともに喰らった。後方へと倒れる。
 ふとチカチカする視界で目の前の黒い人間を見つめる。彼を覆っていた赤い帯は解れ、地面に吸い込まれるように消えていく。ゾイロスは立ち上がった。上着が砂埃にまみれ、レーザーの熱で焼かれても、それでも立ち上がった。
 対してジノグライの身体はその動きを止め、解れた帯と共にくず折れた。義手が焦げ、腕も腹もジャケットも脚も煙を上げていた。顔も酷い火傷を負い、すぐに地面に倒れ見えなくなった。凄まじい熱がジノグライの全身を焼き、彼の意思を奪っていく。
 挑戦者が勝利を収めた。
 大きな歓声がどっと沸きでる。ゾイロスはそれを手を上げて制したが、無謀で潔い挑戦者の耳には既に届いていないようだった。


「……」
「……ジノ」
「呼ぶな」
「ジノグライ……」
「呼ぶな」
「何か……ごめんなさいね」
「ケッ」
 幾ばくかの憎しみをこめて、ジノグライはホットケーキに勢いよくフォークを突き刺した。
『すみませんねぇこんな奴で』
「はいはい」
 ゾイロスはニコニコ顔を崩さない。
 二人の傷は完全に癒え、観衆も三々五々去っていった。あとには記憶だけが残ったが、ジノグライは目の前の青年に猛烈に腹を立てていた。
 一行は喫茶店に来ていた。砂埃が舞う中、テラス席にわざわざ陣取っているのはジノグライの僅かな抵抗らしい。
 ハンマーはこの店の名物らしいホットケーキを思い切り頬張り、会話が出来ない状態にすら自分を追い込んでいる。それを見てゾイロスはくすくす笑う。
「やれやれ……素晴らしい食欲ですね」
「ハンマー君さっき昼食沢山食べたのに……」
「もひゃひゃむむむまぁまもひゃひゃむみゃむめもひゅー」
『きちんと口の中のものを食べ終わってから言いなよー』
 ごくん、と喉が音を鳴らす。ハンマーはコップに注がれたお冷を飲んでから言葉を紡いだ。
「いや、ジノグライが負けるなんて珍しいなーって思ってさ……」
『やめたほうがいいよー』
 ジバの声がざらざら割り込む。
『分かりにくいですけど、明らかにヘコんでますよね……』
 わざわざ三人と一機から離れたテラス席に陣取り、食べるでもないホットケーキに何度も何度もフォークを突き刺している。ホットケーキは既にボロボロだった。ハンマーが可哀想な子を見るような目で見ている。
「それで……」イライラが収まらないジノグライの代わりにハンマーが問いかける。「イクシオンさん……」
「ゾイロスでいいですよ」
「ゾイロスさん? なぜ戦いが終わっても僕らのそばにいるんですか?」
「あー、まだ言ってませんでしたね」
 ゾイロスが肩をすくめた。その一挙手一投足にすらジノグライはイライラする。またホットケーキが原型を留めなくなっていく。
「あなた方は冒険をしているのでしょう?」
「え? あ、はい……」
「私を連れて行ってもらえませんか?」
「……は?」
「今何て言った……!?」
 たまらずジノグライが立ち上がった。テーブルの上の食器が震える。その上の飲んでもいないコーヒーに波紋が浮かぶ。
「てめぇ俺をズタボロにしやがって……顔も見たくねぇよ!」
「まぁそう怒らないでください……あなたのプライドが傷ついたことは承知してますよ」
「じゃあ何故俺たちについてこようとする……」
 噛み付かんばかりの勢いだった。ゾイロスは軽く両手を挙げて降参の姿勢をとる。
「うーん」
 ゾイロスは少しだけ困った顔をした。
「それは言えません」
「てめぇ!」
「ですが提案をします」
 人差し指を立てる。
「旅をする中で、私を倒してみたら如何ですか」
「……どういう意味だ」
「私も旅に同行します、旅をしながら、成長しながら、私を決闘で倒す機会を、リベンジの機会を窺ってみたらどうでしょう」
「……」
 ジノグライは納得したような、納得しないような、曖昧な顔を浮かべる。
「まぁ……」
 ゾイロスが付け足す。
「嫌だと言っても……ついて行きますけどね」
 はぁ、とジノグライは溜息をついた。そして無理矢理自分を納得させることにした。




*To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 023- 謎の美青年現る

 夢を見ていた。
 ……ような気がしていた。

 白い部屋が目の前に浮かぶ。ガランとして殺風景な部屋で、玄関みたいな場所だった。目の前には、黒くて硬そうな扉が嵌り込んでいる。それを開ける。
 開けた途端に、まだ意識は遠のいた。

 目を開けると、視界が緑がかって見えているようだ。数人の人間に取り囲まれているらしく、忙しないざわつきがうっすらと聞こえてきている。
 目を見開こうとしたが、どうやら睡眠剤か麻酔か何かを投与されているらしく、眠気に抗えずそのまま目を閉じてしまった。

 断片。
 試験管。
 配線。配線。配線。
 白衣。
 医療器具。
 コードの束。
 次々に浮かんでは消えていく記憶。生まれて沈む思い出。少しずつ繋ぎ合わせると、何かが見えてくるような気がした。
 だのに、もう力が入らない。
 何が起きたのかすら、思い出せない。朧気で儚い、泡となって消え失せる。
 苦しさが徐々に増していく。息ができない。
 脳に酸素が入らなくなる。意識を手放した瞬間、仄紅く光った帯のようなものが見えた気がした。


「ばはーっ!」
 大量の海水を吐き出し、いち早く海面に運転手だった男が出てきた。サングラスは吹き飛び、ヘーゼルの穏やかな目が覗く。辺りを見回し、通信機しかいない事を知ると顔が青ざめた。
「おーい! 一体どうなってんだよぉ!」
『運転手さん! 申し訳ないけど私が一番知りたいです!』
 ほとんど悲鳴に近いシエリアの声がした。横からジバの声も割り込む。
『まだ深くは沈んでないはずだ、音響装置とか無い? ソナーを使えばどの辺に沈んでるか分かるし対策とかも立てられるはず……』
『ちょっと待ってください! 何かそれっぽいものがどこかに……あったはずです……』
『何でも造るね』
『それが取り柄ですから!』
 暫し待つと、
『ありました! 今からそっちに転送します!』
 すると、男の目の前に直方体のブロックめいたものが転送され、海面に触れ、沈んでいく。
『こちら側のモニターで操作します、ひっきりなしに音波が出てるので皆がどの位置に沈んでるか分かります』
「お、おう……なんだかよく分からねぇけど……俺はどうすればいいんだい?」
『だいたいの位置を指示します、素潜りで到達できる場所のようだったらお知らせしますので皆を引き上げてください』
「あたぼうよ、俺だって基礎魔術の心得ぐらいあるさ、多少のムチャしてでも皆を引き上げる……約束しちまったんだしな」
『頼みました……あっ!』
 シエリアの注視するモニターには、音波が象った海底が映し出されていた。そこに、赤い点が二つ、三つ、増えていく。
『そこからちょっと右にハンマーさんが沈んでいます! 彼は重たいので気をつけて!』
「そんなんで怯む俺じゃねぇよ!」
 ポロシャツを脱いだ男の姿は春の海面下に消え、波紋と飛沫が飛び出す。少しずつその姿は暗くなり、不意に急速浮上したその腕にはヘルメットのかぶさった人間がいた。
『次はミリちゃんです!』
「よしきたぁ!」
 通信機から急場凌ぎに浮き輪が転送されてきた。男はそれにハンマーを乗せると、観測点に向かって再び潜っていく。再びすぐに浮かび上がってきた時には、白と黒の頭髪が見えた。
「二人は人工呼吸すれば大丈夫だろうな……」
 別に転送された浮き輪にミリを乗せ、男がぼやく。
「で、あとはあの黒いあんちゃんだろう? 何処にいる?」
『それが……』
 シエリアが言葉を詰まらせる。
『予想以上に沈むスピードが速くて、運転手さんの泳ぎでも追いつけるかどうか……』
「おい! 間に合わないとか言うつもりじゃないだろうな!」
『ここまで行くと到達点に向かって引き上げるタイプの魔術を放つしかないのでは……』
「う……そこまではカバーの範囲外だ……俺にはどうすることも……」
 周りを見回す。すると一艘のオールがついた小舟がゆるりと近寄ってきた。意識のない二人に頼れないと判断した男は泳いで小舟に近づき、通信機もそのあとを追う。
 小舟にはひとりの人間が乗っていた。ジノグライやハンマーよりも年上らしい。一見しただけでは性別の咄嗟の判断はつき難かったが、どうやら骨格からすると男のようだった。そんな中性的な顔立ちで糸目の青年だった。美しく整ったその顔のせいで、逆に胡散臭さも感じられる。
 髪は透き通った白髪で、微かに茶色がかっている。つばの広い麦藁帽子を被っていたが、うなじまでかかる長髪だった。肌寒かったのかベージュ色で長めのジャケットを膝掛けのように敷いており、手には小さめの本が握られている。彼は読書に勤しんでいたようだ。
 だが急を要する事態の前に、男は青年に懇願する。
「なぁそこの兄ちゃん! お願いだ頼みがある!」
「あぁどうも……先ほどの波は凄かったですねぇ……蔵書が少し濡れてしまいましたよ」
「いやそうじゃねぇ! 人の命が懸かっていることなんだよ!」
「……詳しく聞かせてもらえませんか」
 手短に男は青年に事情を説明した。ついでに小舟に上がりこませてもらい、通信機が指定する位置にそれとなく小舟を移動させてもらう。
「つまり……引き上げる系の魔法が私にあれば……と」
 オールの悠長なリズムに合わせて青年が言葉を紡ぐ。半ばいらいらしながら男は叫ぶ。
「その通りだ! 兄ちゃんなら魔術に詳しそうだと思ってな……」
「ふむ……」
 慇懃な口調で話す。
「……なくはないですよ」
「本当か!?」
「……ですが知ってますか? 深海は相当量の水圧がかかっています、私はお世辞にも怪力ではないのでこれを行使できるかどうか……」
「それは……」
『おお、ハンマーなら大丈夫だろう!』
 ジバが割り込むと同時に、
「……ぅう?」
『ハンマー!』
「呼びましたか……いつっ……げほ、げほっ……」
 幸いにもハンマーの意識が戻った。まだ背中の傷が治りきってないらしく、痛みに顔を顰める。
「あの黒いあんちゃんが海底に沈みそうなんだよ!」
『で、このお兄さんが引き上げてくれるらしい……でもどうやって?』
『ここですね……』
 シエリアの声が被さる。青年は膝掛け代わりにしていたジャケットを着た。男は船尾に浮き輪を括りつけた。
「つまりこの真下にその人がいる……ということで?」
「ああ、そういうことになるな」
「では……」
 麦藁帽子を取った。すると、
「お、おい……なんだそりゃあ!」
 青年の両袖の下の肌から赤いものが噴出した。それははじめ鮮血のようにも思われたが、空中でうねり、渦を巻き、まるで長い長い帯のような形をとっていく。突然その赤い赤い帯が、海面に勢いよく突き刺さった。
「なんだ!?」
 その途端、海面下の赤い輝きが消えていく。更に猛烈な勢いで煙が海面から飛び出した。
 つまり。
『これは……熱!?』
『分かりやすく言うならマグマに属するものですね……!』
「えぇ、多少趣は異なりますが……これも炎魔術の一形態です」
「なんてぇ奴だ……」
 海面下では、輝きを失った赤い帯が凄まじい速度で深海へ潜っていく。そしてそれらが義手の重みによって速く沈んでいくジノグライの動きを捉える。捉えた。
 仄赤く、触手にも見えるその帯が、ジノグライの身体に巻きついていく。それを水面にいた青年は察知した。
「今ですね」
 両袖を海面に向け、一挙に振り上げた。すると赤い帯も伸びていく。そして、次の瞬間一気に帯がぶちぶち、と千切れる。
「誰か海面に石か何かを投げてこの帯を冷却してくれませんか」
「よっしゃ!」
 ジャンプして、男が海面へ飛び込んだ。帯が水に塗れ煙が立ち、冷却されていく。
「ヘルメットの人、この帯を思い切り……引っ張り上げてください」
「?」
「怪力なのでしょう?」
「えぇ、あ、ああ……分かりました……」
 思わず敬語になりながらハンマーが応える。小舟をさらに海面からそそり立つ複数の帯に近づけてもらい、帯に手をかける。脆そうだったが、意外にがっしりとしていた。冷却されたばかりの帯は未だに熱く、一度持つのを躊躇しかけた。だがもう一度、一気に掴み、引き上げる。
「なるほど……やりますね」
 青年の感嘆をよそに、ハンマーは少しずつ帯を持ち上げていく。引き上げていくにしたがって、海水に長く浸かっていた帯は少しずつ冷えていった。枝分かれし絡まりあいながら、無限に続いていくような帯を引き上げていく。すると唐突にその終端に辿り着いた。
「ジノグライ!」
 意識を失くし、半分死にかけていたジノグライが海面に戻ってきた。ゆりかごの様に絡まった黒い帯が、彼の身体を支えていた。
『急いで心臓を圧迫して! ミリちゃんも同様に! 早くしないと意識が……』
 シエリアの声が通信機から響く。
「……」
 そんな中でも青年は、絡まりあった帯の隙間から覗く義手を見ていたままだった。

「た、助かりました……」
「思いがけずお世話になっちまったなぁ」
「いやいや……あなたが言ってくれなければ分からなかったことですから」
「そ、そうかい、ならいいんだ……タハハ」
 照れながら男は頭をかいた。昼間の日の光が水面を照らしていく。ミリとジノグライの意識も無事に戻った。
「……」
 ミリが謝ったのに比べて、ジノグライは未だに素っ気無かった。しかし不意にその口が開く。
「お前」
「……私です、か?」
 指を差しながら青年が応える。
「何でしょう?」
「……お前は何者なんだ?」
「何者……とか言われちゃあ何も答えられませんよ、定義が曖昧なんですから……」
 含み笑いをしながら言葉を返した。
「何か質問があるなら岸に着いてからでも遅くは無いと思いますよ?」
 青年が人差し指で示した先には、既にノックスの街に通じる港が見え始めた。
「運がよかったですね、私はここから程近い海域を小舟に乗りながら読書としゃれ込むことが多いんですよ」
「……聞いてねぇ」
 ジノグライが苦い顔をする。
「ノックスの街にはもう少しで着きます……そこの人」
「俺か?」
「運転をしていただいても?」
「あ……おうともさ」
 青年の言葉は丁寧で、有無を言わせない響きも滲んでいた。裏には説得力が満ち満ちているようだった。
「……」
「なんだよ」
 ジノグライが青年に言う。一触即発の雰囲気が漂いかけていたとき、
「この舟はやっぱり一人用でしょう? 狭いですねー……」
「……」
「……」
 空気の読めないミリの発言が場の雰囲気を砕いてしまった。むしろハンマーには、それがありがたく感じられた。
 もともと青年が一人で乗る用の小舟は、五人にはやはり狭かった。

「着きましたね」
「俺も手持ち無沙汰になっちまったなぁ……サングラスも失くしちまったし……適当に定期便で帰ろっかな」
 そう言って、挨拶もそこそこに男は四人と一機と別れた。ごめんな、の一言を残す。
 ついに辿り着いたノックスに続く港は、妙に砂っぽかった。近くには砂漠があるらしく、砂交じりの風が吹き荒れる。しかし近くに海があるお陰で、食料は先ほどいたマルシェの街とは雰囲気を異にする魚料理が名物らしい……とは街をぐるっと巡ったハンマーの談だった。
 他の街との交流も盛んらしいその港は、マルシェの街にも負けないほど立派なものだった。フォークリフトが立ち並び、大きな船が多数港に停泊していた。青年を除いた三人がひそひそ話で会話する。通信機も加わった。
「なんとかたどり着けたけど……」
「この近くに俺たちの街を襲った元凶が控えていてもおかしくないというわけだな」
「おかしくないけど……」
『私はあの海面から立ち上がった怪物も気になります』
『科学と魔術の両方のアプローチを目論んでいるみたいだな』
「だな……だがそれよりも目下気になることがある」
「……私も……」
「あのお兄さん……ついてきてるよね?」
 青年は少し離れた場所で風に吹かれていた。先ほどは麦藁帽子に隠されていて気づくことはなかったが、よく見ると一部の髪の毛の束がぴょこんと立っているのが分かる。一旦密談を止め、三人は青年に向き直った。青年もそれに気づく。
「終わりましたか」
「……何用なんだ?」
「まずはあなたたちの名前を聞かせてください」
 そう告げた。渋りながらも三人と一機は名を告げる。
「僕はハンマーです」
『シエリアです』
「私はミリティーグレット。ミリと呼んでくださって結構です」
『ジバと呼んでね』
「……ジノグライだ」
 そこまで言ったあと、今度はジノグライが言う。
「じゃあお前の名前も聞かせてくれるんだろうな?」
 のらりくらりとした青年の態度が、ジノグライは気に入らなかった。
「ああ、失礼……申し遅れました」
 丁寧にお辞儀をしながら、青年は言葉を紡ぐ。
「私の名前はゾイロス……ゾイロス・イクシオン……そしてジノグライさん」
 顔を上げた。決然と、しかしながら怪しく、目の前のジノグライに向かって言い放った。

「私と勝負していただきたい」




*To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 022- 希望に沈む、希望が沈む

 海面を、一台のバイクが滑走する。
「あー、モヤモヤする……」
 ソキウス・マハトは、その魔力を行使することにより、バイクを宙に浮かせて海面を滑るように通行していた。ラゴスタ海峡を通り、もうすぐ対岸、ノックスの街へと到着しそうである。
「被害状況を見るなら次はこのマルシェの街が襲われてておかしくないはずなのに……何事も無かったな……喜ぶべきことだろうけど妙だな」
 微弱な波紋を水上に描きながら、ぐんぐん進む。
「裏で何かが動いてることは分かっているはずなのに……その正体が分からないなんて不気味すぎる、気持ち悪い……」
 ソキウスは宙にバイクを浮かべるのをやめて、進行上に水面に摩擦力を働かせる魔術を放った。手から放たれた白い光線が彼の眼前から水平線まで届いたように見え、直線上に目に見えない魔法の航路が完成した。バイクはダイラタンシー現象を思わせるような挙動で水面に落ちる。更に大きな飛沫を跳ねあげ進んでいく。
「とりあえずノックスの街で聞き込みを続けてみよう、何か手がかりがあるかもしれない」
 水上で紅いバイクを駆りながら、ソキウスは白い軌跡を海上に描いていった。
「お、海鳥……」
 海鳥が悠々と空を飛んでいく。ソキウスの右手から、左手へと群れをなして進んでいた。
「あ」
 それに気を取られて運転が逸れ、魔法の航路からズレたバイクが横転し大きすぎる波紋を生み出した。バイク諸共、ソキウスが海中へ沈む音がする。
 その後ソキウスは自分の身体を引き上げノックスの街へ着くこととなるが、更にその深みには何かが確かに潜んでいたことを、遂に彼は知ることが無かった。


「お前が持っててくれ」
「なんで?」
「……妙に……重たいからだ」
「重たい、ねぇ、普通にコースターなのに」
「あ、じゃあさ」
「何だ」
「それが『魔力』って奴の正体だったりして」
「……」
「……」
「……怒ってる?」
「別に」
 ジノグライ、ハンマー、ミリの三人は会話を投げあう。雑貨店の店先で、アプリルとリフルも傍にいた。ひと段落着いたと見るや、リフルはぬるりと声をかけてきた。
「もう、次の街に行くのかい?」
「まぁな」
 ジノグライが答えた。
「この街の近辺に脅威が二体いるとは俺は思わんのでな……一応行きたいところもある」
「ふぅん、じゃあ詮索はしないでおこうかな」
「ところで、おいジバ」
『なんだよ』
 そばに浮いてた通信機を呼んだ。
「お前、さっき海上にいた時……何か拾わなかったか?」
『え?』
 沈黙。
『あー、あー、アレ?』
 物音。
『ちょっと待っててなー……あ、これ? 手ェ出して』
 義手の左手が差し出される。そこに、カランカラン、と二つの音が小さく鳴った。
「……これは」
『説明してなかったような……そういえば』
 ジノグライの手の中にあったのは、二つの結晶だった。
 水晶のようだったが、人為的に加工されたかのように六角形に形作られていた。
 黒い義手の上からでも分かるほど、眩しい緑と青の結晶だった。にも関わらず透明度は高く、黒い義手が結晶の向こうから透けて見える。ジバが語りだす。
『それさ、マールスの残骸のそばとか、海の上とかにさ、あったんだよ、で、その結晶を良く見てみ?』
 ふと見ると、二つの結晶は呼吸をするかのようにゆらり、ゆらりと明滅していた。
『最初に緑の欠片を地下で拾ったんだけど、そのときはこんな風に明滅はしなかったんだよなー、どうやら仲間の欠片が近くにあるときは明滅を繰り返すみたいだ』
「……」
『で、青い欠片は君たちの近くの波間に浮かんでた……流れからしたら、そのネプトゥーヌスの残骸から吐き出されたものと見て然るべきだろうな』
「妙だな」
『妙だね、で、提案なんだけど』
「?」
『それ一個持っててよ』
 そう言いながら、手のひらの緑の欠片をジバは引っ込めた。
『二つしかないとは限らないし、良い探知機になってくれるんじゃないかな』
「分からなくは無いが……」
 ジノグライは渋い顔をする。
「これがさっさと全てを終わらせるには役に立たないと思うんだがな」
『まぁまぁ、いいじゃんいいじゃん?』
 引っ込められた途端、青い欠片は輝きを失い、ただの青水晶に戻った。
『ポケットの中に入れとく、とかでいいじゃない』
「全く……」
 なんだかんだ言葉に従い、彼は上着のポケットに青い欠片をしまった。
 知らない間に、四人は雑貨屋の店先を離れようとしていた。そのあとを追いかけていく。

「波止場に行けば、既にチャーターされた船が乗組員さんと共に停泊してるはずだよ」
「ありがとう! 助かるね」
 リフルとハンマーが会話する。五人と一機分の影が路上に模様を描く。歩を波止場に向けて進める。
「それで……」
 ミリが切り出した。
「リフルとアプリルちゃんはここでお別れ……になるのかな?」
「ついて行きたいのはやまやまだけど……ね」
 リフルが苦笑する。
「今日みたいなことがあったと分かった以上は、これからもずっと海を見ていたくなったんだ……いつ異変が起きてもいいように」
「仕方ない……か」
 ハンマーが首肯した。
「アプリルは……」
「あぁ、アプリルは……」
 アプリルがリフルの背に隠れる。
「行きたくないって」
「全く……身勝手な奴だ」
 ジノグライが息を吐く。
「まあまあ、治せるように努力してるんだって」
「へぇ……!」
「僕はここに残るけど、君たちに何かあったらすぐ駆けつけるからね!」
 屈託の無い笑顔で、サムズアップのポーズをとる。
「それでね」
 太陽の光が降り注ぐ空の下、バンダナが風に翻る。
 青空の下で、青いバンダナが翻る。
「僕がやりたかったことを教えてあげるね、お別れの挨拶に、相応しいこと……」
「どういうことだ?」
「見てて見てて!」
 にぃ、と大輪の笑顔を見せ付けたリフルは、三人に向かって向き直る。
「とぉっ!」
 右手を上げた。
 右手の上の空間から、いつものように、大きな水の奔流が発生した。
 発生した奔流は、広く空間に飛散し、太陽の光を受けて透明に輝く。
 そして、大きな像を作り出した。
「あ!」
「これ……」
「……!」
 太陽を受けた滴のスクリーンは、大きな大きな虹を作り出した。
「虹だーっ!」
 あどけない声が響く。ジノグライとアプリルも、呆けたように空を眺めていた。
 霧のように広がり、崩れ、そのうち空気と一緒になって、消えた。
 その一瞬の七色が消失したあとも、四人はずっと空を眺めていた。
 

「さよならー!」
 波止場に着いた一行は、リフルとアプリルと別れた。
 波止場の方向を向くと、ひとりの男が波止場で待っていた。フランクに片手を上げる。
「おう、事情は俺たちのボスから聞いてるぜ」
 季節は春にも関わらず軽装だった。ポロシャツの下の体つきはがっしりとしていて、目元はサングラスで隠されている。短く刈った髪と日に焼けた肌をしていた。
「ボス?」
「リフル坊の親父さんだよ、そう呼ぶように、って言われてるんだ……カッコいいだろ? って理由でね……とにかくボスから事情は聞いてる」
 波止場には、立派なモーターボートが停泊していた。
「このモーターボートに乗ってくれ、これでノックスの街まで一気に行くぜ」
「助かります! ありがとうございました」
 ミリが元気よく頭を下げる。
「……」
 ジノグライはむすっとしている。
『すんませんねぇこんな奴で』
「何だこいつ!?」
 通信機が喋ると、男は大きく身を縮めた。
「……すいません」
 何故かハンマーが謝った。

「しゅっぱーつ! しんこーう!」
 溌剌な号令がかかった。モーターボートは唸りを上げて、大きく海水を跳ね飛ばしながら進んでいく。リフルとアプリルが、遠くから見守っていた。
「……いっちゃったね」
「……いっちゃったなぁ」
 のんびりとリフルが言った。
「ねぇ」
 アプリルが彼を見る。
「またみんなに……会えるかな?」
 不安げな顔で言った。だから、
「ああ、会えるともさ!」
 そう、リフルは言った。アプリルの顔がぱっと輝く。
「……きっとね」
 ばし、と彼の脇腹を叩いた。それにいつものような力が無いことに、リフルは気づく。ディレイアタックも、一回も使われなかった。
「……」
「……」
 皮肉なもんだな、と思った。思えばいつも叩かれていたような気がしていた。どうしたんだろうな、とリフルは思う。
 まぁでも、と思う。少しづつ、距離を詰めていければいいかな。
 一人ぼっちだったこの子が、もっと素直になれるように。そう、心から思った。
「……」
 無言のまま、アプリルはそっぽを向いた。
 照れ隠しは、上手くいっただろうか。気づくわけないか、とアプリルは思う。
 あんなに鈍感な、兄貴分なんだから。そう、言い聞かせた。


 快調に波を裂いて、モーターボートは前進する。アネモス諸島の島々を写しながら、ゆるりと景色が流れていく。
「あー……」
 モーターボートの甲板の上で、ハンマーがひっくり返っていた。
『疲れてるねぇ』
 そばにいたミリにも声をかけた。
「そりゃあもう」
「波に揺られながら休むのもいいもんだよねぇ……」
「私は船酔いしそう……」
『ミリちゃん大丈夫?』
「大丈夫……じゃないかな」
 すると、船首の運転席から、良く通る声が響いてきた。
「ははははは! よく眠れなかったんじゃねぇのー?」
 あくまでも陽気に言った。
「ごめんなさいー……ひょっとしたら私乗り物弱いかも……」
「んー、じゃあちょいと減速しようかねぇ」
 ジノグライはぼんやりと甲板から景色を眺めていた。髪をなぶる風が少し弱まる。ハンマーが起き上がった。
「……もうちょっと早くはできねぇのか」
「うーん……具合が悪い子がいるのに放ってはおけないだろうさぁ」
「急いでるんでな」
「ぬぅ……」
 しきりにハンマーはミリの様子を窺う。
「ありがとうハンマーくん……多分船に弱いのはこちらから揺れるタイミングを決められないからなのかなぁ」
「バランスはむしろいい方だもんね」
 コンテナに囲まれながら戦ったときの、ファーストインプレッションを思い出している。
『今シエリアさんに聞いたけど、飴とか舐めたらいいんじゃないかな、気分が紛れるよ』
「持ってないけど……」
『ほら』
 すると、空いていたミリの手のひらに、苺味の飴が転送された。
「あ、ありがとうございます……」
 言葉と共に、可愛げのある包装に手をかける。両側から引っ張り、ピンク色の球体が顔を覗かせた。
 言葉が聞こえたのは、それとほぼ同タイミングだった。
「な、何だアレはッ!?」
 声の主は運転席の男だった。顔が引きつり、前方の景色に向かい悲鳴を上げている。
 その悲鳴を上げさせた物の正体は、前方に厳然と存在していた。
「えっ……これ……」
「何……!?」
 ミリとハンマーが悲鳴を上げる。
 大山の如き黒い姿が、水を被りながら海面から立ち上がっていた。それは文字通り山のような体躯をしていて、そうとしか形容できないような代物だった。しかしながら大きな顎が前方にぽっかりと口を空けており、一対のぎらついた双眸が天辺にあった。
「これは……何……!?」
「分からない……」
 青い閃光が視界の端で弾けた。ジノグライのレーザーがその異形の黒山に向かって吸い込まれていく。電撃が奔り、一瞬その怪物が怯んだかのように見えた。
「おおかたネプトゥーヌスの切り札か何かだろう、ここで仕留められ……るのか!?」
 珍しい弱音が、圧倒的な敵方の物量の前に崩れる。
「ひぃーっ、な、何だこれはぁ! これは、ああっ、あ、あああああ!?」
 男はネプトゥーヌスとの戦いを知らず、取り乱している。モーターボートの操作も全く要領を得ない。蛇行し、加速する。
「落ち着け!」
「これが落ち着けていられるかよぉおーッ!!」
『おい前を見て! やばいぞ!!』
「!?」
 即座に全員が前を見た。モーターボートが咄嗟にバックする。怪物の大顎が、全てを呑み込まんとするかのように広がり、凄まじい速度で崩れるように肢体が海面へと吸い込まれていく。
 呑み込まれこそしなかったが、衝突点に近づきすぎていたモーターボートは、とてつもない衝撃を受けて無常にも宙へと跳ね飛ばされてしまう。離れ離れになった男が、ミリが、ハンマーが、ジノグライが、次々と海面へと落下していった。
『……嘘だろ……!?』
 ただ念動操作ができる通信機だけが、ゆるゆると滞空して水面へと下りていく。
 驚くべきことには、あれだけの波紋を巻き起こした怪物は、水面に叩きつけられると共に、海中へと解けて消えてしまったということだ。怒りをぶつけようにも、元凶が消滅してしまっていた。何も残されなかった。魔生物の群体は、使い捨てられ海の底へと消えていった。
『もし……もし皆が意識を無くしていたら……!?』
 凄まじい不安にかられ、辺りを見回しても、何も痕跡が立ち上ろうとしていなかった。衝撃を受け半壊状態になったモーターボートが、ぷかりと浮かんでいるだけだった。
『運転手さーん!! ハンマーーー!!! ミリちゃーーんッ!!! ジノーーッ!!!』

 言ってくれるはずだ。
 いつもハンマーに言っているように、「その名で呼ぶな」と言ってくれるはずだ。そのはずだ。




*To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 021- 寄せては返す波のような

「なぁ……」
 そうやって後ろを振り返っても、
「……」
 何も言ってくれない身体を前に、彼はただ困惑する。
「……あのー……」
 しかし、その寝顔を見てしまうと、どうしても邪魔をするわけにはいかないという心理が邪魔をする。自分で考えながら、皮肉だな、と心の中だけで微笑した。ところが、彼、ジバの心内は、いささかたちまち心穏やかではなくなっていく。
「うぬ……ぬぬぬ……」
 通信機が海上を滑るように浮き、進んでいく。ジノグライたち一行の反応は、朝と昼の真ん中ほどの時刻になっても、未だに検出されていなかった。生きているかどうかすら曖昧な状態を見届けた後だからこそ、心配は募る。心配していなかったからこそ、余計に心配してしまう。
「っ……!」
 ソファの上を見た。徹夜作業で疲労困憊しているはずのシエリアが横たわっている。安らかな寝顔と整った呼吸で、弛緩しきった表情で眠り呆けている。その表情の裏には、過酷だった作業の痕が見え隠れしていたのをジバも分かりきっているから、彼の抱える心配を共有することはできないでいた。青しか映さないモニターを、もう一度ちらりと見る。見た。見終わる。視線を外す。溜息。
「!?」
 微かだが明らかに異変を告げる音が、モニターに据えられた小型スピーカーから出てきた。直ちに念動操作を試み、通信機を一回転させると、
「来たあぁぁーーッ!!」
「え……?」
 むくりとシエリアが起き上がってしまったが、もはやそんなことには構っていられなかった。それどころか、
「シエリアさんシエリアさん! シエリアさんったら……!」
「何ですか……えっ!?」
 二人の目の前に、凄まじい大きさの水柱が上がっていた。海から立ち上がり、空を染め、飛沫を跳ね飛ばし、水平線を壊す。荒い画質のその先に、放り出される小さな影が二つ映った。
「あれは!」
「リフル……とアプリルかな!?」
「では……」
「三人は何処に……」
 すると、黒い点が海面に浮かび上がる。一つ、二つ、三つ。
「もしや!?」
「あれが……」
 カメラをズームさせて海面に向ける。それらは円柱形をしていて黒く塗られていて、ロック機能の壊れた扉がついていた。耐水性のポッドだったようだが、海中でマザーコンピュータが破壊されたことを機に扉のロック機能を失っていたらしい。
 扉が開かれる。黒髪、金髪、モノクロツートン。
「皆さん!」
 感極まったシエリアが思わず叫んだ。三人は生きている。その事実から成る喜びを噛み締める。
「助けに行くぞ!」
 その一言でシエリアに冷静さが霜のように冴え渡る。喜びを噛み締め終えた。
「どうやって?」
「えっ」
 ジバが感極まったポーズのまま固まる。彼女の方を向いて沈黙した。
「そりゃ君、手だけワープさせて……」
「そうしたら擬似的に空間が繋がってしまいますよ?」
「えっ、ダメなんか!? モノのワープはできるのに」
「腕が千切れても知りませんよ!?」
「うぅ……ぐ」
「あとそう設定したのはジバさんじゃないですか」
「けろりと忘れてました……」
「ダメじゃないですか」
「じゃあさ! ロープあったでしょう! あれで吊り上げるのはどうよ!」
「海水のそばじゃ使い物にならないですし何処から吊り下げるんですか!」
「またダメかぁ!」
「手詰まりですね……」
 モニターをもう一度見つめる。
「うむ?」
 見つめた先で、海上に白の領域が広がっていく。ミリの冷凍光線が、海水を凍らせステージを作り出した。
「……」
「心配は無用だったな……行こう」
 ジバは促す。通信機が空を滑るように動いて、氷のステージへ向かっていった。

『いよーっす! 無事でなにより!』
「遅い」
『ごめんて』
「やれやれだ」
 互いの助けを各々借りて、五人を中心に作られた氷板に五人が足を踏み出した。
「一時はどうなるかと思ったけど……」
「結局、リフルはどうやって戻ってきたの?」
 ふっふっふ、とリフルは人差し指を立てる。
「ジノグライが教えてくれたのさ」
 黒い姿を仰いだ。彼は目を背ける。
「手のひらの傷跡に向かって空間からありったけの水を噴射して、傷跡をガイドにして逆噴射したんだよね、そうしたらアプリルと一緒に空間に舞い上がれるぐらいの推進力ができた」
「へぇ……」
「もちろん傷跡にダイレクトに水圧がくるから、本当に痛くて痛くて大変だったよ……今でもずきずきしてる」
「クリームパン」
 その一言で、リフルが目を閉じた。耳に聞こえるのは、潮騒の音ばかりだった。ぐしょぐしょのバンダナが、冷たい滴を生んでリフルの頬を撫でる。そっと目を開けた。
「どうやって……帰ろうか?」
 ミリが手を挙げる。
「私が氷で海上に道を作って……」
 その瞬間、リフルが右手でミリを制した。
「……エンジンの音がする!」
「えっ!?」
「……それに……ああこれは……」
 遠くから、本当に遠くから、微かな声がする。
「……!! ……!!」
「誰かが叫んでるね」
 だんだんと声が大きくなっていった。
「……-ッ!! ……-ッ!!」
「誰だろう……?」
「あ、これー……」
 海上を切り裂くエンジンの駆動音が、他の四人にもはっきりと聞こえるようになって来た頃、
「リフルーーーッ!!! アプリルーーーッ!!!」
 声はいよいよはっきり彼らの耳にも届いてきた。中年の男性の、よく通る声が青空を駆けていく。
「うー……」
「どうしてそんな顔してんのさ」
 ころころ表情を変えるリフルも、この時はとてつもなく渋い顔をしていた。ハンマーが問いかけ、リフルは気づく。
「あ、いや……」
「どうしたの」
「アレ……父さん」
「えっ!?」
 海の一角から音が響く。とうとうその正体が見え出した。
「父さんがどれだけ心配したと思ってるんだーーーッッ!!!」
「うわあぁ……恥ずかしいよ……」
 わざわざ商売道具の漁船を駆り、海の上を爆走していた。
「皆だっているのにさぁ……」
「うけいれなさいよ」
「だよねぇ……」

「どうして勝手にふらふら出て行くんだ!」
 声が張り上げられる。リフルも萎縮する声の主は、堂々たる体躯を持った男性だった。短く刈り上げられた黒髪、筋骨隆々の体躯、日焼けによってパサパサになった黒い肌に白いシャツが映える。いかにも「海男」という形容が似合うこの男こそ、リフルの父親だった。
「ち、ちが……」
「ちがう!」
 声を張り上げたのはアプリルだった。
「……アプリル?」
 思わずキョトンとした顔を、リフルの父親も隠せなかった。
「わたしがあんないするって言ったの! リフル兄はわるくないの!だからリフル兄のことをこれ以上せめちゃだめ!」
「……」
 沈黙が漁船に満たされた。気まずいというより、複雑さに支配された沈黙だった。思わず真顔になる。
「どうしちゃったんだ、アプリル……? お前は普段ならリフルのことをこき下ろすはずじゃないか」
 それを父親が指摘すると、アプリルは顔を赤らめた。赤くなったままで、さっとリフルの陰に隠れた。
「……」
「……息子よ」
「改めて言わなくても……何?」
「お前……アプリルに何をした?」
「アプリルは嘘を言わないんだ、良くも悪くも」
「ってーことは……惚れられたな? 惚れられたなぁあーッ! ヒューッ!!」
「そのノリは僕嫌いだって言ってるよね!?」
 いきなり騒ぎ出した父親と困惑する息子、デレデレの妹分を見ながら、三人は会話を交わす。
「一件落着……で、いいのかな?」
「さぁな」
「でもとりあえず仲良さそうでよかったよね」
「それは……まぁね」
「……」
 むちゃくちゃに手を前方に振り、否定に否定を重ねるリフルだったが、アプリルが離れてくれない。振って払うこともできないので為すがままになっているが、やがて息切れの後、リフルは言葉を吐き出し始めた。
「僕は勝手にふらふらしたわけじゃない、でも引きずり込まれたんだ……お願いがあるんだ、父さん」
「何だ?」
「潜水艦で一緒に海底に潜ろう、そうすれば機械の残骸が沢山落ちているはずなんだ」
「おいなんでお前がそんな事を知ってるんだ!?」
「……僕がやったから」
 父親は信じられない、といった表情で息子の顔をまじまじと見つめる。
「僕の仕業なんだ」
「お前……あんなに海が汚れるのを嫌がっていたじゃあないか……」
「もうこれしか思い浮かばなかったから!!!」
 絶叫する。
「……だから、手伝って欲しい」
「?」
「潜水艦で、海を綺麗にするんだ、僕が率先して始める」
「……」
「僕らが体験したことを父さんにも教えるには、口で教えるんじゃダメな気がするんだ」
「ふむ……」
「……それに」
 小さな体躯でリフルに寄り添う、そんな彼女を見ていた。
「アプリルもこんな状態じゃあね……」
「お前らの間には何かが確実にあったんだろうなぁ……」
 もう一度リフルは父親を強く見つめた。
「信じてくれなくたって構わない、でも僕は確実に死にそうなほどの場所を歩いてきたんだ……僕は今ここにいる皆のお陰で」周りを見回した。「こうして生きて帰れて来れてるんだ」
「……」
「後始末は、僕らでケリをつけたい」
 リフルが頭を下げた。バンダナが揺れる。
「お願い。許してほしい」
「おねがい」
 アプリルも真似して頭を下げた。大きくリフルの父は溜息をつく。
「お前が嘘なんて吐くはず無いっていうのは俺がいーちばん分かってんだからよぉ」
 バンダナを外して、リフルの頭をくしゃくしゃ撫でる。
「大丈夫だ、きちんと最後まで一緒に手伝ってやるともさ」
 にやりと笑って、リフルに答える。ひとしきり成り行きを見守っていた三人を見た父親は右手を上げた。
「おう……ありがとうな」そう言って話し出す。
「こいつが失踪したってんで、様子を見てみればこいつが元気そうで何よりだった、アプリルも無事だった、こんなに嬉しかったのはいつ以来だろうなぁ……」
 しみじみとリフルの父は語る。
「安心してくれ、お前たちを責任をもって俺が波止場まで届ける、そこで昼メシと行こうじゃあないか、なぁ?」
 ふと天頂を見上げれば、既に太陽が彼らの真上に燦燦と光を降らせていた。


 そうして、昼食を再びリフルの家でご馳走になってしまった一行は、もう一度波止場へ戻ろうとした。
「お前」
 ジノグライがリフルに問いかける。
「俺たちは向こうのノックスの街に行きたい、どうすればいい?」
「あーそうだったね」
 リフルがしたり顔でにやつく。
「僕たちを助けてくれたお礼として、父さんが漁師さんの仲間に掛け合って、アネモス諸島を通らずに近道できる近道の海路を通る漁船をチャーターしてくれるってよ!」
「本当!?」
 ハンマーが食いつく。
「魚たくさん食べれるかな」
「そんな事だろうとは思ったぜ」
「あんだけ食べといてまだ食べるの?」
 ジノグライもミリも呆れ顔だ。運ばれてきた料理を誰より平らげたのは、他でもないハンマーだった。
「酔っちゃうかもしれないから気をつけてね!」
「大丈夫!……きっと!」
「自信持ってよ!」
 あははははは、と三人で笑う。輪から離れたアプリルが、その様子を見ていた。
「波止場に行けば、その人が待ってくれてるはず。この先の旅が、実りのある物でありますように!」
 リフルが脱水を済ませたバンダナを外し、大きく振る。
「それじゃあ……」
「まって!」
「?」
 誰より前に進み出て、アプリルが進言する。
「……みちあんないさせて」
「……」
「アプリル、本当にどうしちゃったんだい?」
 アプリルはくるりと後ろを振り返り、リフルに言う。
「こんどから、もうすこしやさしくなりたいな、って思ったの」
「……」
「いつみんながいなくなっちゃうか、わたしにはとてもわからないから」
 はっきりした声。まっすぐ届いて、全く折れない声。
「……分かった、行こうか」
 差し伸べられたリフルの手を、アプリルが握った。離れないように。
「どうやら行きたい所が……あるみたいだよ?」

「流石にそのリュックサックはジバさんに預かっててもらったんだ」
「基地に入るときはどうしてもね……」
 街の一角にある雑貨屋に一行はいた。そのやりとりをよそに、
「あげる」
「これは……」
「あげる」
 ジノグライに手渡されたものは、蒼い糸で紡がれたコースターだった。海のように。空のように。
「おみやげ」
 涙声。
 泣きそうな顔をしたアプリルを、ジノグライがその目に捉えた。
 涙を浮かべた彼女の双眸が、あの数時間前の波止場から見た景色のようだった。




*To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 020- あいつが蒼く螺旋を描いた時、藍と碧の境界が崩れる音がした

 その瞬間を、ジノグライが見逃していたわけがなかった。
「推進力か!」
 影の追撃を避けるために、ジノグライは疾駆しながら叫ぶ。
「知ってたの!?」
「何もないところから召還するなら、反作用で跳んでいけるのではないかと俺も思っていた!」
「そうだったのか……!」
 やはり走り続けながら、リフルも叫び返す。
「だが俺にも策が思いついた!」
「どういうこと!?」
「いいか! 勘違いするな! 今俺達が共に戦っているのはネプトゥーヌスという共通の敵がいるからだ! お前と戦うことにそれ以外の理由はない!」
「何を言って……」
「だがネプトゥーヌスに腹が立っているのは俺だって同じだ! 敢えて言う! 俺に力を貸せ!」
「……!!」
「あとで説明する! その傷はそのままにしておけ!」
 影の刃が機械兵団の残骸を突き破りながら追いかける。煙と火花と硝煙が立ち上り、視界をますます黒く塗りつぶしていった。二人は跳び越え、走り、よろけながら、その追走から逃れる。汗が噴き出し、視界に靄がかかったように苦しくなる。持久力にも限界が迫ってくる。ネプトゥーヌスはそれをニヤニヤしながら眺めている。その目が地面を追いかける。
「なるほどな……」
 ジノグライはネプトゥーヌスの脇をすり抜け背後に回りこみ、閃きを行動に移すことにした。黒い指先が、白い壁に向く。青が飛び出し、終点で赤が散った。
 レーザーが壁を焼いていく。指先を動かして、四つの指からレーザーを吐き出し、壁に読めない模様を描いていく。
「んぅー……?」
 ネプトゥーヌスがこちらに目を向けてきた。機械の左目だけがこちらだけを向く。その様子はジノグライには大層不気味に映った。そしてまた影から刃が噴き出す。壁を焼くのをやめて横っ跳びをして逃れた。
 この段階になると、ネプトゥーヌスも機械兵団の召還をやめていた。攻撃は最後に落とした無事な数体に任せ、自身は影の刃を操ることに専念しだす。また一度、リフルの肩を大きく薙いだ。
「ぐっ……!」
 耐え切る。止血を終えた手で肩を癒し、跳びはねて進む。もう一度、ジノグライと鉢合わせした。
「このままではジリ貧だ、今一度仕掛けるぞ」
 その声が確かに耳元で聞こえた。もう一度跳ね回り、今度はリフルから近づく、追いつく。併走しながら、ジノグライに話しかけた。
「教えて、僕はどうすればいい?」
「まずは俺が仕掛ける、だが……」
 少々迷う。
「伏せていろ、お前にこれ以上怪我を差せない保障は俺には出来ない」
「どういう……!?」
「いいから伏せろ!」
「無理だ!僕は戦う……」
 長ズボンが千切れる。
「うぉわッ!?」
 脚に直接突き刺さり、思わず身体が傾いだ。そして油断をしたリフルは前に倒れこんだ。肘を強か打ち、痺れが奔る。
「しめた、今だ!」
 呟く。
「ふんッ!」
 両腕から電撃ビームを放つ。八本の電撃が、まるでライブ会場のサーチライトのように、奔っては途切れ、螺旋を描き、波打ち、縺れ、捩れ、揺らぎ、周りを囲う壁を焼いていく。焼いていく。
 ネプトゥーヌスは怪訝な目でそれを見ていた。その目を忙しなく走らせ、ぐるぐる音を出して廻す。
 あっと言う間にも、壁の焦げ跡はどんどん黒く壁を塗りつぶしていく。メッセージを描くわけでもなく、絵を描くわけでもない。だがその跡は、確実に空間に存在感をばら撒いていく。全てを終えたジノグライは、再びリフルと併走する体制を取った。
「準備は整った」
 ここで、ジノグライは影の刃に怯えることなく両手を部屋の中央に向けて、
「せいッ!」
 渾身の二撃を、狙い違わずネプトゥーヌスの目玉に命中させて見せた。火花が散る。蒼の閃光がスパークする。
「……ぬ……っう……ッ!!」
 目を潰され、前が見えなくなったネプトゥーヌスは虚空を仰ぐ。その途端、立ち上る雨のようだった影の刃が、ぴたりとその猛攻を止めた。リフルは立ち止まる。ジノグライは向き直る。
「お前の影の刃の認識パターンが自らの自由度の高い目に依存しているという事を俺は看破している、部屋の色が白で統一されてるのも同じ理由だろう、これで貴様に影による攻撃は出来まい!」
「見破られた……かぁ……」
 ふふふ、と空気が漏れる。
「ふふふふふふ……」
「何がおかしい!」
「……はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっは……!!!」
 狂気に満ちた声で、調子はずれの狂った声で、とてもとても楽しそうに笑い出す。
「馬鹿だよねぇ……それで勝ったつもりで調子に乗っちゃってるの、サイッコーに面白いし馬鹿馬鹿しいしクソみたいだよ!!! 最高!!!」
 バラバラバラ、と音がする。二人は音のしたほうを向いた。丸い物体が、後方に転がっている。
 それは、人の眼球の形をしていた。
「な、何これ……」
「そいつは『端末』さぁ、言っとくけど、バリアが張ってあるからちょっとやそっとじゃ壊せないよ……?」
 ギロリ。ギロリ、ギロリと眼球は宙に浮き始め、最初からそう決められているかのような動きでくるりくるりと廻り始めた。段々と回転は速くなり、地面を見つめた途端、ぴたり、と止まった。二人はその動きから目を離すことが出来ずにいた。ジノグライがレーザーを撃った。半透明で緑の膜が張られ、レーザーを跳ね飛ばす。あらぬ方向に飛んで、また焦げ跡を増やした。
 その途端、鮮血も散った。焼け付く痛みはジノグライの右肩を支配する。
「ああ……あの『端末』はネプトゥーヌスの目の代わりをするのか!?」
「厄介なことに……!」
 リフルが手をかざしジノグライの右肩を治療しようとすると、ジノグライは長く、尚且つ手短に耳打ちをしてきた。流石にリフルは怯え、ジノグライを押し留めようとしたが、ジノグライは聞き入れてはくれなかった。
 そして、ジノグライは治癒が不十分な右肩を気にしつつも走り出す。他の傷もじくじく疼いたが、そんなことを気にする余裕はもはや無かった。
 そして、目的に辿り着いた。
 ポッドを思い切り押し出す。リフルに向かって。
「!!」
「!?」
 リフルは覚悟を決めた。ネプトゥーヌスは驚きを隠せなかった。
 教えられたとおりに、リフルはポッドに掛かったロックを外す。水を吐きかけコンピュータをダウンさせたあと、ダイヤルを捻りバーを押し上げる。中から、無傷なままのアプリルが現れた。
「……どうするつもりだい?」
「どうするつもりだと思う!」
「……なによこれ」
「君はアプリル・フォルミをそこから解き放った。つまり……ボクは容赦なく彼に攻撃を与えても良いということになる……違うかなぁぁあ?」
 リフルは後ずさる。アプリルの華奢な身体を抱き寄せた。何が待ち受けていても絶対に守るかのように。
 すると、その脇を目掛け、ジノグライが突進してくる。ネプトゥーヌスを転ばしかけるほどの勢いで突っ込んできた彼は、その身をポッドに横たえた。そしてジノグライは、固まった血で汚れた腕を伸ばし、ダメ押しに電撃をまた放った。それは天井を破壊し、貼りついていた照明の機能を軒並みダウンさせていく。光を奪われた『端末』も、最早用済みだった。
 全てが終わり、リフルが一気にそのポッドを閉める。バーを閉じ、ダイヤルを捻った。
「ふーん……強烈な懐中電灯ぐらいボクがいくらだって持ってるのに……第一帰る手段はどうするんだい、ボクは正直痛くも痒くもないんだよぉぉ、基地があるんだから……」
 暗がりから、元凶の声がする。リフルは、もう覚悟を決めていた。両腕を握り、解く。握り、解く。後ろを向く。飛び込んだ扉には、ジノグライの電撃の跡が縦横無尽に走っていた。走り出す。アプリルも続く。そのままショルダータックルで扉にぶつかり、扉は砕けた。光が差し込む。部屋にはごく僅かしか入り込まなかったが、かりそめの兄妹は吊り天井になっていたブロックに脚をかけた。
「アプリル」
「……なに」
「地上に着くまで、ずっと僕にしがみついてて欲しい」
「へんたい」
「地上に出たら嫌ほど文句は受け付けるよ、でも、無事に地上に出れたら、君の好きなお菓子を何でも買ってあげるね」
 腰の辺りに、か弱い両腕が巻きついた。
「……クリームパン」
「承知した」
 にこりとリフルは、また頼りなさげに笑った。
「絶対に放しちゃダメだからね」
 きゅっと力が強くなったようだった。

 渾身の力を、突き出した両の腕に集める。
 前方から、ありったけの影の刃が飛んできた。
 待ち望んでいたかのように、まるで合図だったかのように、蒼が彼の手のひらで炸裂した。
「!?」
 宙に浮いたような、そんな浮遊感がアプリルを襲ったかに見えた。だが、彼女の感じたエネルギーは、燃え滾るような闘志は、確実に腕の中の肉体から響いていた。
 実際に、彼女は浮いていた。
 リフルの両腕から、まるで洪水のような鉄砲水が勢い良く吹き出ているのを彼女は見ていた。浅い角度で射出されていたそれが、揚力すら生み出し、二人を持ち上げていた。暗がりに怒涛を生み出す。
「!!!」
 馬鹿な、そうネプトゥーヌスは口に出そうとした。口がその形に動いた。音はついに出なかった。その前に波濤に呑まれ、消えていった。
「!!?」
 波濤に圧し潰された壁が、天井が、軋み、歪み、ねじけ、濃紺が漏れ出した。
 外から。

 基地の全てが、海の水圧に呑まれて朽ちようとしていた。ポッドはその怒涛に呑みこまれ、浮かび上がる。世界が終わるような光景を、ジノグライは見届けていた。自分の目論見が、上手くいったことも悟った。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああ!!!!!!」
 絶叫する。海の音に全て吸われ、消えていく。リフルは波濤の中に、壊れてバラバラになったネプトゥーヌスの姿を見たような気がした。慈悲は感じなかった。ただそこには結果だけが厳然と存在し、他の感情が入り込む余地は無かった。恐怖を前に、全てが塞がれてしまっていた。凄まじい速さで、扉が後方へ飛んでいく。既に機能していなかったレーザー発射口の絨毯を通り過ぎる。螺旋を描きながら、二人は上昇していった。
「きゃああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!」
 絶叫する。海の音に全て吸われ、消えていく。泣きそうになりながら、アプリルはリフルの腰にしっかりとしがみついていた。振り落とされないように、置いてかれてしまわないように。やっと大切な存在だと分かった彼と、もう一度一人ぼっちになんかならないように。そして、水滴と水音に覆われたこの迷宮が、どんな遊具よりも爽快感に溢れることも、いきおい否定は出来なかった。背中合わせの恐怖と快感に揉まれ、その時をただ待った。
 作用と反作用の法則と、リフルの精神力は、迫り来る海水から二人を守り、二人を持ち上げ、二人をいざなう。その時が刻一刻と近づく。螺旋を描く、描く、描く。

 描く。

 藍と碧の境界が崩れる音がした。
 蒼は藍と碧に介入し、人間を跳ね上げ、死の淵から二人を掬い上げる。
 忌まわしいからくりが、水底に消えていった瞬間でもあった。
 偽物ではない本物の光は、囚われた姫の帰還を祝福するかのように碧のキャンバスに七色の橋を架けた。

 黒い円柱が、三つ浮かんでくる。太陽の光を反射し、きらきら光る。
 水面に辿り着いたアプリルとリフルが、それらのロックを外しにかかる。円柱から三人の仲間が目覚めたのを、二人は確かに見届けた。
「大丈夫そう……? 終わったの……?」
「凄かったよ! なんかこう、グシャー! バリバリ! ドドドドドドドドドドド!! って感じで!」
「わからないよー!」
 あはははは、とリフルは笑った。笑ったまま全てを忘れてしまいそうなほど笑った。水没したバンダナがだらしなく揺れる。普段なら制裁を加えるアプリルは、それを魂が抜けたように見ているばかりだった。
 ジノグライがポッドから起き上がる。
「……!」
 リフルは満面の笑みで片手を上げる。
「……」
 それに対しジノグライは、やはり黙したままで応えた。だが、その口端がちらと笑っているのを、リフルは見逃していなかった。それが自分に向けられていなかったとしても、リフルは笑いを止めることなどできなかった。
 イニーツィオの地下で見た宝石が、近くの波間に浮かんでいた。
 あの時と違い、青色をしたそれが、静かに揺られていた。


 水圧に負けた基地が、残骸となって海底に堕ちていく。
 ネプトゥーヌスだった部品と配線が、バラバラに砕けていた。
 沈んでいくその横に、彼が『最終兵器』と呼んでいた小さなボタンが、既に押されていたままで水圧を増やしていく。
 その脅威が水面の彼らに知れ渡るまでには、まだ少し、時間を要することとなるのだった。




*To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 019- 其の漆黒、内と外

 あらためて、部屋の中を見回す。
 殺風景なわりに、かなり広い部屋だった。若干の計器類を壁に残すだけで、明るすぎる照明が煌々と部屋を照らす。ネプトゥーヌスの足元に転がっている小箱は、恐らく小型爆弾を収納するためだけのものだろう。そして、見渡すその先に新しい扉は無かった。見下ろすと、床下収納を思わせる小さくサイバーな戸がその口を閉じたままでそこにあった。
 つまり、ジノグライは思う。ここは海中に造られたバトルフィールド、かつ終着点を意味している、と彼は踏んだ。法則に則るならば、もしその先に回廊が続くなら、さらに前方に扉があるはずだ。 この戸の下にあるのは、ネプトゥーヌスの司令室であり、通信室であり……考えをそこで止めた。それを考えるのは、目の前の忌々しい相手を倒してからでも遅くはない。どす黒い本体とは正反対に、白で統一されたバトルフィールドが光を反射し眩しく煌めく。その光は、三人と一機から伸びる影を濃く映していた。天井の光源が複数あるせいで、幾重にもその像がだぶって見えた。ネプトゥーヌスは光魔術を習得していないと見えて、心の中でそっと安堵する。
 隣を見る。リフルの上半身裸の背や胸から、まるで剃刀で思い切り引き裂いたような傷があちこちにできていた。まだダウンするような傷では無いが、リフルは先ほども使った治癒魔法を行使し何とか傷を塞いでいる。もしここで殺人ウィルスなどをばら撒かれていたらと思うと身の毛もよだつ思いがした。
 ネプトゥーヌスのいやらしい性格はその声で何となく判別できていた。部屋で分かったことも総合して評価すると、奴は相手をじわじわとなぶり殺しにするのが好きらしい。そういった趣味の良くない趣味を持っていると理解できた。
 理解できた自分に違和感を覚えた。自分は人間味が欠けている戦闘好きだという事ぐらい、ハンマーやジバ、シエリアやミナギと交流する中でとっくに承知済みのことだった。それを承知の上で強さを求め生きてきたつもりだったが、その自分をして相手を軽蔑する感情が生まれたことに、微かな疑問を感じた。振り払う。らしくない。目の前の敵に集中するのが俺だったはずだろう、と自分自身に問う。そのつもりだと応える。前を向いた。眩しさにはもう慣れた。
 あとはこいつを、どうやって叩きのめすかに集中し始めた。

 ただ歩いて、走ってきただけなはずなのに、気が付けば随分と海の底のほうに来ていたらしい。
 リフルには分かった。海の底の、人間が立ち入ってはいけない雰囲気は、たとえ潜水艦の中のようなこの部屋にいても理解できた。幼い頃から海のそばにいたリフルだから、分かるような気がした。
 惑う。血を流した背中が、危険だと主張してくる。死ぬかもしれない。そんな予感はリフルを刺し貫き、漆黒の予感をウイルスのように体内にばら撒いた。慄く足が動こうとしてくれない。
 もし。場違いなことを思う。
 全てに敗北したら、基地が壊れてしまったら。僕は死んでしまうのだろうか。考え出した。ズタズタに傷つけられた身体が、死の気配を敏感に察知して、リフルに警鐘を鳴らす。上半身に何も着てないだけで、随分と自分が貧弱に見えてきた。思考が濁る。濁る。膝を突く。悪くは無い気がした。大海の腕に抱かれ、生を全うするのも、ひとつの形なのだろうかと思う。眩暈、眩暈。部屋の明るさと反比例した、無力な感情がリフルの喉元に喰らいつこうとした。
 ゴロゴロという音が、彼の靄を晴らした。
 揺れる金髪を、彼は見ていた。無気力だった目で、見ていた。
 アプリルがポッドの中でもがいているのを、無気力だった目で、見ていた。
 目が合う。薄く声がしたような気がした。
「たすけて」、と。
「まけないで」、とも。
 どっちだったかは、よくわからなかった。
 だが、リフルが再び立ち上がるには、それだけで充分すぎた。
「ああ……そうだったっけ」
 頼りない兄貴分は、いつものように、妹分の陰で笑うように、頼りなく笑った。
「ダメだよアプリル、ひとりで危ない所に行ったりなんかしちゃあ、さ……?」
 泣きそうな顔で、慈しむように笑った。
 海に似た滴を、ひとつだけ流す。それだけだった。
「また、怒られちゃうかな」
 膝を立てて、ゆらりと立ち上がる。
「ううん、無事に帰って、たっぷりと怒られてやろう、そうしたほうがいいよね」
 頭を振った。両手で頬を叩く。
「待っててね、絶対に迎えに行くから」
 優しく紡いだ言葉は、ひとりだけ聞いていた。
「……けッ」
 そのひとりは、聞こえないフリをした。

「茶番は終わりかい? もう戦う気にはなってくれたのかい……?」
 いやらしい声を響かせる存在に、ジノグライはすっと目を向ける。
「吊り天井のトラップに全然引っかかってくれないんだものぉぉー、あああぁぁぁーつまんないつまんないつまんない」
 声だけで駄々をこねているような、そんな気配だった。
「あーもー、全部言う、両方のボタン押したらあの天井は落ちてくる仕組みなのにー、んでもって扉がじわじわしか開かないから君たちはぺっしゃんこ!ぐちゃぁーってなるはずだったのに!あーぁあ」
 嘲笑ったりいじけたり、忙しい奴だとジノグライは思う。
「まぁいいよ、じわじわとぶちのめしてあげるから、さ……ね?」
 ジノグライは未だに疑問を持っていた。
 ネプトゥーヌスの手には、何の刃物も握られていなかった。左腕にそっと右手をかける。なのに、左腕も右腕も背中も上半身が滅多切りにされているのを感じ、寒気がした。卑怯なあいつが扱う見えない刃物があるとしたら、と考えるとどうしても勝てるビジョンが未だに見えない。
 しかし、煌々と照らされた部屋の照明は気になって仕方がなかった。何の必要もないのに影を増やすためだけのような灯りが照らされているのは非常に気にかかった。
 もしや、と考える。
 考え事をしているうち、背中に灼熱の痛みが奔る。鮮血が飛び出した。
「なッ!?」
 全力で後方を向いた。しかしそこには全く刃物の影も形も無く、何の手がかりを見出すことも出来なかった。ナイフどころか剃刀すら見当たらないのはどう考えても不審だと思っていたそばから、
「がッ!!」
 今度は臍を引き裂かれる感覚があった。しかし前を向いても、全く刃物は見当たらなかった。そんなはずはない、そんなはずはない、と思っていたところ、
「伏せて!」
「!!」
 言われるまま伏せたジノグライは、そのまま見上げた空間に浮かぶものを見た。
 拳大の黒い欠片のようなものが、速度を持って上空に射出されていった。その欠片は、ある程度上空まで上昇すると、そのまま天井に激突することなく、黒煙のように消えうせた。その欠片は、そのままジノグライが立っていたままだったなら、背中に突き刺さっていたはずである。
 そして右隣を見た。
「……!!」
 リフルの下の空間から、先ほどの欠片が生成されているのを、ジノグライは確かにその目で見た。そして、その欠片がリフルの左腕に新しい傷をつけるところまで、確かにその目で見た。
 リフルを映した幾つもの影から、それは生まれていた。
 疑惑が、一瞬で確信へと変わる。
「この影は罠だ! 俺たちはこいつのせいで傷をつけられている!!」
「えっ!?つまり……」
「俺たちの影は触媒だ、ここから刃物が生まれている! しかもその気になれば……無数に刃物が生まれてしまうぞ!!」

「ふーん、わりかしすぐわかっちゃったんだ、おーもしろくない」
「理屈が分かれば簡単だ、お前から先にやるぞ!」
「そうなんでも上手く行くとか思わないで欲しいんだよねホントさぁぁー、見ててイライラするしぃぃ」
 ネプトゥーヌスの右腕が上がると空間が歪み、一瞬で機械兵団が現れた。数えると七体はいた。
「チッ、なんでもいい、お前は幅の狭い水流で機能停止に追い込め!」
 言うが早いか、リフルは幅の狭い鉄砲水を空間から噴き出し、機械兵団に向けて当てる。その勢いはロボットを正面から破砕させるまでには至らなかったが、ロボットの関節に水が入ることによって、彼らの動きは鈍くなっていった。そこにジノグライのレーザーが、ピンポイントで機械兵団のカメラアイを破壊する。
 このようにして三体ほど片付いたはいいが、
「がぁああああーッ!!!」
 リフルの一際大きな悲鳴が聞こえる。
「まさか……」
「そう!」
 ネプトゥーヌスはゾッとするような笑みを浮かべて宣告する。
「君たちが機械兵団を壊しても壊しても! そこに影が存在する限りは!」
 リフルに恐怖が圧し掛かる。
「ボクはそこから無限に影のカッターを作り出せる! 機械兵団を召喚すればするほど!! 新たに落ちる影はボクの糧となる!!! ギャハハハハハハハハハ!!!」
 その言葉が言い終わらないうちに、七体目のロボットが倒された。するとネプトゥーヌスは、
「ヒャハハハハハハハハ!! ヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!」
 気が狂ったように笑いながら、天井に程近い高空から、しかも凄まじい速度で機械兵団がドシャドシャと降ってくる。降ってきた機械兵団は床に衝突するそばから破壊され、新たに影を作り出す。
「な、なんて奴だ……機械とはいえ一応は部下のロボットたちを何の見境もなく……!」
「こいつにブレーキなんて無いんだろうな、それより来るぞ!!」
「!!」
 二人で壁のそばに寄る。今まで立っていた空間を、無数の漆黒の刃が駆け抜けた。そのまま煙のように掻き消える。
「どうやら軌道の変更は出来ないらしい……ちょっと飛んで、それだけだろうな」
「でも当たったら大変だよね……!」
 リフルは手をかざし、貧弱だが確かに効果のある魔法で自分の傷とジノグライの傷を癒していく。徐々に傷が癒え、出血が止まっていく。だが、
「キリがねぇ!」
 その言葉と共に、二人が立っていた壁に影の刃がガガガッと音を立てて突き刺さった。突き刺さった刃は、目標が外れた事を知るとまたもやふわりと消えていく。さっきまでそこに突き刺さっていた壁に、確かに傷が残っていた。その傷は、影の刃が確かな破壊力を持っていたことの何よりの証明だった。
「こんな状態じゃネプトゥーヌスに攻撃できないよ……!」
 部屋の中を所狭しと駆け回り、あるいは機械兵団の残骸を避けながら、ネプトゥーヌスの追走をかわしていく。
「あわっ」
 すると、無造作に置かれていたアプリルのポッドにリフルの左脚が躓いた。バランスを失う。その隙を突くように、後方から刃が空間を疾駆する。
「や、やばい……ッ!!」
 後ろを懸命に振り向いて、せめてもの慰めのように、両腕を前に突き出す。
 ザシュザシュザシュ、と皮膚を突き破る音がする。衝撃が作用して、リフルは本格的に尻餅をつき、頭を強か打った。どうにか顔への命中は免れたが、視界にチカチカ火花が散る。バンダナが揺れた。刃は今まで散々見てきたように掻き消え、傷だけが残る。
「いたたたた……」
「油断するな!来るぞ!」
「ああもう!」
 ズバズバと影の刃が伸びる。アプリルのポッドを、ひいてはアプリルを踏まないように、心もち意識しながら。
「待っててね、こいつを倒したら、すぐ行くから……!」
 そう言いながら、自分の手のひらを見る。手のひらの細胞はズタズタに破壊され、不可思議な紅い模様が刻まれていた。鉛筆が突き刺さったような深い深い傷が手のひらのそこかしこに生まれていた。
「ぐ……ぐぅう……」
 痛みに耐える。魔術の触媒となる腕が傷つけられてしまい、治癒魔法を元のように行使できるようにできるまでには割と時間を要する。今現在での行使レベルは二割といったところだろうか、と分析する。止血がじわりじわりと始まる。だが抉られた傷は未だに塞がらない。作った握り拳を開き、閉じ、また開く。大丈夫、まだやれると自分を鼓舞する。
「よし、いこう……」
 新たに降ってきたロボットが、後ろから拳を振り上げそっと迫る。
「むっ!」
 気配を感じ、振り向き、傷だらけの拳でそいつを殴りつける。
 そして、土壇場で新しいことをした。
「はぁッ!」
 傷をつけられた手のひらの空間から水が噴き出した。ロボットを吹き飛ばし、自身も後方のすぐ近くの壁に背中をぶつけた。吹き飛ばされたロボットが、仲間の残骸に足を取られて転ぶ。
 ただの空間から噴き出す水が、推進力としての力を持った瞬間だった。
「……」
 止血済みの拳を見つめながら、思考の導火線に火がつく音を、リフルは確かに聞いたような気がした。
 そこに燃え移った火花は、閃きという名の大爆発を起こすために、じわりじわりと導火線の距離を縮めていく。




*To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 018- 回想、階層、潰走、海葬?

「たいくつだ……」
 魔力を根こそぎ吸い取られるわけでもない。肉体に改造を施されるわけでもない。曖昧で中途半端なままの監禁状態で、どれほどの時間が経過しただろう。
 アプリル・フォルミは海底とはまた別の、退屈に支配された思考の海を遊泳していた。どんなに深く潜っても何かを発見して満たされることはなく、そこに至るまでの努力が報われることも無い。しかし抗う手段はどこにも無く、揺蕩うだけ揺蕩うしかなくなってしまった。例えいくら泳ぎが得意な彼女でも、海面に上がることも海底に到達することも出来そうになかった。
 頭の中で、取り留めもないことばかりを考える。まだ腹時計的な意味で昼には達していないようだが、よくよく考えればごはんをどうやって食べるのだろう。こんな海底でまともな食事が提供されるとは到底考えられないし、あんなことをいけしゃあしゃあとのたまわれても、海面まで返してくれる保証などどこにも無いのだ。
 そこまで考えて、ふと頬に伝う何かを感じた。眦をまさぐる。
「あれ……?」
 初めは信じられなかった。自分が涙を流していることに気が付くまでには少しの時間を要す必要があった。
 気がついたら、アプリルは泣いていた。こんな時に限って、泣くから悲しいのか、悲しいから泣くのか、もうわからなくなってしまい、ドミノが倒れていくように涙腺が決壊していく。くうくうという嗚咽の声は、やがて激しさを増していった。そんな情けない姿を、ネプトゥーヌスにも誰にも見られたくなかったアプリルは、自分の身体が収まっているポッドをごろりと回転させる。うつ伏せになる形で身体が転がり、アプリルの表情は誰にも窺えなくなった。遠慮なく泣くことができるようになったポッドの中で、内壁の強化ガラスに滴がぽたぽた垂れる。
 幸いだったのは、密閉されているおかげで大声を聞かれる心配が無かったことだった。どんなに泣いても、どんなに叫んでも、本当に薄くしか声は漏れない。だが悲しみに囚われたアプリルに、それが本当に幸いな事なのかは分からなかった。むしろ元凶たるネプトゥーヌスにさえ、この身の潰れるような孤独を分かってもらいたいと思った。
 今更、アプリルは気づいてしまう。
 自分のそばにいつもリフルが居たことを。どんなにキツく当たっても、うざったいと感じても、彼はなんだかんだそばに居てくれたことを。その裏に彼女の自己満足欲が潜んでいたとしても、いつでも棺桶となりうる不自由な空間の中で、自分の感情がはっきりと理解出来てしまった。どんなに身勝手でも、流れ落ちる涙はその感情を否定することを許してくれなかった。
 リフルが居なくなって、寂しい。
 そんな感情が心の中になるなんてにわかには信じられなかった。だから、壊れそうなちっぽけな心は、精一杯精一杯強がろうとした。涙は未だ止まってくれない。そばかすを伝い流れ落ちる。
 馬鹿に明るく無駄に陽気な、面倒臭い兄貴分でしか無かったはずだ。なのに。
 死とダイレクトに結びつくポッドの中で、アプリルは静かに回想する。視界の端には、いつもリフルの蒼いバンダナと寂しげな表情があった。それを知っていながら、アプリルはリフルのことを小馬鹿にし続けてきた。でも、それで怒られたことなんて只の一度として無かったことを、今更ながらに思い出した。彼の振る舞いに、自分は多少なりとも救われていたことを、彼が居なくなって初めて理解した。
 だって、あの頃は。
 封印しかけた思い出がふっと蘇っていく。蘇れば蘇るほど、狭いポッドの中に落ちる影がギリギリと身体を締め付けていくようだった。
 また一筋、寂しさが頬に弧を残す。
 だって、あの頃は。ひとりぼっちだったじゃないか。
「……早く、たすけにきて……」
 気がつけば、そう呟いていた。小さく呟いた言葉が、シャボン玉のように行き場なく彷徨い、小さく弾ける。
 ほどけかけたトラウマにぎこちなく蓋をする。いつまた開きだしてしまうか分からないその栓を、なけなしの心で一生懸命押し込んだ。
「ばか……」
 そう付け加えて、彼女はちっぽけなプライドを守ろうとする。無事に帰れたら、思い切り説教してやろう、そんな、独りよがりな誓いを立てた。
 明るすぎる部屋の中で、誰にも聞こえない嗚咽がいつまでもいつまでも止まないでいる。


「ひとつ質問させてもらおう」
 ジノグライは問いかける。
「どうしてあの生意気な娘のためにそこまで頑張るのだ?」
 リフルは、その質問に対して渋い顔をした。それは一瞬で、むしろその後に穏やかな笑みを見せる。
「知らない人は、確かにアプリルのことを生意気だと思うかもしれない……ね」
 そう始めて、リフルは下の階層を目指しながら言葉を紡ぐ。
「両親が離婚したんだ、あの子」
 陰の残る顔で語り始めた。
「多分、アプリルがああなっちゃったのもそれが理由。離婚したワケは僕にもよく聞かされてないんだけど、きっと相当トラウマになっちゃったんじゃないかな」
「……」
「運の悪いことには、その頃誰も引き取り手が居なかったんだって。 家計が苦しかったとかそんな曰くつきの子を引き取るなんて嫌だ、とか、そんなところじゃないかな……近しい親戚に打診してみても全滅、遠い親戚たる僕らが引き取って、やっと……ということでさ、彼女は人を信用しなくなっちゃったんだよ……悲しいことだけど」
 リフルが言葉を切った。息を吐く。
「僕はそんなアプリルがきちんと生きられるように、できるだけ一緒にいてコミュニケーションをとっていきたいな、ってずっとそうやってきた……あの子のことを支えてあげたいな、って思ったから」
「……」
「まぁどこで間違ったのか僕は尻に敷かれてばかりだけどねー」
 ハハハ、と乾いた笑いを漏らす。随分と深くまで来たが、まだ最深部が何処なのか分からない。いくつ扉を通り過ぎたのだろうか。
「だいたいそんな感じだよ、分かってくれたかい?」
「……分かって、というのは押し付けだと思うんだが」
 ジノグライは返す。
「当事者じゃないから俺に感情移入は出来ない、俺はただ戦えればそれでいい、お前にもきちんとした理由があるのは分かったが……」
「……ジノグライ、君って随分と冷たいんだな」
「ああそうさ、何も言うなよ……分かりきっていることだ、情に棹させば俺達は脆くなるんでな、そんな面倒なものなど機能させたくない」
「それでもアプリルは僕にとって大切なんだ!!どうしてこんなに冷めてるんだよ!?」
「情など持つのは面倒だと言ってるだけだ、それを前提で助けに行きたいなら勝手にすればいい」
「何を――」
 一触即発の状態でオレンジの閃光が走った。それはジノグライの着ている上着の袖を焦がす。
 ふと地面を見ると、無数の小さな穴が空いていた。その意味をジノグライは一瞬でゾッとするような感覚と共に理解する。
「走れ!!」
「え!?」
「この床も壁も、全てレーザーの発射口で埋め尽くされているぞ……!!」

 潰走。
 汗で前が見えなくなるほど走っても、オレンジのレーザーはひっきり無しに二人を追いかける。嫌がらせのように前方に配置される機械兵団の群れを、電撃レーザーと水流で薙ぎ払う。しかし、どこまでも走る二人の体力も限界が近づいてきた。
「くっ!?」
 驚愕したジノグライの眼前にひときわ大きな扉があった。そこまで辿り着き、死に物狂いで扉に手をつく。振り返ると、絨毯のような発射口はそこで途切れていた。
「……」
「……」
 息を切らしながら、しばし二人で見合う。恐らくこの扉の先に、あの忌々しい元凶が待っていると、二人ともが直感で分かった。黒いオーラが、扉の向こうから滲みだしているように思える。
「……なんでここでわざわざ休むような隙を与えたんだろう?」
 リフルは問うた。ジノグライはふと見上げる。
「どうやら奴の辞書に『慈悲』って単語はねぇみてぇだな……!」
「は?」
 つられてリフルも頭上を確認すると、
「えっ……!!」
 吊り天井。
 そう呼ぶに相応しい挙動で、天井が徐々に下がっている。落ちてくる天井を避けようともと来た方向に下がれば、レーザーの餌食と化す。御丁寧にもその天井の底面には、びっしりと鉄製の棘が生えていた。ひとつひとつは、まるで氷柱のように大きい。
「休憩もさせてくれないなんて……」
「そもそもこの扉はどうやったら空くんだ?」
 扉の右横を見ると、丸いボタンが二つあった。赤のボタンと青のボタン、それぞれ手で押せば簡単に作動しそうだった。しかし。
「二つ……?」
「一方は扉が開いて、もう片方は……」
「この天井が落ちる」
 戦慄が奔る。氷を一気飲みしたかのように、リフルの身体が冷たくなっていく。
「どうすれば……どうすればいい……!?」
「慌てるな、だが……」
 そのほかにボタンめいたものは無かった。あちこちを探しても、迫る天井と扉以外に配線も凹凸も無い。つまり詰みの状態に置かれていた。
 打開策はただ一つ。
「押すか、押さないか、か……」
 ゆっくりゆっくり吊り天井は迫る。それが逆に、二人に恐怖と焦りを与えていく。しかもいつボタンと無関係に天井が落ちても、決して不思議では無いのだ。
「どうしよう……」
「……俺が赤のボタンを押す、お前は青のボタンを押せ」
「えっ、それは……どうしようって?」
「……そうしたら……」
 一呼吸置く。
「二人で一息に扉の中に駆け込む」
「……正解はどっちかだから……ってことで?」
「そういうことだ……ノータイムで一気に、だ」
「……大丈夫だよね?」
「ンな事俺に訊くな」
 ジノグライが顔を背ける。
「そういう心配は命が無事だと分かってからしろ……ひとまずここを超えなければ、あの性根がねじけたアイツは倒せない」
「う、うん……そうだね」
 赤のボタンに義手の手がかかる。青いボタンに人肌がかぶさる。
「僕が合図するよ」
「……勝手にしろ」
 力がこもる。
「さん!」
 緊張。
「に!」
 闘志。
「いち!」
 フラッシュバック。
「ゼロ!」
 カチリ、と二つの指は強く深くボタンを押し込む。
 次の瞬間、はじかれたように飛び出し、あるいは身体を折り、左へ向かって駆け出すと、そこにある扉は少しずつ中心から二つに分かれるように開き始めていた。
「クソッ!」
 ジノグライが身体をねじ入れるようにして部屋に踏み込む。同様にしてリフルも続く。そしてリフルの左脚が回廊から消えたとき、
「!?」
 ガシャーン!!
 吊るされた天井が廊下に落ちて、凄まじい音を立てる。
「!!?」
 それによる衝撃もそこそこに、今度は大部屋に満たされた光で二人は目を閉じてしまう。思わず腕で目隠しを作るほど、部屋には光が洪水のように溢れていた。
 そこに、影が出来る。
 ザシュッ、と音がする。
「ぎゃあぁぁ!?」
 リフルの悲鳴が聞こえた。何か鋭利な刃物で抉られたような、何かを引き裂いたような、そんな音が連続で聞こえる。
「ぬあッ……!?」
 ジノグライも悲鳴が漏れる。焼けるような鋭利な痛みが背中を支配する。なんとかこじ開けた目の前に、ネプトゥーヌスがいた。
「ふふふ、やあぁ、まずは君たちから海葬してあげようかぁ」
 限りなくヒトに近いとはいえ彼もまた機械、その拳がジノグライの腹を貫く。
「ごはっ……!?」
 そのまま後方へ転がされてしまった。さらにネプトゥーヌスの拳には棘がついていることも、衝撃と共に理解した。シャツに四つ分の穴が開き、それぞれ血の滴が垂れる。
「アプリルを出せぇえーっ!!」
 リフルがなんとか目を開けて叫ぶ。ネプトゥーヌスは意外にも、彼女が入っているはずのポッドを、二人の目の前に持ってきた。
「……!」
 安堵の溜息が漏れる。泳いでいた状態ゆえに水着しか着ていなかったが、アプリルに目立った外傷は無く元気そうだった。むしろポッドを破壊しようと、アタックディレイの能力をここぞとばかりに使っている。その頬に涙の痕が見えたような気がしたのは気のせいだっただろうか。
「ふふふ……」
 するとネプトゥーヌスは足元の箱から小型のタイマーを取り出す。そこには『9999』と表示されていた。ポッドに取り付ける。
「これは……まぁ言わなくても分かるだろうけどぉ、頭の悪い君たちにも教えてあげると、時限爆弾なんだよねぇ」
 その言葉が言い終わる前に、時限爆弾からナイフが生えていた。中の回線がショートし、爆薬を使い物にならなくさせる。ゴミを見るかのような目でネプトゥーヌスはリフルを睨んだ。
「それ以上何かをしようってんなら、僕はお前を死んだとしても許さない」
「今まで俺たちを散々コケにしやがって……タダで済むと思わないでもらいたいな」
 ナイフを投げたリフルも、義手を帯電させ始めたジノグライも、もう明るさに目が慣れていた。まっすぐにネプトゥーヌスを睨み返す。
「ふぅうん……」
 するとネプトゥーヌスはゲッソリと落ち窪んだ笑みを浮かべる。
「ひとつ教えてあげる、あのボタン、どっちも正解だったよ?」
「!?」
「どっちか押せば、何の労苦も無く入れたよ?」
「……!!」
「早とちりなんかしちゃってさぁ……バアアァーーーーーッッカじゃないのおおおぉぉぉぉぉ!!??」
 下衆な笑いが大部屋にこだまする。ワナワナと、ジノグライの拳が揺れ動く。火花が散る。
 絶対に許せない。その心が、熱く激しく燃え上がっていく。

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*To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 017- 突撃! ネプトゥーヌスの牙城

 カン、カン、カン、と可愛げの無い音がする。
 内壁に打ち付けられているカスガイのような階段をひっきりなしにブーツが、スニーカーが、ローファーが踏みつける。
 傾斜したままの梯子を、四人は歩いていく。一番底まで辿り着くと、円形の広い空間に出た。その横にはかなり奥に続いているらしい廊下が、海の底へと向かって延々と伸びていた。
「廊下の壁は硬そうだね……」
「窓もまた分厚そうだし……」
「この廊下を延々下るということか」
「だってそれ以外に道はないじゃない」
「分かりきったことを言ってくれるなよ……」
「ゴメンゴメン」
 ミリはぽりぽり頭をかく。
「早くアプリルを助けに行かないと」
 言うが早いか、リフルは先頭に立って廊下を走る。その後ろに肩をすくめたジノグライが続く。ミリがついていき、ハンマーはしんがりだった。
「何の罠も仕掛けてないとは到底思えないんだが」
「海中だし……叩き出されたら一瞬でアウトだよね」
「だが向こうにもリスクはあるわけだ、廊下に穴を開ければ電気で動いているらしいこの基地がどうなるかは分からん」
「廊下に……穴……?」
 リフルが立ち止まる。一行全員が立ち止まる。
「……どうした」
「……なんでもない」

 海面に程近い廊下では、海面からの光がそのまま照明のように差し込む。その蒼い光は、敵の基地ながら幻想的な光景を作るのに一役買っていた。
「……綺麗」
 ぽそりとミリが呟いてしまう。彼女の目の前で、空間が捻じ曲がる。
「キャッ!?」
「危ない!」
 リフルの声が飛ぶと同時に、捻じ曲がった空間から黒い機械兵団が三体現れる。ミリの目の前、前方、後方に。
「でぇい!」
「ふんッ!」
「えいやっ!」
 ハンマーの大金鎚が空気を薙ぎ、一撃で後方のロボットを入り口まで吹っ飛ばす。
 ジノグライの電撃が、長年の経験から弾き出された勘に従い正確にロボットのカメラアイを射抜く。
 そしてリフルが前方に向けて水流を放った。その先にはロボットがいたが、押し流されるだけで破壊には至ってない様子だった。
「ならば!」
 今度は虚空から一点に衝撃を凝縮させた水流が、今度は正確に胸部を抉った。爆発こそしないが、火花を散らしつつ廊下に倒れこみ沈黙した。
「……」
「やった?」
「ああ」
「やるじゃない!」
 花のようなミリの笑顔がリフルに向けられようとした次の瞬間、頭上からザザ、と砂嵐の音が奔る。
「!?」
 いきなり現れたと言われても信じ込んでしまいそうなほど、そのディスプレイは存在感を消していた。画面が点灯したにも関わらず、「SOUND ONLY」の文字が空しく表示される。だが、スピーカーから聞いた粘ついた声が、確かにここでも流れ出したことが分かった。
『小手調べにもならない……といったところかな?』
 いつの間にか入り口近くのような広い円形の空間に出ていた。ディスプレイの向こうから、ネプトゥーヌスの声がする。向こう側にいるはずのそいつから見て、左からリフル、ミリ、ハンマー、ジノグライの順で横並びに並んでいた。
「アプリルを返せ!」
『おーっと、言い忘れてた、この音声は事前に録音されたものをそのまま流してるだけだよーン』
「交渉が無意味……と」
 ジノグライが歯噛みする。
『ふふぅ、苛立つ気持ちもよぉくわかるよ、だからここで君たちへとーっておきのヒントぉ!』
 顔をめいっぱいディスプレイに近づけたような音がした後、ネプトゥーヌスは宣告する。
『この基地はゆるやかな螺旋を描くように海の底まで続いていまーす、丁度ウオータースライダーと呼ばれる人間の大きな玩具を沈めた感じでーす。君たちにはこの基地を底に向かってずんずん下っていってもらいまーす……するとどうでしょう、あらびっくり! 最深部でボクの洗礼を受け、抵抗むなしく皆殺しにされちゃいまーす! ふぅー! あはははは!』
 楽しくてしょうがない、といった画面の向こうから、ネプトゥーヌスの言葉はガラスをばら撒くような苛立ちを与えている。抵抗しないのは、交渉が無意味だと分かっているから、まだ誰も黙っている。
『そしてもう一つ……扉が基地の各所に設置されてるけど、専用のカードキーが無いとビクともしないよ、そのへんよーく心得て、くれぐれもこじ開けようなんていうばっかばかしいマネはしないように……ィ』
「開けてくれって言ってるような気もするけど……」
「君の怪力があればいけるでしょ!」
「扉にどんな細工がされてるか分からないから……」
 リフルとハンマーが会話を投げ合う。小気味よいキャッチボールが、ネプトゥーヌスの声で中断される。
『でもね』
 ネプトゥーヌスは声のトーンを下げた。
『この基地のどこかに、開けっ放しの扉があるんだよねぇ、そこには今アプリルちゃんが囚われてるのと同じ機構の円柱形ポッドが安置されてるんだ』
「……?」
『何が言いたいか? そんなの簡単だよ』
 いやらしい声が、全てを凍てつかせるもののそれへと変貌した。
『いつでも逃げていいんだよ』
「……ッ!!」
『その代わり、アプリルは』
「なっ」
『殺す』
 宣告。眩暈。残響。
 ひどく現実離れした言葉がわんわんとリフルの頭の中で響く。夢と現の境界がぶれていくその刹那、引き戻すように明るい声がする。
『まっ! よーは君たちが無様ーに命をこのボクの前に投げ出してくれれば、アプリルを殺しはしないよ、無傷のままで海面まで返してあげる』
 違う。リフルは思った。
 そんなのは彼女のための救済にはならないと確信した。壊れた世界をもう一度元に戻すには、僕があの子の傍にいなきゃいけないと、最初からリフルは思っていた。
 違う。そう、ジノグライも思った。
 そんなことをわざわざ言うまでも無く、あのトチ狂った性格の基地の主なら、全員を皆殺しにするぐらいは余裕でやりそうだと思ったからだ。性格もイラつく、気に入らないからこの手で始末しなければとジノグライは思った。
『さぁーて……お楽しみはこれからかな、君たちを蹂躙するその瞬間がボクは今からたぁのしみで楽しみでたまらないよ!!』
「なぜ私たちにここまで教えてくれるのかしら……」
 ポツンとミリが呟く。
『ふふふ、ディスプレイの前の愚かな子羊たち、なんでそこまで親切に教えてくれるのかって疑問に思ってるでしょ? そうでしょそうでしょ?』
 まるで聞こえていたかのようにネプトゥーヌスが喋りだす。
『それはねそれはね……ボクが最深部で君たちを始末するっていうぜッッッッッたいの確信があるから……それだけだよぉ、それだけだよぉ! ギャハハハハハハハ!!』
「こいつ……!!」
 ギリギリとリフルは奥歯を噛み締める。
『さてさて、せーぜー頑張って最深部まで辿り着いてアプリルを取り返してみなよ、待ってるから! アハハハ……いやいや、愉快だねぇ愉快だねぇ、まさかボクの話にこんなに耳を傾けてくれるなんて思わなかったよぉぉお』
「は……?」
『アハハハハハハハハハハ……うしろ!うしろ!アーッハハハハハハハハハハ!!』
「なっ!?」
「伏せて!あるいは跳んで!」
「えっ!?」
「なに!?」
 ジノグライ、リフル、ミリ、ハンマー。
 スローモーションでゆらりと全ての風景が動いていく。ハンマーの視界に、後ろを振り返るミリと、横っ飛びに跳ぶジノグライと、伏せるリフルの姿が見えた。あれれ、どうしたんだ? 何をそんなにみんな、
 慌てて。
 ……?
 え?

 どすん。
 じゃこん。
 ふたつ分とふたつ分の衝撃は、空間を揺らすより、誰かの心と身体に、凄まじい揺らぎを起こした。
 ハンマーの視界の左に、鋭利に先端が尖った細長い鉄棒が見えた。瞬間、目の前を赤く感じ、暗転し、耐え難い痛みが迸った。
「あぁああああああッ!!」
 悲鳴が混濁しかけた意識を呼び覚ます。その悲鳴の主は、すぐ右隣にいた。
「うそ……だ……」
 ハンマーとミリの背に、深々と鉄棒が突き刺さっていた。
 力が抜ける。多量出血が二人を襲う。
「ああっ! 二人とも!!」
「ぼやぼやするな!」
 ジノグライが渇を飛ばすが、その台詞より前に、ジノグライはネプトゥーヌスの話を聞いている間に背後に回りこんだ機械兵団四体を、たちまち半壊へと追い込んだ。そしてリフルをギッ、とねめつける。
「……お前に出来ることをしろ」
「え、えっ……!!」
 がっくり膝を突いたハンマーに右手を、つんのめって床に倒れ伏そうとしているミリに左手を、リフルはそれぞれかざした。一瞬二人の身体が琥珀色の光に包まれたかのように見え、少なくとも出血は治まった。
「……応急処置の治癒魔法」
「……」
「習ってたのか」
「う、うん……」
 何も言わず、ジノグライは不恰好にミリを抱え上げる。リフルは比較的軽症なハンマーを抱え起こして歩くように促す。大金鎚を抱え上げられるだけの体力すら、ハンマーには残っていなかった。がりがりと床を削り、まだその場所の分からない、ポッドの置かれる部屋へとゆっくりゆっくりと歩を進めていく。


「こうしていると葬送するみたいだが」
「勝手に殺しちゃダメ、縁起でもないこと言わないの」
「俺だって心底気持ち悪い、吐き気がする」
「全く……」
 意識があるハンマーは、やはりジノグライと漫才をしている。対してミリは意識が無く、早々にポッドに入れられた。
 ハンマーは左三角筋のそばを、ミリは肩甲骨を、それぞれ抉られていた。現在普及している魔術なら、病院に運べばすぐに治る程度の怪我ではあるが、電波の届かない海底では、ジバを介してシエリアを頼るのは絶望的だったし、この近くの地理も知らなかった。
「目を瞑ってくれたままだったから良かったと言うべきか何と言うか……」
 そうぼやいてミリをポッドに入れ終えたリフルの上半身は、裸だった。ミリの身体には、血に染まったパーカーに纏わりつくように、リフルの着ていた長袖シャツが破られて巻かれていた。せめてもの気休めにと、リフルがシャツを脱ぎ捨て引き裂き、包帯代わりにしたものだった。応急処置の魔術はかけたものの、いつ傷口が開くか分からない、というのはかけた本人の弁である。なんでも、アプリルがしょっちゅう怪我をするから慣れている、とリフルは語った。その応急処置の甲斐あってか、ミリはすうすうと寝息を立て始めた。本当は傷口を水で洗い流したかったが、何も持ってきてないので諦める。ハンマーにも、半分に千切ったシャツで同じ処置をしていた。
「腕とかだったらまだバンダナがあったけど……」
「……なんかゴメンね?」
「なんでハンマーが謝るのさ」
「もうちょっと早く避けられてたら……とか」
「そういうの思い始めたら夜も満足に眠れなくなるから、な!」
「あ、あぁ……」
「君たちの敵は僕らが必ず討つ!」
「だから勝手に殺さないでッ……つ……ぅ!」
 傷口が開く感覚がある。苦痛に顔を歪めたハンマーは、思わず声を漏らした。
「ハンマー……」
 ふつふつと怒りが湧き上がる。
「こんな卑怯なマネをされたら僕だって絶対に頭にくる! アプリルに手をかけたばかりか、新しい大切な友達まで……!!」
「……」
「ジノグライ!!」
「……わーったよ」
 しゃがんでいたジノグライが腰を上げる。
「目に物見せてやるんだ……僕たちを怒らせたらどんな目に遭うかを!」
「おいおい俺まで巻き込むな」
「あんなことされて何も感じないわけ!?」
 リフルが噛み付くが、ジノグライは涼しい顔で受け流す。
「勘違いするなよ? 俺は巻き込むな、と言ったんだ」
 リフルに対して声を投げる。
「俺だってムカついてることには全く変わりは無いんだからなぁ……っ」
 怒りに歪んだ顔が見える。でも、リフルは思った。ジノグライが怒るのは、ミリちゃんやハンマーのためじゃなくて、きっと『勝負』『戦い』といった土俵を、穢されるのが嫌だったんだろう、そういうことなんだろう、と悲しいかな察しがついた。
 それでも、前を向いて歩を進めるしかないんだ、とリフルは自分に言い聞かせた。
 下を向くことしか出来ない回廊の中で、確かに気持ちが妖しく昂ぶるのを、ジノグライは感じ始めていた。

「……お前、ところでポケットの中のナイフはどうした」
「えっと、ちょっとミリちゃんから一本失敬しちゃった……」




*To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 016- 海面を見下ろす少年と海面を見上げる少女

 遠くから、ぶつぶつと怨嗟の声がする。
「アプリル……アプリル……迎えにいく……許さない……許さないよ……許さない……」
 完全に我を忘れた様子のリフルが、もごもご口の中で呟いていた。
 ジノグライが後ろを振り返り、ハンマーに耳打ちする。
「……あいつ黙らせられねぇか?」
「怒りに我を忘れてるよ……というか、僕に言うなんて珍しいね」
「……直接言ってもメリットが無さそうでな」
「まぁ……そうか」
 四人はヴァッサー海岸の砂浜を歩いていた。自転車を使おうともしたが、我を忘れているリフルがまともに操縦できるのかは怪しい所だったので、今回は見送り、ジバが転送することにした。
 そうすると、やはり当然時間がかかる故、そこでジノグライは苛立ちを感じる。ミリとハンマーは、他二人の様子を見ては、諦めているムードを漂わせていた。今、特にリフルに「買えば元凶を倒せる」とキャッチコピーをつけた安物の壺を高額で売りつけてもほいほい購入しそうな気がする、とミリは思い、いやどうだろう、と想像を浮かべたり萎ませたりしていた。
 指定された岩礁は、アプリルが泳いでいた場所よりも遠めの位置にあった。安定した崖が張り出し、ここなら自殺がしやすそうだ、とついジノグライはえげつないことを考えてしまう。
 崖の一番前方まで身を乗り出すと、崖に当たって砕ける波頭が良く見えた。白く瓦礫のような水を吐き出し、海へと再び還っていく。
 特に何も見当たらないので、ジノグライは手前に向き直り、ふよふよ浮いている通信機に尋ねた。
「ジバ、ここなんだろうな?」
『指定されたのはここのはずなんだけど……』
 そう話していると、死にかけの目をしたリフルが崖の先端に身体を動かす。
「あぶないよ!」
 ミリの叫びが聞こえた次の瞬間、
「ぐ!?」
 リフルの脚に黒く長い触手が絡みついた。凄まじい力でリフルを引っ張ると、海面に叩き落そうとする。脚をすくわれ、崖の上からバンダナの残影が消えた。
「リフルッ!」
 だが、不思議なことに水面に叩きつけられた音も、尖った岩に身体を貫かれる音もしなかった。むしろ、ボートに乗ったときのような、ごとんとした音が……
「ボート?」
 自問自答したミリが崖の淵に駆け寄ると、キョトンとした顔のリフルが五体満足なままで座っていた。
「……なんか知らないけど」
 彼が座っていたのは、真っ黒い舟のような物体だった。そこから触手のようなものが這い出し、リフルを引っ張ってきたのだとわかる。
 次の瞬間、三人の脚にも同じような触手が纏いつく。引きずられて怪我をしないように、あえて歩き出し、三人は崖から跳んだ。黒い舟は新しい搭乗者を乗せやすいよう、瞬間的に大きくその面積を膨らませる。硬い素材に変化したままで、三人の身体が受け止められた。すると舟の面積はあっと言う間に縮まる。人口密度が高まる。
「……目が覚めたか」
「……おかげさまで」
 リフルは憑き物でも落ちたかのような顔をしていた。
「目が覚めたよ……僕が冷静じゃなかったら、今のように僕は絶対に足元をすくわれていて……そして死んでいたんだと思う」
「バカ」
「ジノ!」
「ハンマーはその名で呼ぶな、うるさい」
 苛立ったようにジノグライがリフルを罵倒し、彼は縮こまる。見かねたハンマーの言葉は弾かれたが、ジノグライは続けた。
「お前が今から向かおうとしているのはひょっとしなくても死と隣り合わせの場所だ、そんな場所に怒りに囚われたお前がのこのこ立ち入ってホイホイ死んでいくなんてことは俺が絶対に許さない、お前には」リフルの顔を正面から覗き込む。「戦うだけの度胸と覚悟はあるか? 無いなら得意な泳ぎで敵前逃亡でも何でもすればいい」
「そんな!」
 ミリは悲鳴を上げたが、彼女はその本人の顔を覗き込んだ。泣きそうだった顔が、唇を噛み締める。
「分かった」リフルが言う。
「僕にはそれだけの覚悟がある、アプリルを助ける、僕はそのために、死と隣り合わせの牙城に乗り込むよ」
 ふん、とジノグライが鼻を鳴らした。
「懸命だな、ならそれがせいぜい偽りにならないようにしっかりと戦え、生憎とチャンスは一度なんだ」
「うん!」
 言い終わったそのとき、舟が加速を始める。それはモーターボートのように、四人を少しずつ沖へと運んでいく。
「でも……」リフルが問いかけた。「なんでそんな危険な場所に、ジノグライはわざわざ行こうとしてるの?」
 少しだけ沈黙が降りる。次の瞬間ジノグライは口を開いた。
「愚問だな」
 義手と化した指を立て、その次の答えを即答する。
「そういう命を賭したやりとりが、何より楽しいからに決まっているからだろう?」
 その答えを聞いたリフルは、彼の中に確かに巣食う病魔のような、それでいて銀のように輝く純粋でまっすぐな狂気を、ジノグライの横顔の中に見た気がした。
 再び沈黙が舟の上を支配し、誰も何も言わないままで黒い舟は大洋へと滑るようにその身を進水させていく。

 眩しい光で目が覚めた。だが、どこか狭いような、閉塞感が漂う光だった。
「おぉやおやおや、目が覚めたようだねぇ」
「!?」
 硬いガラス越しに声が落ちてきた。リフルのものでも、ジノグライのものでも、あるいはハンマーのものでもない、粘つくようないやらしい声が落ちてきた。
「ふふふぅ、フェーズ・ワンは成功……と言ったところかな?……滞りなく進んで良かったよ」
「な、なにやってんのよ!今すぐここから出しなさいっ!」
 アプリルの声がどんなに大声でも、薄くしか向こうには届かない。
「おおーっとぉ、そぉいつは出来ない相談ってもんだよ、まぁ安心してよ、君にはなんにもしないから……なーんにも、ね……」
 改めてまじまじと、アプリルは覗き込んでいるそいつの顔を見た。人間と遜色無い顔立ちのひょろっとした男性だった。しかしその目は狂人のように濁りきり、目の下には隈が出来ている。
「君にも理解できるカンタンな言葉で教えてあげようねぇ」
「なめたマネしてくれちゃって……」
「君は人質になったのさぁ……君は君のためにやってくる哀れな仲間たちがやられる所を指をくわえて見ていることしか出来ないってわけさぁあねぇ」
「……」
「改めて自己紹介しよう……ボクの名前はネプトゥーヌス……楽しいことが大好きなのさ」
「なによ!こんなことぜんっぜんたのしくないじゃないのよ!」
 アプリルの身体が壁を叩く。七回に分けられた衝撃は、壁をビリビリと振動させるだけにとどまった。
「おーやおや、暴れるのもいいけどそういうのはまーったく打開策にならないよ、諦めて諦めてぇ」
「くっ……」
「この潜水ポッドは君が与えられる限界の衝撃でも壊れないんだよねぇ……あっきらめて、あっきらめて!」
「うるさいうるさい!!」
 アプリルは噛み付くが、引っかいた程度の抵抗にもならない。
「……なにもしないのよね?」
「そうだけどぉ?」
「……じゃあここはどこなのか、教えてくれたっていいじゃないのよ」
「……」
 ネプトゥーヌスは一度黙ったが、嫌な笑みを浮かべて答えた。
「いいよ、教えてあげる」
 くつくつと含み笑いをし、口を開く。
「最深部、だよぉ」
「……」
「囚われのお姫様は一番奥に居るっていうのは……お約束でしょうぅ?」
 アプリルの目がガラスの外を見る。抵抗が無意味と知ると、アプリルは抵抗をやめた。体制を変え、ポッドに収まったままごろりと転がる。
 潜水ポッドはERTにも似た円柱形をしており、アプリルが動くことによりごろごろと転がることができた。それについてネプトゥーヌスは干渉しなかった。
 よく見てみると、部屋の照明は煌々と照らされており、目が潰れるほど眩しかった。その中で黒尽くめのネプトゥーヌスの姿は、やたらと際立って見えた。
「ふふふぅ……」
 ガラス越しから見る含み笑いをするネプトゥーヌスの姿は、心なしか黒いオーラを纏うように見えていた。

ようこそようこそ、愚かな勇者の皆様方ぁ……挨拶をしておきましょう、ボクがネプトゥーヌス、アプリル・フォルミを攫い、君たちをここまで引き込んだ張本人ですぅ……』
 主犯たるネプトゥーヌスの粘っこい声は、海面からそそり立つスピーカーから聞こえてきた。そしてそのスピーカーの横には、マンホールにも似た縦穴の入り口の蓋があった。どうやらそのさらに横の岩礁に突き刺さった構造をしているらしく、またかなり広く造られており、四人が普通に入っても余裕がありそうなほど大きな穴だった。あたりを瓦礫が覆い、人ひとり程度なら周りの瓦礫に乗っかり蓋を開けられるようになっている。穴の角度は斜めに傾きカスガイのような取っ手が打ち付けられており、ここを引っ張り縦穴に侵入できるようにもなっていた。やはり出来すぎと疑われても仕方が無いつくりだった。
「この中にそいつが……」
「出来すぎなような気がするけど?」
「相手はこちらを舐め切っているのだろうからな……これぐらいしてくるんじゃねぇか?」
 いち早くジノグライが舟から飛び降り、瓦礫に乗り移る。縦穴の蓋を開き、さっさと縦に作られた壁梯子を伝って降りていってしまった。
「……罠があるかも分からないのに」
「じゃあジバさん、あとは頼みました」
『……骨を拾えばいいのかな?』
「笑えないなぁ」
「骨すら水圧でぺしゃんこになってそうだしね」
 笑えない冗談を飛ばしあいながら、リフル、ミリ、ハンマーと一人ひとり順番に縦穴を降りていく。カンカンと足音が響き、やがてそれも聞こえなくなっていく。一部始終を、通信機越しにジバは見ていた。
『えっ』
 浮遊する通信機には関係の無いことだったが、四人が縦穴に入って姿が見えなくなった途端に、彼らを乗せていた真っ黒な舟は海の底へと解けていった。激戦を通信機越しのジバは覚悟し、ひとりごちる。
『大丈夫かな……あいつらが無事で帰ってこれるかどうか……』


「おい、聞いたか?」
「ああ、一応な……」
「やっぱり噂にはなってるらしいな……本当か嘘かは判別しがたいが」
「その……本当なのか? ニックス家の坊主がまだ帰ってこないってーのは……」
「なんでもいつも一緒の親戚の娘っこも帰ってこないとかどうとか言ってんだよな」
「なーんでまたそんな噂が……」
「いや、それがな……」
「どうかしたのか」
「『噂話だ』って一笑に伏すことは出来ないかもしれんぞ?」
「お前それ本気で言ってんのか?」
「あぁ、本気だ」
「なんでまたそんなに熱が入ってんだ」
「俺が……」
「俺がなんなんだ?」
「……あの坊主が自分用の潜水艦を持ってるのは有名だろう?」
「あー、あんな若いうちから高いものに触れちゃってぇー、ってオイラは思うけどねぇ」
「そいつの潜水艦の窓にヒビが入った状態で岸に接岸されてるのを俺が見ちまったんだよ!」
「……は?」
「分かりやすく言うとだな」
「言い直さなくていいぞ、外敵から襲われた……って言いたいんだろう」
「アタリだ」
「お前が見たときはもう接岸されてたんだな?」
「あぁ……窓の部分を上にして辛うじて浸水しないようにしていた、もっと言うと子供がやったような稚拙な防護膜のようなものも張られていたようだがな」
「なんでそんなおっかねえことしやがるんだが……」
「巨大貨物船にはねられたわけでもなさそうだし、手榴弾を投げ込まれたことも無い」
「……最近変な生物も水揚げされてるよな?」
「俺には一連の流れが全部繋がってるように見えて仕方ないんだが……」
「おいおい、縁起でもねぇこと言わないでくれよぉ……オイラだって怖いんだからよぉ……」
「何であっても、ニックス家の坊主が爽やかで気の良い奴だったことには変わりは無いだろう、手伝ってやれたらいいんだが……」
「オイラたちに出来ることねぇ……なんか海をパトロールして、怪しいものを見つけたら皆で報告するとか、そういうことぐらいならオイラにも出来そうな気がするぜぇ」
「有志を呼び集めて会合を開こう、あいつらが無事かどうかは俺だって気になる」
「夕飯時ぐらいまでには帰ってきてもらいてぇよな」
「のんきな事を言ってないでさっさと捜索しに行ったらどうなんだ」
「へいへい……カリカリしなさんなってーの……」




*To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 015- 仲違いしたままの別れがどれほどつらいか、君は考えたことがあるかい

 幾千幾億のあぶくが艦体を包む。それらが晴れると、蒼い海の景色が丸窓いっぱいに広がった。
 所謂大陸棚と呼ばれる部分を、リフルたちの乗る潜水艦は潜航していく。あまり沖には出ないように、それでもちょっとずつ陸から離れていく。
「いい? よく聞いてほしい」とリフルが問いかける。
「海にゴミを捨てるようなことだけは、」リズムをとるかのようだったが、力強く声を紡ぐ。
「絶対に、ぜったいに……ダメだからね」
「怖いよ?」
「はっ」
 声だけを聞いているハンマーからの指摘で気が付いたが、そんなリフルの顔はギャグ漫画かと思うほど怒りに歪んでいた。そんな自分に気づいて彼は慌てた。周りにはひとりだけなのを知り、密かにホッとする。
「……ご、ごめんごめん……つい熱くなっちゃって……」
 バンダナ越しに頭をぽりぽりと掻く音が操縦席からも聞こえてきた。
「でもさ……学校とかで習ったんだよ、人類の遠い遠いご先祖様はみーんな海から生まれて、僕らはその末裔だって……それで、その時の記憶が身体にも染み込んでいるかどうかはわからないけど、僕らの身体の主成分も海にとっても似てるって……」
 操縦桿を握りながら、リフルは声を落とす。
「初めてその話を聞いたとき、ああ、ロマンチックだな、素敵だな……って思ったんだよね」
 それは彼にとって、少しだけしょっぱく、それでも大切な記憶だった。
「だから、僕は海が好き。そこに住む魚も好きだし、イソギンチャクもヤドカリもヒトデも……全部」
 だからこそ、と彼は付け加える。
「全ての生き物の故郷だった海を、汚すような人間になりたくない……ジノグライたちにも、アプリルにも、そうであって欲しいなって思ったんだ」
 ほぅ、と息を吐き、リフルの演説は終わった。
「……しかし、ここまで聞いてはみたが、俺にはそれだけとは思えないぞ」
「え?」
 ジノグライの声がリフルの集中を妨げる。
「もっと別の原因があるように俺は思えて仕方がないんだが」
「……そ」
「そ?」
「そうなんだよおおおおおおおおおお~~~~~~~~~~~~~~~~!!!!!」
「いきなり大声出すな! 心臓に悪いだろうが!」
「わぁびっくりした……!」
「……!!」
 突然のリフルの大声に、席に座っていた三人は例外なく弾かれたようなリアクションをとる。
「……で、何なんだい?」
「それが……」
 リフルは言葉を詰まらせる。まるで、今にも泣き出さんばかりの言葉の詰まらせ方だった。
「父さんが漁師なのは……言ったかな? それでね、水揚げされた網の中から……」
 先ほどの声の紡ぎ方とはまったく逆の、弱々しい声の紡ぎ方は、聞いている人間を不安にさせる。
「なんだか……黒い……変な化物みたいなのが……たくさん水揚げされたって」
「なんだと?」
 ジノグライが声を上げる。
「機械のような質感だったのか?」
「わからない……父さんの話だと、まるでヒトデのように、硬いけど金属のような硬さじゃなかったって」
「『奴ら』と……関係があるのか?」
「そのせいで、この辺りの海域の生態系が崩れ始めてきてる、って……父さん言ってたんだ」
「それは……深刻じゃないの!」
「うん……潜水艦とかを調べて調査してるけど、あんまり結果は思わしくないみたい……」
「打つ手が無い……って感じなんだね」
「つらいことなんだけど……」
 リフルはすっかりしょげかえってしまう。
「海を守りたいだけなのに……なんでこんなことするんだろう……」
人為的な介入がはたらいてるとは思いたいね……」
 ハンマーは同情する。
 どすん。
「えっ」
「ぎゃっ!」
「わっ!」
「……?」
 四人がそれぞれ驚いたすぐあとに、
「がぼがぼががばぼごっぼぼごぼごぼごばばばごぼぼ」
 文字通り泡を食う声が聞こえた。
「この感じ、もしや……」
「げげー……やっちゃったというか……」
 潜水艦は一旦急速浮上する。そして、同じように浮上していたのは、
「前くらいちゃんと見なさいよーッ!! ごほ、ごほ……」
 潜水艦にぶつかられて海水をしこたま飲み込んだ、水着姿で全力抗議を敢行するアプリルだった。ハッチを開いてリフルが顔を不用意に出すと、
「さいってー」
「あうっ!」
 頬をビンタどころか殴られた。おまけにアタックディレイすら使わなかったことから、彼女の本気が窺い知れる。
「あーもうカンペキに泳ぐ気なくしちゃった……わたしもせんすいかんに乗せなさい!」
「いいけどタオルで身体拭いてからじゃないと……」
「そなえつけてないわけ?」
 はたとリフルは考え込む。
「……ごめん無いわ」
「今すぐ買ってきなさい!!」
 潜水艦の上に登っていたアプリルは、海面に身体を戻しながら叫ぶ。
「家に戻るんじゃだめなのかー!?」
「わたしが買いにいきなさいと思ったら買いにいくの! そしてわたしをせんすいかんに乗せるの!!」
「わざわざか……」
「ふかふかのヤツじゃなきゃダメだからね! もちろんお金はアホのリフル兄が」

 その瞬間は突然訪れた。
「きゃっ」
「えっ」

 悲鳴を幽かに残し、アプリルの姿が海面から消失した。
「え……?」
 どぽん、という控えめな水音が、リフルの耳に残ったまま離れようとしてくれない。一瞬にも永遠にも思える歪んだ時の中で、ねばっこい効果音がずっとずっと響いている。
 掠れた声が少年の喉から飛び出した。
「アプリルっ!!」
「おいっ! 一旦降りて来い!」
「なんで!?」
「見て!」
「え……?」
 リフルは海面から、黒く蠢くものの影を見た。アプリルを包み込んで硬く拘束し、深く海の底に沈んでいくように見えた。
 一方潜水艦の内部でその様子を見ていた三人は、更に鮮明な一部始終を目にしていた。
 岩陰から、後から後から漆黒の包帯のようなものが飛び出したかと思うと、アプリルに巻きつき、あっという間に口も目も塞ぎ、彼女の身体全体の自由を拘束していく。そのままボディラインすら覆いつくして、直方体の図形を描き、あれよあれよという間に黒い塊が沈んでいく。
「うそ……なにこれ……」
「リフルーッ!! てめぇ呆けてんじゃねぇ操縦席に着けーッ!!」
「なっ!?」
 ジノグライの声と共に、潜水艦全体がガクンと揺れる。三人は原因をしっかり見ていた。
 アプリルを拘束したように、真っ黒の帯が窓を覆い、眼前の海中の景色を、前も後ろも見えなくしていく。さらに、ビシッ、と亀裂の入る音がした。
「!?」
 音の出所は三人が座る空間の窓だった。亀裂が入り、触手のような黒が潜水艦に侵入する。
「これで下手に抵抗したら海水が潜水艦に入って……ということか!」
 ジノグライも思わず困惑するほど、敵の計画は用意周到だった。
「えっなにこれ!?」
「リフル!」
「まずい!今戻ったら……」
「えっなんでジノグライが帰って来いっていうから……」
 ハッチが閉まる音がし、その直後、コロリ、と小さく音がした。
「え……」
 それが最後だった。
 睡眠薬が高濃度で混入されたガスが、侵入した触手から落とされた丸型カプセルから噴き出す音を聞きながら、四人は深い眠りに誘われていった。
 それをよそに、海を侵していく漆黒は見る間に面積を増やし、眠りに堕ちたクルーを乗せた潜水艦を攫っていく。


 次にジノグライが目を覚ました場所は、何故か元々いた埠頭だった。
「……ぐッ」
 完全にしてやられたという苦い思いが、胸を強く締め付ける。周りには、まだ眠気に閉じ込められたままの三人と、空になったカプセルが転がっていた。
「……こいつか……」
 既にカプセルの中身は無く、新たな眠気はやってこなかったが、そのカプセルをよく見ると、その中には手のひら程度の大きさのプラスチックボードがしまいこまれていた。よく見ると、レーザーで文字が彫ってあることが視認できる。
「?」
 文言を見たジノグライが、
「なるほどな」
 そう、呟くと同時に、残りの三人が目を覚まし始めた。
「おい」
「?」
「アプリルとやらを助けに行くぞ」
「……ジノグライ」
「何だ」
「今のジノグライ、相当らしくないよ」
「……言ってて自分が嫌になった」

『挑戦者たちへ

 アプリル・フォルミは預かった
 返して欲しければ指定した岩礁へ行くがいい
 そこでお前たちの足を魔生物で縛り付けて海底へと案内しよう
 海底の密閉空間でお前たちを機械兵団をもって処刑してくれよう
 しかし囚われの少女を助けたければ海底へ無様に誘われるがいい
 来なければ彼女は永久に海の底だ
 そして大命が遂行されるさまを指をくわえて見ているがいい
 さぁ進むか? 戻るか?
 せいぜいよく考えてボクの前に姿を現すがいい
 
 主犯:ネプトゥーヌス』

「こちらを完全に煽りに来てやがるな……」
「どうしよう?海の中での戦いなんて始めてだし」
「僕の力もどこまで通用するかどうか分からないよ……」
「いや、流石にそれは無いだろう」
「どうして?」
「例えば火炎攻撃なんかは酸素がないと意味を成さない、海中にもあるにはあるが海水で掻き消される、この他にも色々と制約がある……ならば通常の物理法則の中で攻撃が出来る海底基地をこしらえている……というのが自然だとは思わないか」
「なるほど……魔術が使えても物理法則からは逃れることができないものね」
「一部それを超えるための魔術もあるようだがな……」
「まぁそんなことが……無いと信じたいけど」
「無いとは言いきれないのが恐ろしいところではあるが……」
「ジノグライ……内心ワクワクしてるでしょ」
「悪いか」
「……リフル」
「……」
 さざ波の音が響く中で三人は会話を続けていたが、さっきから全然会話に入ってこないリフルを、三人はちらと見る。怒りに我を忘れ、何も見ていないように見えた。
「……大丈夫? リフル」
「大丈夫なもんか!!」
 リフルが激昂し、思わずミリは身を縮める。
「大事な……大事な妹分が海の中に攫われたのに……何より……海はこんなことのための道具じゃない……」
 涙をぼろぼろ零し、リフルは嗚咽と共に掠れた声で叫ぶ。声に含まれた水分量が、涙と共に失われていく。
「それにしては相当いじられていたような……」
「それでも!! それでも僕にとっては大事な妹分だったんだ!! あの子が本当は寂しがりやなのも……人と話すのがちょっと苦手なのも……」
 涙で前が見えなくなった目で、リフルはミリを睨み付ける。
「本当はずっとずっと優しい子だってことも……!! 僕が……僕が……あの子の次に一番知っているんだ!!」
 長い長い泣き声が、蒼い空間に広がる。何も言わず、そばで彼らを迎えていた通信機にハンマーは呟く。
「ジバさん」
『……分かってるよ』
 何も言わずに、ジバは家からハンマーの大金鎚を転送してくれた。
『生憎というか運良くというか、今ならジノグライもノリノリだしね、理由はどうであれ』
「僕は」
 ハンマーは囁く。
「リフル君に力を貸してあげたいって、そう思ったんだ……それ以上でもそれ以下でもなくて」
『……』
「そうだね」
 ミリも首肯する。
「この先に何が待ってるかは知らないけど、泣いてる人を放っておいてはいけないよ!」
 元気よく宣言する。
『決意は固まったようだね』
 ジバが声をかける。
「ねぇリフル」
「……なに」
「アプリルを助けに行くよ」
「……!」
 差し伸べられたハンマーの手を、リフルが握る。
「行くぞ」
 だが、それでも一番早く岩礁に向かって足を踏み出したのは、そんな綺麗な善意の無いジノグライだった。

 くらい

  なに  も みえない
 ここ ねぇ どこ どこ  どこな  の

 どこ くらいよ ぅう
   え  ねぇ
  ?

 ?  あ え


 ねぇ  どこ
  くらいよ  たす け て
   ぅ  くるしい くるしい
 たすけて  たすけて   た  す
  え
 け    て
   どこ
    くる  しぃ

 あ            ああ ぁ
 いきが できない

 ねぇ うそ
  しんじゃうの  わたし わた   し ぃ

 あぅ え  ねぇ ねえ

 だれか だれか   だれか
 たすけて

  りふる?
   りふ る


 りふるにぃ

 何も見えない闇の中で、アプリルの意識が遠のいていく。




*To be Continued……