SEPTEM LAPIS HISTORIA 010- 縁の下には研究者、縁の上には暗躍者
ジノグライたちの住むイニーツィオの街は、惑星の北半球に大きく跨る大陸の左、つまりは西にあった。元来、この世界の「街」は、人が何十万人と暮らせるほど広い人間たちの居住区域を指すが、それらの街はそれぞれの政府があり、それぞれに自治を行う。故に貿易はするが、他の街との政治的な干渉はさほど行われない。だが、他の街が経済的、天災などの危機に陥ったとき、戦争に陥りそうになったとき、利害の一致があった場合などでは、街は持ちつ持たれつ、助け合う関係にあった。無論、思いやりの心を持つ人間が議員になりやすく、戦争が始まる確率は極めて低くなっている。
西にあるイニーツィオの街の北西には、ウィリディスという街、更に西には、マルシェという港街があった。大陸西の玄関口となっているこの街は、頻繁に貨物船や観光船などの船が出入りする。その向こうの更に西側には、大きな島があり、ノックスの街と、それに連なるカルム砂漠はその島の南東に位置していた。平たく言えば、ノックスとその周辺の様子を見たいのであれば、まずは北西のマルシェを目指す必要があるということである。
大陸の中心を基準として惑星を両断するような経線を引く。すると、ノックスのある大きな島は、丁度その経線の真裏にかかるかかからないかというほどの位置にあった。それほど大きな大陸だし、それほど大きな島なのだ。汽車などの公共交通機関を利用することを考えなければ、島に渡るだけでもかなりの長丁場と化す。
だが一行は、汽車を利用しなかった。
「一般人が巻き込まれちゃうでしょ」
「……まぁな」
ハンマーとジノグライが話している。ハンマーの手には、ジバによる書き込みがされた地図が握られていた。三人のこれからの進路を書き記している。イニーツィオの街を出発し、ウィリディス、マルシェに至る線が引かれ、ラゴスタ海峡に存在する島の群、アネモス諸島を抜けて、大陸の端に到着したら、そのまま進んでノックスの街を目指す、ということである。それ以外の村や集落などもあるはずだが、その地図の上では除外されていた。
一行はウィリディスの街へ向かっていた。石で硬く舗装された道路が目の前に伸び、その両側は草原と林が広がっている。ミリは、通信機を介してジバに預けてもいいリュックをわざわざ背負って二人の少しあとを追う。
「あれだけ派手に立ち回ったあとなら、俺達がマークされるのも不思議ではない……と言いたいんだろ?」
「通信がどこに繋がってるか分かったもんじゃないし、ジバさんの通信機も傍受されてる可能性も否定できない……まぁこれはジバさんの受け売りなんだけどね」
「ネットワークってのはシエリアやジバが当たり前のように使いこなしてっけど、まだまだ世界には浸透していないからな……」
世界は広い。卓越したテクノロジーや科学技術は、その気になれば数こそ少ないが探すことができる。
だが、それが世界に伝播するまでには、長い時間が必要だ。そもそも、軍事技術から転用したものも数多くある中で、各街の政府が技術の導入に慎重になるのも無理からぬことである。古来より備わっていた魔術と並び立つ、人類の叡智の双璧となる可能性だって充分あり得るのだ。だからこそ、綿密に時間をかけて浸透させていく必要がある。
……そんな高尚なものを、シエリアをはじめとする周りの人々は湯水の如く使っていた。無論付近の住民には明かしていないが、仲間内で連絡を取ることにしか使えないのでばれようが無い。仮にばれてもテレパシー魔術を使っていると誤魔化せば良い。
ただ、シエリアは魔術が使えなかった。
ハンマーのような事例は少ないながらあるとしても、「魔術の才能が無い」という事例は極めて稀だ。その代わり、「天才」と呼ばれるような人間がこのタイプの人間だ。シエリアに備わったのは類稀なる論理的思考能力や記憶力、判断力である。だから複雑な機械も簡単に造り出し、使いこなすことができる。そんな彼女にミナギをはじめとする様々な人が救われたのだから、これも一種の魔法なのかもしれない。
でも、彼女は多くの人間に当たり前に出来ることを、自分の力でこなさなければならなかった。だから自分の力で、今一行の傍らに浮いている通信機をはじめとする様々な通信機器を作り、皆とやりとりできるようにした。彼女の技術力は、三人の旅を裏から支えている。
そんなシエリアの声が通信機を介して聞こえた。
『私です、シエリアですー』
「ミリでーす」
ミリが呼びかけに応えた。
『ミリさんどうもー、それでですね、これからウィリディスの街へ向かうのでしょう?』
「はいそうですよー」
『私の診療所に寄っていくのをオススメします、なんか役に立ちそうな道具があったら持っていってください、私がナビゲートしますよ』
「ありがとうです!」
「というかシエリア……さんはなんか自転車とかそういうのを持ってないんすか」
シエリアは健気な女性だから、自然と敬語になる。使い慣れてないせいでジノグライの敬語は崩れがちになる。
『今から作ります?』
「……」
無いなら作る、が彼女の基本スタンスだ。
それから太陽が少しずつ傾く。人々が間食を終える時間帯だった。
三人分の自転車が調達される前に、一行はウィリディスの街に徒歩で着いた。
「シエリアさーん」
今度はハンマーが彼女の名を呼ぶ。
『なんでしょう……』
疲れた様子の声が応えた。
『いや……完成は当分先になりそうです……私も設計図を知らないものは流石に作れないし自転車は専門外なので……何かあったら困るかなって思って自転車屋さんで図面を入手できないかと思ったのですが』
『自転車屋さんは整備専門だもんねぇ』
ジバの声が割り込む。
『だからシエリアさん曰く、完成は早く見積もっても明日以降だって』
「そうですか了解です、あと……頼みますから無理だけはしないでくださいと言ってください」
『承知したよーん』
『ありがとうございます……』
通信は切れた。
「シエリアさんも大変なんだねぇ」
「あの人の体調を良くするためにも、私たちがシャキッとしましょう!」
「慣れない外出に難儀しただけだと思うんだがな……」
基本的なオフの日、シエリアは方向音痴だ。
ウィリディスの街は石造りの家も多かったが、木造の家も決して少なくは無かった。街路樹が街の道の傍に並ぶように植えられ、植え込みや街に配置されている植木鉢も少なくなかった。
そしてウィリディスの街も、イニーツィオほどでは無いにせよ荒らされた痕がそこかしこに見つかった。ERTは取り払われていたものもほとんどだったが、少しは見かける程度に道に突き刺さっていた。あちこちの道路にヒビが入っているのを、人はそれとなく避けて移動している。
『この角を曲がると……あ、ありました!』
石造りの二階建ての建物が、シエリアの診療所だった。両隣の民家に挟まれると狭い印象を受けるが、それが逆に敷居の低さを演出する、飾らない感じのする建物だった。入り口の扉の周りにはツタが絡まり、アクセントのようになっている。その扉に、『本日は定休日』と書かれたプラカードがさがっている。
扉を開く。待合室の傍に階段があって、シエリアの自室へと繋がっていた。手術道具などは一階に置いてきてあるのだろう、プラスチックの机や椅子の前には、街を眺められる大き目の窓(通りに面している)があり、右隣には洋服箪笥が置いてあり、左側の扉は物置になっていた。
『この物置に何かあれば……』
三人は物置の戸を開け、ごそごそとあら捜しをしだす。
「このロープとかいいかも!」
最初に獲物を見つけたのはハンマーだった。かなり長いロープが、円を描いて巻かれている。
「なるほどな……俺たちの中に相手を引っ張り上げるような魔術を行使できる奴はいないからな」
前にそうしたように、ハンマーは通信機の前にロープをかざして、ジバの家に送る。
やがて、
「ふむ……救急箱か」
「あ! 見て! 小型のランタンがある!」
「マッチなんかもいざというときは役立ちそうだね……」
そんな会話をしながら、物置の探索を手早く行っていった。
「ん?」
ジノグライは古ぼけた冊子を見つけた。
「これは……」
ぱらぱらめくると、既にセピア色に変色しかかっている写真がページの至る所に貼り付けられていた。黒髪の女子と、茶髪になりかかっている男子、それに黒髪の幼女が仲睦まじげに写っている写真をジノグライが見た途端、その冊子が掻き消えた。
『やめてーっ!!』
シエリアが恥ずかしげに絶叫する。
『それはアルバムなのーっ!!』
心なしかシエリアの口調が素に戻っているような気がした。換気のために開いた窓から吹き抜ける風が、クリーム色のカーテンをなびかせる。
めぼしいものを見つけ終わると、一行は一階へと降りていった。
『でも時間はあるけど、早く行かないとねぇ』
「そうか……」
ジバ、ジノグライと喋る。喋り終わったジノグライが、ちらりと太陽の方を向いた。日が傾いており、夕方と呼んでも差し支えないような空模様が広がりつつる。日の入りは近かった。
「夜までにマルシェに着けないと、不利な状況のまま戦うことになりそうだね、住民のみんなにもどう説明したらいいんだろう……」
「特にあいつら、真っ黒だからねぇ……」
『ここからなら既に舗装された道を通ってマルシェに行ったり、汽車を利用するという手もありますが……』
『汽車は使いづらいし、駅に辿り着いたり道を通ったりしても日没までに間に合うかねぇ?』
今度はミリ、ハンマー、シエリア、ジバと喋った。状況は八方塞がりに近く、いいアイデアは思いつかずにいた。
「あ」
そんな空気のままでミリが診療所の扉を開けると、壮年の男性が立っていた。ミリは彼に躊躇無く話しかける。
「すみませんっ!」
「おぅ、な、なんだ? その格好は……旅人さんか?」
「そうです、急いでるので、マルシェに行くための近道を教えてくれませんか? 知っていたらでいいので!」
「ふむ……そうか……」
すると男性は、ジノグライとハンマーを品定めするように眺め始めた。
「……安全に行くなら舗装された公道が森に沿って西に伸びている。だがどうしても早く行きてぇんなら、西にある森から北西方向に森を突っ切るほうが――」
「ありがとうございました!」
「助かりました!」
男性に最後まで言わせず、一行は西へ向かって歩を進め始めた。心なしか、早足になるのを抑えることが出来ない。そんな様子を、男性は呆気に取られたような目で見ていた。
「……何なんだろうねぇ、あの騒がしさは……」
近くのベンチに腰を下ろし、男性は一人ごちる。
「何なんだ、といえばわしもよっぽど何なんだろうがな」
男性は回想する。
「あのっ!」
遠慮がちにかけられたのは、青年の声だった。
「おぉ……?」
気の抜けた声で振り向くと、後ろには薄い赤髪、鉢巻を巻いて、腰にレイピアを吊っているのが特徴的な青年が立っていた。そして、何故かそのジャケットは煤や炎の痕がついているのが理解できた。
「もしこのあと、濃紺のジャケット、両手に黒い金属の義手をつけた人や、工事現場の作業着を着ている人がいたら、『この先に行くつもりなら、舗装された公道を通るのは危険だから、森を突っ切ったほうが早い』と知らせてやってくれませんか?」
「いいけどよぉ……」
「理由は聞かないでください、では!」
「あ、ちょっ、おい」
途端に素早く動き出し、青年の行方は知れなくなった。
あとには、やはり呆けたままで立ち尽くしていた男性がいるばかりであった。
回想は停止された。
「一応……あの子の言ってたことは出来たわけだが」
男性は溜息を吐く。
「つくづく彼らは、何のために戦っているのだろう」
「ちぇ……」
モニターには、ジノグライ一行の様子が観察されている。まるで監視しているかのようだった。
「あの公道には行かなかったか……」
そいつはそう言いながらカメラを切り替え、公道を見た。両手じゃ数え切れないほどの機械兵団が群れを為していた。それぞれが隠れていた持ち場に戻りつつある。
「公道にいたら、あのジノグライとかって奴を挟み撃ちに出来たんだがな……」
再び画面が切り替わり、三人の様子が映される。
「マールスが壊される前にイニーツィオの様子が知れたのは良かった……だがあのジノグライという男、侮り難いな」
画面が閉じられた。そいつはほくそ笑む。
「果たしてボクのもとまで辿り着けるのかねぇ?」
* To be Continued……