雑文の掃き溜めで継ぎ接いだ世界から

創作小説「SEPTEM LAPIS HISTORIA」「ナイツロード 外伝」の連載、たまにイラストを投稿します。よろしくお願いします

SEPTEM LAPIS HISTORIA 021- 寄せては返す波のような

「なぁ……」
 そうやって後ろを振り返っても、
「……」
 何も言ってくれない身体を前に、彼はただ困惑する。
「……あのー……」
 しかし、その寝顔を見てしまうと、どうしても邪魔をするわけにはいかないという心理が邪魔をする。自分で考えながら、皮肉だな、と心の中だけで微笑した。ところが、彼、ジバの心内は、いささかたちまち心穏やかではなくなっていく。
「うぬ……ぬぬぬ……」
 通信機が海上を滑るように浮き、進んでいく。ジノグライたち一行の反応は、朝と昼の真ん中ほどの時刻になっても、未だに検出されていなかった。生きているかどうかすら曖昧な状態を見届けた後だからこそ、心配は募る。心配していなかったからこそ、余計に心配してしまう。
「っ……!」
 ソファの上を見た。徹夜作業で疲労困憊しているはずのシエリアが横たわっている。安らかな寝顔と整った呼吸で、弛緩しきった表情で眠り呆けている。その表情の裏には、過酷だった作業の痕が見え隠れしていたのをジバも分かりきっているから、彼の抱える心配を共有することはできないでいた。青しか映さないモニターを、もう一度ちらりと見る。見た。見終わる。視線を外す。溜息。
「!?」
 微かだが明らかに異変を告げる音が、モニターに据えられた小型スピーカーから出てきた。直ちに念動操作を試み、通信機を一回転させると、
「来たあぁぁーーッ!!」
「え……?」
 むくりとシエリアが起き上がってしまったが、もはやそんなことには構っていられなかった。それどころか、
「シエリアさんシエリアさん! シエリアさんったら……!」
「何ですか……えっ!?」
 二人の目の前に、凄まじい大きさの水柱が上がっていた。海から立ち上がり、空を染め、飛沫を跳ね飛ばし、水平線を壊す。荒い画質のその先に、放り出される小さな影が二つ映った。
「あれは!」
「リフル……とアプリルかな!?」
「では……」
「三人は何処に……」
 すると、黒い点が海面に浮かび上がる。一つ、二つ、三つ。
「もしや!?」
「あれが……」
 カメラをズームさせて海面に向ける。それらは円柱形をしていて黒く塗られていて、ロック機能の壊れた扉がついていた。耐水性のポッドだったようだが、海中でマザーコンピュータが破壊されたことを機に扉のロック機能を失っていたらしい。
 扉が開かれる。黒髪、金髪、モノクロツートン。
「皆さん!」
 感極まったシエリアが思わず叫んだ。三人は生きている。その事実から成る喜びを噛み締める。
「助けに行くぞ!」
 その一言でシエリアに冷静さが霜のように冴え渡る。喜びを噛み締め終えた。
「どうやって?」
「えっ」
 ジバが感極まったポーズのまま固まる。彼女の方を向いて沈黙した。
「そりゃ君、手だけワープさせて……」
「そうしたら擬似的に空間が繋がってしまいますよ?」
「えっ、ダメなんか!? モノのワープはできるのに」
「腕が千切れても知りませんよ!?」
「うぅ……ぐ」
「あとそう設定したのはジバさんじゃないですか」
「けろりと忘れてました……」
「ダメじゃないですか」
「じゃあさ! ロープあったでしょう! あれで吊り上げるのはどうよ!」
「海水のそばじゃ使い物にならないですし何処から吊り下げるんですか!」
「またダメかぁ!」
「手詰まりですね……」
 モニターをもう一度見つめる。
「うむ?」
 見つめた先で、海上に白の領域が広がっていく。ミリの冷凍光線が、海水を凍らせステージを作り出した。
「……」
「心配は無用だったな……行こう」
 ジバは促す。通信機が空を滑るように動いて、氷のステージへ向かっていった。

『いよーっす! 無事でなにより!』
「遅い」
『ごめんて』
「やれやれだ」
 互いの助けを各々借りて、五人を中心に作られた氷板に五人が足を踏み出した。
「一時はどうなるかと思ったけど……」
「結局、リフルはどうやって戻ってきたの?」
 ふっふっふ、とリフルは人差し指を立てる。
「ジノグライが教えてくれたのさ」
 黒い姿を仰いだ。彼は目を背ける。
「手のひらの傷跡に向かって空間からありったけの水を噴射して、傷跡をガイドにして逆噴射したんだよね、そうしたらアプリルと一緒に空間に舞い上がれるぐらいの推進力ができた」
「へぇ……」
「もちろん傷跡にダイレクトに水圧がくるから、本当に痛くて痛くて大変だったよ……今でもずきずきしてる」
「クリームパン」
 その一言で、リフルが目を閉じた。耳に聞こえるのは、潮騒の音ばかりだった。ぐしょぐしょのバンダナが、冷たい滴を生んでリフルの頬を撫でる。そっと目を開けた。
「どうやって……帰ろうか?」
 ミリが手を挙げる。
「私が氷で海上に道を作って……」
 その瞬間、リフルが右手でミリを制した。
「……エンジンの音がする!」
「えっ!?」
「……それに……ああこれは……」
 遠くから、本当に遠くから、微かな声がする。
「……!! ……!!」
「誰かが叫んでるね」
 だんだんと声が大きくなっていった。
「……-ッ!! ……-ッ!!」
「誰だろう……?」
「あ、これー……」
 海上を切り裂くエンジンの駆動音が、他の四人にもはっきりと聞こえるようになって来た頃、
「リフルーーーッ!!! アプリルーーーッ!!!」
 声はいよいよはっきり彼らの耳にも届いてきた。中年の男性の、よく通る声が青空を駆けていく。
「うー……」
「どうしてそんな顔してんのさ」
 ころころ表情を変えるリフルも、この時はとてつもなく渋い顔をしていた。ハンマーが問いかけ、リフルは気づく。
「あ、いや……」
「どうしたの」
「アレ……父さん」
「えっ!?」
 海の一角から音が響く。とうとうその正体が見え出した。
「父さんがどれだけ心配したと思ってるんだーーーッッ!!!」
「うわあぁ……恥ずかしいよ……」
 わざわざ商売道具の漁船を駆り、海の上を爆走していた。
「皆だっているのにさぁ……」
「うけいれなさいよ」
「だよねぇ……」

「どうして勝手にふらふら出て行くんだ!」
 声が張り上げられる。リフルも萎縮する声の主は、堂々たる体躯を持った男性だった。短く刈り上げられた黒髪、筋骨隆々の体躯、日焼けによってパサパサになった黒い肌に白いシャツが映える。いかにも「海男」という形容が似合うこの男こそ、リフルの父親だった。
「ち、ちが……」
「ちがう!」
 声を張り上げたのはアプリルだった。
「……アプリル?」
 思わずキョトンとした顔を、リフルの父親も隠せなかった。
「わたしがあんないするって言ったの! リフル兄はわるくないの!だからリフル兄のことをこれ以上せめちゃだめ!」
「……」
 沈黙が漁船に満たされた。気まずいというより、複雑さに支配された沈黙だった。思わず真顔になる。
「どうしちゃったんだ、アプリル……? お前は普段ならリフルのことをこき下ろすはずじゃないか」
 それを父親が指摘すると、アプリルは顔を赤らめた。赤くなったままで、さっとリフルの陰に隠れた。
「……」
「……息子よ」
「改めて言わなくても……何?」
「お前……アプリルに何をした?」
「アプリルは嘘を言わないんだ、良くも悪くも」
「ってーことは……惚れられたな? 惚れられたなぁあーッ! ヒューッ!!」
「そのノリは僕嫌いだって言ってるよね!?」
 いきなり騒ぎ出した父親と困惑する息子、デレデレの妹分を見ながら、三人は会話を交わす。
「一件落着……で、いいのかな?」
「さぁな」
「でもとりあえず仲良さそうでよかったよね」
「それは……まぁね」
「……」
 むちゃくちゃに手を前方に振り、否定に否定を重ねるリフルだったが、アプリルが離れてくれない。振って払うこともできないので為すがままになっているが、やがて息切れの後、リフルは言葉を吐き出し始めた。
「僕は勝手にふらふらしたわけじゃない、でも引きずり込まれたんだ……お願いがあるんだ、父さん」
「何だ?」
「潜水艦で一緒に海底に潜ろう、そうすれば機械の残骸が沢山落ちているはずなんだ」
「おいなんでお前がそんな事を知ってるんだ!?」
「……僕がやったから」
 父親は信じられない、といった表情で息子の顔をまじまじと見つめる。
「僕の仕業なんだ」
「お前……あんなに海が汚れるのを嫌がっていたじゃあないか……」
「もうこれしか思い浮かばなかったから!!!」
 絶叫する。
「……だから、手伝って欲しい」
「?」
「潜水艦で、海を綺麗にするんだ、僕が率先して始める」
「……」
「僕らが体験したことを父さんにも教えるには、口で教えるんじゃダメな気がするんだ」
「ふむ……」
「……それに」
 小さな体躯でリフルに寄り添う、そんな彼女を見ていた。
「アプリルもこんな状態じゃあね……」
「お前らの間には何かが確実にあったんだろうなぁ……」
 もう一度リフルは父親を強く見つめた。
「信じてくれなくたって構わない、でも僕は確実に死にそうなほどの場所を歩いてきたんだ……僕は今ここにいる皆のお陰で」周りを見回した。「こうして生きて帰れて来れてるんだ」
「……」
「後始末は、僕らでケリをつけたい」
 リフルが頭を下げた。バンダナが揺れる。
「お願い。許してほしい」
「おねがい」
 アプリルも真似して頭を下げた。大きくリフルの父は溜息をつく。
「お前が嘘なんて吐くはず無いっていうのは俺がいーちばん分かってんだからよぉ」
 バンダナを外して、リフルの頭をくしゃくしゃ撫でる。
「大丈夫だ、きちんと最後まで一緒に手伝ってやるともさ」
 にやりと笑って、リフルに答える。ひとしきり成り行きを見守っていた三人を見た父親は右手を上げた。
「おう……ありがとうな」そう言って話し出す。
「こいつが失踪したってんで、様子を見てみればこいつが元気そうで何よりだった、アプリルも無事だった、こんなに嬉しかったのはいつ以来だろうなぁ……」
 しみじみとリフルの父は語る。
「安心してくれ、お前たちを責任をもって俺が波止場まで届ける、そこで昼メシと行こうじゃあないか、なぁ?」
 ふと天頂を見上げれば、既に太陽が彼らの真上に燦燦と光を降らせていた。


 そうして、昼食を再びリフルの家でご馳走になってしまった一行は、もう一度波止場へ戻ろうとした。
「お前」
 ジノグライがリフルに問いかける。
「俺たちは向こうのノックスの街に行きたい、どうすればいい?」
「あーそうだったね」
 リフルがしたり顔でにやつく。
「僕たちを助けてくれたお礼として、父さんが漁師さんの仲間に掛け合って、アネモス諸島を通らずに近道できる近道の海路を通る漁船をチャーターしてくれるってよ!」
「本当!?」
 ハンマーが食いつく。
「魚たくさん食べれるかな」
「そんな事だろうとは思ったぜ」
「あんだけ食べといてまだ食べるの?」
 ジノグライもミリも呆れ顔だ。運ばれてきた料理を誰より平らげたのは、他でもないハンマーだった。
「酔っちゃうかもしれないから気をつけてね!」
「大丈夫!……きっと!」
「自信持ってよ!」
 あははははは、と三人で笑う。輪から離れたアプリルが、その様子を見ていた。
「波止場に行けば、その人が待ってくれてるはず。この先の旅が、実りのある物でありますように!」
 リフルが脱水を済ませたバンダナを外し、大きく振る。
「それじゃあ……」
「まって!」
「?」
 誰より前に進み出て、アプリルが進言する。
「……みちあんないさせて」
「……」
「アプリル、本当にどうしちゃったんだい?」
 アプリルはくるりと後ろを振り返り、リフルに言う。
「こんどから、もうすこしやさしくなりたいな、って思ったの」
「……」
「いつみんながいなくなっちゃうか、わたしにはとてもわからないから」
 はっきりした声。まっすぐ届いて、全く折れない声。
「……分かった、行こうか」
 差し伸べられたリフルの手を、アプリルが握った。離れないように。
「どうやら行きたい所が……あるみたいだよ?」

「流石にそのリュックサックはジバさんに預かっててもらったんだ」
「基地に入るときはどうしてもね……」
 街の一角にある雑貨屋に一行はいた。そのやりとりをよそに、
「あげる」
「これは……」
「あげる」
 ジノグライに手渡されたものは、蒼い糸で紡がれたコースターだった。海のように。空のように。
「おみやげ」
 涙声。
 泣きそうな顔をしたアプリルを、ジノグライがその目に捉えた。
 涙を浮かべた彼女の双眸が、あの数時間前の波止場から見た景色のようだった。




*To be Continued……