雑文の掃き溜めで継ぎ接いだ世界から

創作小説「SEPTEM LAPIS HISTORIA」「ナイツロード 外伝」の連載、たまにイラストを投稿します。よろしくお願いします

SEPTEM LAPIS HISTORIA 018- 回想、階層、潰走、海葬?

「たいくつだ……」
 魔力を根こそぎ吸い取られるわけでもない。肉体に改造を施されるわけでもない。曖昧で中途半端なままの監禁状態で、どれほどの時間が経過しただろう。
 アプリル・フォルミは海底とはまた別の、退屈に支配された思考の海を遊泳していた。どんなに深く潜っても何かを発見して満たされることはなく、そこに至るまでの努力が報われることも無い。しかし抗う手段はどこにも無く、揺蕩うだけ揺蕩うしかなくなってしまった。例えいくら泳ぎが得意な彼女でも、海面に上がることも海底に到達することも出来そうになかった。
 頭の中で、取り留めもないことばかりを考える。まだ腹時計的な意味で昼には達していないようだが、よくよく考えればごはんをどうやって食べるのだろう。こんな海底でまともな食事が提供されるとは到底考えられないし、あんなことをいけしゃあしゃあとのたまわれても、海面まで返してくれる保証などどこにも無いのだ。
 そこまで考えて、ふと頬に伝う何かを感じた。眦をまさぐる。
「あれ……?」
 初めは信じられなかった。自分が涙を流していることに気が付くまでには少しの時間を要す必要があった。
 気がついたら、アプリルは泣いていた。こんな時に限って、泣くから悲しいのか、悲しいから泣くのか、もうわからなくなってしまい、ドミノが倒れていくように涙腺が決壊していく。くうくうという嗚咽の声は、やがて激しさを増していった。そんな情けない姿を、ネプトゥーヌスにも誰にも見られたくなかったアプリルは、自分の身体が収まっているポッドをごろりと回転させる。うつ伏せになる形で身体が転がり、アプリルの表情は誰にも窺えなくなった。遠慮なく泣くことができるようになったポッドの中で、内壁の強化ガラスに滴がぽたぽた垂れる。
 幸いだったのは、密閉されているおかげで大声を聞かれる心配が無かったことだった。どんなに泣いても、どんなに叫んでも、本当に薄くしか声は漏れない。だが悲しみに囚われたアプリルに、それが本当に幸いな事なのかは分からなかった。むしろ元凶たるネプトゥーヌスにさえ、この身の潰れるような孤独を分かってもらいたいと思った。
 今更、アプリルは気づいてしまう。
 自分のそばにいつもリフルが居たことを。どんなにキツく当たっても、うざったいと感じても、彼はなんだかんだそばに居てくれたことを。その裏に彼女の自己満足欲が潜んでいたとしても、いつでも棺桶となりうる不自由な空間の中で、自分の感情がはっきりと理解出来てしまった。どんなに身勝手でも、流れ落ちる涙はその感情を否定することを許してくれなかった。
 リフルが居なくなって、寂しい。
 そんな感情が心の中になるなんてにわかには信じられなかった。だから、壊れそうなちっぽけな心は、精一杯精一杯強がろうとした。涙は未だ止まってくれない。そばかすを伝い流れ落ちる。
 馬鹿に明るく無駄に陽気な、面倒臭い兄貴分でしか無かったはずだ。なのに。
 死とダイレクトに結びつくポッドの中で、アプリルは静かに回想する。視界の端には、いつもリフルの蒼いバンダナと寂しげな表情があった。それを知っていながら、アプリルはリフルのことを小馬鹿にし続けてきた。でも、それで怒られたことなんて只の一度として無かったことを、今更ながらに思い出した。彼の振る舞いに、自分は多少なりとも救われていたことを、彼が居なくなって初めて理解した。
 だって、あの頃は。
 封印しかけた思い出がふっと蘇っていく。蘇れば蘇るほど、狭いポッドの中に落ちる影がギリギリと身体を締め付けていくようだった。
 また一筋、寂しさが頬に弧を残す。
 だって、あの頃は。ひとりぼっちだったじゃないか。
「……早く、たすけにきて……」
 気がつけば、そう呟いていた。小さく呟いた言葉が、シャボン玉のように行き場なく彷徨い、小さく弾ける。
 ほどけかけたトラウマにぎこちなく蓋をする。いつまた開きだしてしまうか分からないその栓を、なけなしの心で一生懸命押し込んだ。
「ばか……」
 そう付け加えて、彼女はちっぽけなプライドを守ろうとする。無事に帰れたら、思い切り説教してやろう、そんな、独りよがりな誓いを立てた。
 明るすぎる部屋の中で、誰にも聞こえない嗚咽がいつまでもいつまでも止まないでいる。


「ひとつ質問させてもらおう」
 ジノグライは問いかける。
「どうしてあの生意気な娘のためにそこまで頑張るのだ?」
 リフルは、その質問に対して渋い顔をした。それは一瞬で、むしろその後に穏やかな笑みを見せる。
「知らない人は、確かにアプリルのことを生意気だと思うかもしれない……ね」
 そう始めて、リフルは下の階層を目指しながら言葉を紡ぐ。
「両親が離婚したんだ、あの子」
 陰の残る顔で語り始めた。
「多分、アプリルがああなっちゃったのもそれが理由。離婚したワケは僕にもよく聞かされてないんだけど、きっと相当トラウマになっちゃったんじゃないかな」
「……」
「運の悪いことには、その頃誰も引き取り手が居なかったんだって。 家計が苦しかったとかそんな曰くつきの子を引き取るなんて嫌だ、とか、そんなところじゃないかな……近しい親戚に打診してみても全滅、遠い親戚たる僕らが引き取って、やっと……ということでさ、彼女は人を信用しなくなっちゃったんだよ……悲しいことだけど」
 リフルが言葉を切った。息を吐く。
「僕はそんなアプリルがきちんと生きられるように、できるだけ一緒にいてコミュニケーションをとっていきたいな、ってずっとそうやってきた……あの子のことを支えてあげたいな、って思ったから」
「……」
「まぁどこで間違ったのか僕は尻に敷かれてばかりだけどねー」
 ハハハ、と乾いた笑いを漏らす。随分と深くまで来たが、まだ最深部が何処なのか分からない。いくつ扉を通り過ぎたのだろうか。
「だいたいそんな感じだよ、分かってくれたかい?」
「……分かって、というのは押し付けだと思うんだが」
 ジノグライは返す。
「当事者じゃないから俺に感情移入は出来ない、俺はただ戦えればそれでいい、お前にもきちんとした理由があるのは分かったが……」
「……ジノグライ、君って随分と冷たいんだな」
「ああそうさ、何も言うなよ……分かりきっていることだ、情に棹させば俺達は脆くなるんでな、そんな面倒なものなど機能させたくない」
「それでもアプリルは僕にとって大切なんだ!!どうしてこんなに冷めてるんだよ!?」
「情など持つのは面倒だと言ってるだけだ、それを前提で助けに行きたいなら勝手にすればいい」
「何を――」
 一触即発の状態でオレンジの閃光が走った。それはジノグライの着ている上着の袖を焦がす。
 ふと地面を見ると、無数の小さな穴が空いていた。その意味をジノグライは一瞬でゾッとするような感覚と共に理解する。
「走れ!!」
「え!?」
「この床も壁も、全てレーザーの発射口で埋め尽くされているぞ……!!」

 潰走。
 汗で前が見えなくなるほど走っても、オレンジのレーザーはひっきり無しに二人を追いかける。嫌がらせのように前方に配置される機械兵団の群れを、電撃レーザーと水流で薙ぎ払う。しかし、どこまでも走る二人の体力も限界が近づいてきた。
「くっ!?」
 驚愕したジノグライの眼前にひときわ大きな扉があった。そこまで辿り着き、死に物狂いで扉に手をつく。振り返ると、絨毯のような発射口はそこで途切れていた。
「……」
「……」
 息を切らしながら、しばし二人で見合う。恐らくこの扉の先に、あの忌々しい元凶が待っていると、二人ともが直感で分かった。黒いオーラが、扉の向こうから滲みだしているように思える。
「……なんでここでわざわざ休むような隙を与えたんだろう?」
 リフルは問うた。ジノグライはふと見上げる。
「どうやら奴の辞書に『慈悲』って単語はねぇみてぇだな……!」
「は?」
 つられてリフルも頭上を確認すると、
「えっ……!!」
 吊り天井。
 そう呼ぶに相応しい挙動で、天井が徐々に下がっている。落ちてくる天井を避けようともと来た方向に下がれば、レーザーの餌食と化す。御丁寧にもその天井の底面には、びっしりと鉄製の棘が生えていた。ひとつひとつは、まるで氷柱のように大きい。
「休憩もさせてくれないなんて……」
「そもそもこの扉はどうやったら空くんだ?」
 扉の右横を見ると、丸いボタンが二つあった。赤のボタンと青のボタン、それぞれ手で押せば簡単に作動しそうだった。しかし。
「二つ……?」
「一方は扉が開いて、もう片方は……」
「この天井が落ちる」
 戦慄が奔る。氷を一気飲みしたかのように、リフルの身体が冷たくなっていく。
「どうすれば……どうすればいい……!?」
「慌てるな、だが……」
 そのほかにボタンめいたものは無かった。あちこちを探しても、迫る天井と扉以外に配線も凹凸も無い。つまり詰みの状態に置かれていた。
 打開策はただ一つ。
「押すか、押さないか、か……」
 ゆっくりゆっくり吊り天井は迫る。それが逆に、二人に恐怖と焦りを与えていく。しかもいつボタンと無関係に天井が落ちても、決して不思議では無いのだ。
「どうしよう……」
「……俺が赤のボタンを押す、お前は青のボタンを押せ」
「えっ、それは……どうしようって?」
「……そうしたら……」
 一呼吸置く。
「二人で一息に扉の中に駆け込む」
「……正解はどっちかだから……ってことで?」
「そういうことだ……ノータイムで一気に、だ」
「……大丈夫だよね?」
「ンな事俺に訊くな」
 ジノグライが顔を背ける。
「そういう心配は命が無事だと分かってからしろ……ひとまずここを超えなければ、あの性根がねじけたアイツは倒せない」
「う、うん……そうだね」
 赤のボタンに義手の手がかかる。青いボタンに人肌がかぶさる。
「僕が合図するよ」
「……勝手にしろ」
 力がこもる。
「さん!」
 緊張。
「に!」
 闘志。
「いち!」
 フラッシュバック。
「ゼロ!」
 カチリ、と二つの指は強く深くボタンを押し込む。
 次の瞬間、はじかれたように飛び出し、あるいは身体を折り、左へ向かって駆け出すと、そこにある扉は少しずつ中心から二つに分かれるように開き始めていた。
「クソッ!」
 ジノグライが身体をねじ入れるようにして部屋に踏み込む。同様にしてリフルも続く。そしてリフルの左脚が回廊から消えたとき、
「!?」
 ガシャーン!!
 吊るされた天井が廊下に落ちて、凄まじい音を立てる。
「!!?」
 それによる衝撃もそこそこに、今度は大部屋に満たされた光で二人は目を閉じてしまう。思わず腕で目隠しを作るほど、部屋には光が洪水のように溢れていた。
 そこに、影が出来る。
 ザシュッ、と音がする。
「ぎゃあぁぁ!?」
 リフルの悲鳴が聞こえた。何か鋭利な刃物で抉られたような、何かを引き裂いたような、そんな音が連続で聞こえる。
「ぬあッ……!?」
 ジノグライも悲鳴が漏れる。焼けるような鋭利な痛みが背中を支配する。なんとかこじ開けた目の前に、ネプトゥーヌスがいた。
「ふふふ、やあぁ、まずは君たちから海葬してあげようかぁ」
 限りなくヒトに近いとはいえ彼もまた機械、その拳がジノグライの腹を貫く。
「ごはっ……!?」
 そのまま後方へ転がされてしまった。さらにネプトゥーヌスの拳には棘がついていることも、衝撃と共に理解した。シャツに四つ分の穴が開き、それぞれ血の滴が垂れる。
「アプリルを出せぇえーっ!!」
 リフルがなんとか目を開けて叫ぶ。ネプトゥーヌスは意外にも、彼女が入っているはずのポッドを、二人の目の前に持ってきた。
「……!」
 安堵の溜息が漏れる。泳いでいた状態ゆえに水着しか着ていなかったが、アプリルに目立った外傷は無く元気そうだった。むしろポッドを破壊しようと、アタックディレイの能力をここぞとばかりに使っている。その頬に涙の痕が見えたような気がしたのは気のせいだっただろうか。
「ふふふ……」
 するとネプトゥーヌスは足元の箱から小型のタイマーを取り出す。そこには『9999』と表示されていた。ポッドに取り付ける。
「これは……まぁ言わなくても分かるだろうけどぉ、頭の悪い君たちにも教えてあげると、時限爆弾なんだよねぇ」
 その言葉が言い終わる前に、時限爆弾からナイフが生えていた。中の回線がショートし、爆薬を使い物にならなくさせる。ゴミを見るかのような目でネプトゥーヌスはリフルを睨んだ。
「それ以上何かをしようってんなら、僕はお前を死んだとしても許さない」
「今まで俺たちを散々コケにしやがって……タダで済むと思わないでもらいたいな」
 ナイフを投げたリフルも、義手を帯電させ始めたジノグライも、もう明るさに目が慣れていた。まっすぐにネプトゥーヌスを睨み返す。
「ふぅうん……」
 するとネプトゥーヌスはゲッソリと落ち窪んだ笑みを浮かべる。
「ひとつ教えてあげる、あのボタン、どっちも正解だったよ?」
「!?」
「どっちか押せば、何の労苦も無く入れたよ?」
「……!!」
「早とちりなんかしちゃってさぁ……バアアァーーーーーッッカじゃないのおおおぉぉぉぉぉ!!??」
 下衆な笑いが大部屋にこだまする。ワナワナと、ジノグライの拳が揺れ動く。火花が散る。
 絶対に許せない。その心が、熱く激しく燃え上がっていく。

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*To be Continued……