雑文の掃き溜めで継ぎ接いだ世界から

創作小説「SEPTEM LAPIS HISTORIA」「ナイツロード 外伝」の連載、たまにイラストを投稿します。よろしくお願いします

ナイツロード 外伝 -輪廻の盾、悠久の翼- Phase.6 然様ならば(終)

 赤黒い閃光が空間を走る。
 ナナシアが振るった大鎌の軌道は、意図的にロッシュを外れていた。だが当のナナシアは、躊躇など欠片もない目で不可思議な少年を睨む。
「君はその“敵"と……どんな行動を起こすつもりでいたのかな?」
「私は反逆しようなんて思ってません!でもあの人のことを放っておけなくなって……」
「君の悪いところだな」鎌の先でロッシュを指し示す。「情に絆されやすい。まことに結構なことだが、ここは戦場、ここは基地。一切の自我は捨て去らねばならない。幹部なら尚更……な」
 今度こそ真紅の刃がひらめき、ロッシュに迫る。
 ナナシアの言うことは全てが正論だった。そして後戻りはもはや出来ない。ロッシュの手のひらの前の空間から、岩石が高速で虚空から現れる。それは岩の材質を保ちながら、たちまち彼の身体の面積を覆うシールドへと変貌した。だが、所詮気安め程度のものだ。
 避けられない。
 でも、避ける必要はないのだ。
 それだけの過ちを犯してしまったのだから。

 通気口から煙が漏れ出す。
 熱を伴う黒い煙でも、水蒸気のような白い煙でもなく、月夜の空を溶かしたかのような色をした煙だった。
 大鎌がロッシュに振り降ろされる。
 通気口の蓋が開く。
 メンテナンスをするような落ち着いた開き方ではなく、外れた蓋が床に落ちて転がるほど、高速で開いた。
 黒い影が二人の間に落ちる。

 危ないと叫ぶことも、単に悲鳴をあげる暇も、もう無かった。
 ナナシアとロッシュの間に舞い降りたハヤブサは、
 真っ黒なハヤブサは、
 リピは。

 真紅に驚愕の顔を照らされながら、右翼のつけ根から左の脚の部分まで、大きく大きく身体を削がれた。
 すぐにその肢体からは煙幕のように闇色の煙が流れ出し、対峙した二人の視界を奪い、それが床に倒れ伏す音と共に、鎌に宿った真紅とも最後に見た彼女の目の緋色とも違った赤が、四方に散らばる音がした。            
 そして煙幕が晴れたあとには、右翼がひしゃげ、ズタズタのドレスに身を包んだ少女が、うつ伏せで痙攣すら起こさず横たわっていた。散らばるだけ散らばった赤色と、失せていく少女の顔色は、現実を目に焼き付けるのに充分すぎた。
 沈黙が満ちる。沈黙が満ちる。

「こいつか?」
 満ちた沈黙を先に破ったのはナナシアだった。
「随分と思わせぶりだったな」
「どういう……ことです?」ロッシュは続く。
「今の一撃はかなり手加減した、君の盾でも充分受けきれたもののはずだ。だがこいつは」大鎌の炎は失せていく。「完全にダウンした。死んだかどうかは微妙だがな」
「……」
「この程度ならうちの一般傭兵でも余裕で倒せるさ、そして利口な君はそれを知っていたはずだろう?」
 ロッシュは金縛りに遭ったように、動こうとしても動けなかった。ナナシアは溜息をついた。
「……正直、こんなのに構う時間はもったいなかったな」くるりと後ろを向いて歩き始めながら、ナナシアは言葉を投げ捨てた。
「あとはロッシュ、君が勝手にやっといてくれ」
 次の瞬間、ナナシアは何の痕跡も残さず消しゴムで消されたかのように掻き消えた。廊下には、赤く染まった少女に似た何かと、ほうけたように立ち尽くす少年に似た何かだった。
 天井の通気口は、そんな重たい空気を少しずつ外へ送り出していく。
 

 目を覚ましたのは、夕闇が訪れようとしていた頃であった。

 わしは夢を見ていた。
 生まれてからずっと、わしは疑問に彩られた数百年を歩んできた。そして無駄に長すぎる生きる時を、世界の探訪へと浪費した。
 虹は何回見ただろう。雨の日と晴れの日はどっちが多かっただろうか。路傍に咲いてたあの花はどんな名前だったのだろうか。それらに限らずとも、探訪の最中で様々な疑問へぶち当たったものだ。
 魔族はなぜ無駄に長く生きられるのか。人間が争うのは何故か。どうして万物は全て死にゆくのだろう。死んだらその先は?
 だとすれば、生きる意味などどこにあるのだろう。
 どこにあるのだろう。
 結局のところ九百余年を疑問だらけで生きてきた中で、これこそが一番の疑問であった。ヴァイスに入って各地を暗躍したのも、それが目的だろう。生きる意味を探して、宛てどもなく独りで彷徨っていたのだ。
 で、結局見つかったのだろうか?
 答えは否だ。しかしそれは必ずしも正確ではない。何かを、わしは掴みかけている気がする。
 何故なら――

 目を覚ました彼女の瞳に、緑色の双眸が現れた。
 目を覚ました彼女の瞳に、初めて自分の悩みを重ねられる人間の姿が現れた。
 彼女の生きる意味を、あとは言葉にするだけだった。


 二人はナイツロード基地の屋上にいた。船のような構造をしたこの基地は、屋上なら遮るものは何も存在しない。春先の優しい風が吹き、目の前に夕陽に照らされた海が広がる。ところどころ浮かぶ雲を抱く空は、既にその色を緋色に染め、今にも濃紺の領域を現しつつあった。
「目が覚めましたか」
 ロッシュは彼女に問いかける。喜ぶ態度は何処にも見当たらない。むしろ疲労の色濃く残った表情で、彼女の安否を確認する。
「……ごめんなさい」
 沈黙が限りなく気まずい。絞り出すようにその言葉を吐いたロッシュは、リピの身体に目を移す。右肩から左腰まで、火傷をともなってざっくり裂けた傷跡は、目にも痛々しい。畳んだ翼も焼け焦げ、切り裂かれている。それでも魔族特有の回復力で、なんとか心臓は止まらずに済んでいた。
 だから、リピはゆっくりと身体を床に這わせ、膝を立てながらこちらに背を向けたロッシュの背中を見つめる。
「謝るな」
 しっかりと放ったその言葉には、嘘偽りなど一かけらも無いのが声のトーンで分かった。
「わしは何一つ後悔しとらん。お主に会えたことも、今ここで倒れ伏しているのも、だ。魔族の回復力を侮らないでもらいたいが……もし死んだとしたらそれも運命だろう」
 冷静に前を見据えて、言葉を紡ぎ続ける。
「……ずっと様々な疑問を抱えて生きてきた……わしを苦しめていたのは『生きる意味とは何か』ということじゃ……お主のことを、立場は違えどわしはずっと仲間だと思っていたのかもしれぬ」
 互いの話をつまらないと切って捨てたあの日のことを、ロッシュも再び脳裏に思い描く。
「コーヒーを飲んだり、たまに話し込んだりして、わしもそれを掴めた。きっと……」ロッシュの顔を覗き込んだ。「お主なら、わかっているじゃろう、のう?」
 沈んだ顔をしていたロッシュは、再び顔を上げてリピの顔を覗き込む。緑と緋色の視線がぶつかる。
 ずっと彼女の話を聞いていたロッシュは、小さく頷いた。彼女の考えていることも、なんとなく分かった。
「到達できた生きる意味……それは」
 リピは息を吸い込む。少しずつ沁みこませる様に口に含んで、そしてやっと声を浮かべた。

「『今すぐ生きることをやめても、後悔しない居場所を探す』ことだと……お主と会って分かったのだ」

 言い終わって、彼女は目を伏せた。
「ヴァイスにこだわることも、きっともう無いじゃろう」ほうと息を吐いた。夕闇の空へ消えていく。「お主が羨ましかった。初めて会った時も、その後何度もわしが訪ねてきたときも、お主は何の躊躇も無しにわしを迎え入れ、コーヒーを振舞った」
 言い終わると、立ち上がって紅く染まる海に目を向けた。
「一連の行動は、自分の立場、仕事、役割、居場所に……誇りを持っているからじゃろう?」振り向いて、リピは彼に問う。「生涯かけても此処に居たいと願える……最高の居場所が見つかったからじゃろう?」
 改めてロッシュに向き合う。彼も立ち上がり、彼女を見て不器用に頷いた。
「……そんなしょげかえった顔をするな」心なしか大きな声でリピは言う。
「互いの立場を恣意によって変えることはできないじゃろう。なら尚更」もう一度、ロッシュに近づき話しかけた。「互いの立場を賭けて戦うのも、きっとわしは『生きる意味』だと考える」
 だから。
「……せいぜい最期の最期まで、守り抜くんじゃな」嘯いた。
「私たちが生まれた意味……その通りですね」ロッシュは、自分より遥かに年上のこの魔族に、ちょっとおどけて言った。
「お褒め頂き光栄に預かります、これからもみんなの居場所を守り抜くよう精進いたします」
「阿呆」
 彼はふふ、と微笑んだ。
 彼女の顔を見る。次の瞬間。
「ロッシュ」
 初めて名前で呼ばれた。彼女の顔を見つめる。
 ほとんど消えかけた夕陽が描く逆光の世界の中で、リピも確かに微笑んだ。
「ありがとう……本当に、色々と」
 歩み寄って、軽くロッシュにもたれかかった。彼は岩ではなく二本の腕で、消えないように、壊れないように、優しく優しく抱き支える。
「もう会うことも無いじゃろう」腕に抱きかかえられながら、リピは柔らかく言う。

「せっかく見つけた道しるべを、今度は悩まないように、悩まないように、きちんと辿っていくことにする」

 突然、彼女の身体は砂のように砕けた。身体のパーツは粒子に分解され、たちまち夜のような闇色に染まった。崩れた身体は煙となって屋上を這い、揺らぎ、ひしめき、集合していく。
 やがて煙の中から、一匹の蝶が現れた。
 既に太陽は沈み、紅い紅い空には一番星が瞬き始めていた。蝶はふわりと舞い上がると、危なっかしい飛び方をしながら、よろめき、ふらつき、それでも陸を目指して羽ばたく。
 誰にもその姿を見られたくなかったのか、それとも堂々と誇示するように今の姿を見せたかったのか、真偽は定かではない。
 だが、ふっと気づくと、真っ黒い蝶は闇に溶け込んで姿を消してしまっていた。
「リピ……」
 ついに呼ぶことの無かった名前で、ロッシュは彼女の名前を呼ぶ。
 そしてどんなに耳を澄ませても、もう波の重なる音しか、彼の耳には聞こえなかった。



そうして、月日が経ち――


しとしとと雨が降り出した。 


 「あー、雨かー……」
 ナイツロード。三千世界、森羅万象の戦士たちが集う傭兵団。理由も年齢も出自も能力も十人十色、多種多様な者たちが集う巨大な組織。広い広いユースティアの海を周回中の本部基地の一角に、その喫茶店はあった。
 大きな窓の外を眺めながら、椅子に座っていたロッシュ・ラトムスは独り言をぼやく。湿気を吸い始めた白髪を持つ緑色の大きな瞳に、鼠色に染まり始めた景色が映りこむ。ほどなく、外の様子をちょっとだけ確認するため、立ち上がって窓を開けた。
 とその時、にゃあ、と猫の声が聞こえた。頭の上から。
「こらこらエス、いきなり乗らないで」
 ……?変だ。
 エスはテーブルの上で毛づくろいをしているではないか。
 頭の上の猫をおろすと、
「なー」
 黒猫だった。
 首輪のように見えたものは、チョーカーだった。かつての記憶が思い浮かぶ。目玉を模したこのチョーカーは……どこかで見たことがある……
 考える。
 考える。
 考えた。
 全てが分かってから、
「なんだ」
 ロッシュはふっと微笑んだ。
「嘘つき」
 テーブルに乗せ、黒猫の頭を撫でる。

「また今日から、宜しくお願いしますね」


「どうもー!」
「あ、リッターさん」
 今日初めてのお客が、扉をくぐって彼の名前を呼んだ。リッターも黒猫に気づく。
「あれ、ロッシュさん……その猫ちゃん、どうしたんです?」
「いつぞやはありがとうございました、あなたのおかげで疑問が解消できましたよ」
「?……はぁ」
 ぺこりと頭を下げたロッシュをよそに、すっかり忘れてしまったようでリッターは首を傾げる。そしてすぐに問う。
「それで!この猫ちゃんの名前はなんて言うんですか?」
「そうですね、よく聞いてくださいました」
 大きな傷も、今ではしっかり塞がっていた。目には、あの日と同じの緋色の輝きがある。
 そう。きっと誰も知らないが、ロッシュ・ラトムスにとっては非常に大きなことだった。
 帰ってきたのだ。居場所を捜して。
 だから、大いに歓迎しなければ。
 にっこりと笑って、言う。


「『リピ』って呼んでください!」





EnD.