雑文の掃き溜めで継ぎ接いだ世界から

創作小説「SEPTEM LAPIS HISTORIA」「ナイツロード 外伝」の連載、たまにイラストを投稿します。よろしくお願いします

SEPTEM LAPIS HISTORIA 023- 謎の美青年現る

 夢を見ていた。
 ……ような気がしていた。

 白い部屋が目の前に浮かぶ。ガランとして殺風景な部屋で、玄関みたいな場所だった。目の前には、黒くて硬そうな扉が嵌り込んでいる。それを開ける。
 開けた途端に、まだ意識は遠のいた。

 目を開けると、視界が緑がかって見えているようだ。数人の人間に取り囲まれているらしく、忙しないざわつきがうっすらと聞こえてきている。
 目を見開こうとしたが、どうやら睡眠剤か麻酔か何かを投与されているらしく、眠気に抗えずそのまま目を閉じてしまった。

 断片。
 試験管。
 配線。配線。配線。
 白衣。
 医療器具。
 コードの束。
 次々に浮かんでは消えていく記憶。生まれて沈む思い出。少しずつ繋ぎ合わせると、何かが見えてくるような気がした。
 だのに、もう力が入らない。
 何が起きたのかすら、思い出せない。朧気で儚い、泡となって消え失せる。
 苦しさが徐々に増していく。息ができない。
 脳に酸素が入らなくなる。意識を手放した瞬間、仄紅く光った帯のようなものが見えた気がした。


「ばはーっ!」
 大量の海水を吐き出し、いち早く海面に運転手だった男が出てきた。サングラスは吹き飛び、ヘーゼルの穏やかな目が覗く。辺りを見回し、通信機しかいない事を知ると顔が青ざめた。
「おーい! 一体どうなってんだよぉ!」
『運転手さん! 申し訳ないけど私が一番知りたいです!』
 ほとんど悲鳴に近いシエリアの声がした。横からジバの声も割り込む。
『まだ深くは沈んでないはずだ、音響装置とか無い? ソナーを使えばどの辺に沈んでるか分かるし対策とかも立てられるはず……』
『ちょっと待ってください! 何かそれっぽいものがどこかに……あったはずです……』
『何でも造るね』
『それが取り柄ですから!』
 暫し待つと、
『ありました! 今からそっちに転送します!』
 すると、男の目の前に直方体のブロックめいたものが転送され、海面に触れ、沈んでいく。
『こちら側のモニターで操作します、ひっきりなしに音波が出てるので皆がどの位置に沈んでるか分かります』
「お、おう……なんだかよく分からねぇけど……俺はどうすればいいんだい?」
『だいたいの位置を指示します、素潜りで到達できる場所のようだったらお知らせしますので皆を引き上げてください』
「あたぼうよ、俺だって基礎魔術の心得ぐらいあるさ、多少のムチャしてでも皆を引き上げる……約束しちまったんだしな」
『頼みました……あっ!』
 シエリアの注視するモニターには、音波が象った海底が映し出されていた。そこに、赤い点が二つ、三つ、増えていく。
『そこからちょっと右にハンマーさんが沈んでいます! 彼は重たいので気をつけて!』
「そんなんで怯む俺じゃねぇよ!」
 ポロシャツを脱いだ男の姿は春の海面下に消え、波紋と飛沫が飛び出す。少しずつその姿は暗くなり、不意に急速浮上したその腕にはヘルメットのかぶさった人間がいた。
『次はミリちゃんです!』
「よしきたぁ!」
 通信機から急場凌ぎに浮き輪が転送されてきた。男はそれにハンマーを乗せると、観測点に向かって再び潜っていく。再びすぐに浮かび上がってきた時には、白と黒の頭髪が見えた。
「二人は人工呼吸すれば大丈夫だろうな……」
 別に転送された浮き輪にミリを乗せ、男がぼやく。
「で、あとはあの黒いあんちゃんだろう? 何処にいる?」
『それが……』
 シエリアが言葉を詰まらせる。
『予想以上に沈むスピードが速くて、運転手さんの泳ぎでも追いつけるかどうか……』
「おい! 間に合わないとか言うつもりじゃないだろうな!」
『ここまで行くと到達点に向かって引き上げるタイプの魔術を放つしかないのでは……』
「う……そこまではカバーの範囲外だ……俺にはどうすることも……」
 周りを見回す。すると一艘のオールがついた小舟がゆるりと近寄ってきた。意識のない二人に頼れないと判断した男は泳いで小舟に近づき、通信機もそのあとを追う。
 小舟にはひとりの人間が乗っていた。ジノグライやハンマーよりも年上らしい。一見しただけでは性別の咄嗟の判断はつき難かったが、どうやら骨格からすると男のようだった。そんな中性的な顔立ちで糸目の青年だった。美しく整ったその顔のせいで、逆に胡散臭さも感じられる。
 髪は透き通った白髪で、微かに茶色がかっている。つばの広い麦藁帽子を被っていたが、うなじまでかかる長髪だった。肌寒かったのかベージュ色で長めのジャケットを膝掛けのように敷いており、手には小さめの本が握られている。彼は読書に勤しんでいたようだ。
 だが急を要する事態の前に、男は青年に懇願する。
「なぁそこの兄ちゃん! お願いだ頼みがある!」
「あぁどうも……先ほどの波は凄かったですねぇ……蔵書が少し濡れてしまいましたよ」
「いやそうじゃねぇ! 人の命が懸かっていることなんだよ!」
「……詳しく聞かせてもらえませんか」
 手短に男は青年に事情を説明した。ついでに小舟に上がりこませてもらい、通信機が指定する位置にそれとなく小舟を移動させてもらう。
「つまり……引き上げる系の魔法が私にあれば……と」
 オールの悠長なリズムに合わせて青年が言葉を紡ぐ。半ばいらいらしながら男は叫ぶ。
「その通りだ! 兄ちゃんなら魔術に詳しそうだと思ってな……」
「ふむ……」
 慇懃な口調で話す。
「……なくはないですよ」
「本当か!?」
「……ですが知ってますか? 深海は相当量の水圧がかかっています、私はお世辞にも怪力ではないのでこれを行使できるかどうか……」
「それは……」
『おお、ハンマーなら大丈夫だろう!』
 ジバが割り込むと同時に、
「……ぅう?」
『ハンマー!』
「呼びましたか……いつっ……げほ、げほっ……」
 幸いにもハンマーの意識が戻った。まだ背中の傷が治りきってないらしく、痛みに顔を顰める。
「あの黒いあんちゃんが海底に沈みそうなんだよ!」
『で、このお兄さんが引き上げてくれるらしい……でもどうやって?』
『ここですね……』
 シエリアの声が被さる。青年は膝掛け代わりにしていたジャケットを着た。男は船尾に浮き輪を括りつけた。
「つまりこの真下にその人がいる……ということで?」
「ああ、そういうことになるな」
「では……」
 麦藁帽子を取った。すると、
「お、おい……なんだそりゃあ!」
 青年の両袖の下の肌から赤いものが噴出した。それははじめ鮮血のようにも思われたが、空中でうねり、渦を巻き、まるで長い長い帯のような形をとっていく。突然その赤い赤い帯が、海面に勢いよく突き刺さった。
「なんだ!?」
 その途端、海面下の赤い輝きが消えていく。更に猛烈な勢いで煙が海面から飛び出した。
 つまり。
『これは……熱!?』
『分かりやすく言うならマグマに属するものですね……!』
「えぇ、多少趣は異なりますが……これも炎魔術の一形態です」
「なんてぇ奴だ……」
 海面下では、輝きを失った赤い帯が凄まじい速度で深海へ潜っていく。そしてそれらが義手の重みによって速く沈んでいくジノグライの動きを捉える。捉えた。
 仄赤く、触手にも見えるその帯が、ジノグライの身体に巻きついていく。それを水面にいた青年は察知した。
「今ですね」
 両袖を海面に向け、一挙に振り上げた。すると赤い帯も伸びていく。そして、次の瞬間一気に帯がぶちぶち、と千切れる。
「誰か海面に石か何かを投げてこの帯を冷却してくれませんか」
「よっしゃ!」
 ジャンプして、男が海面へ飛び込んだ。帯が水に塗れ煙が立ち、冷却されていく。
「ヘルメットの人、この帯を思い切り……引っ張り上げてください」
「?」
「怪力なのでしょう?」
「えぇ、あ、ああ……分かりました……」
 思わず敬語になりながらハンマーが応える。小舟をさらに海面からそそり立つ複数の帯に近づけてもらい、帯に手をかける。脆そうだったが、意外にがっしりとしていた。冷却されたばかりの帯は未だに熱く、一度持つのを躊躇しかけた。だがもう一度、一気に掴み、引き上げる。
「なるほど……やりますね」
 青年の感嘆をよそに、ハンマーは少しずつ帯を持ち上げていく。引き上げていくにしたがって、海水に長く浸かっていた帯は少しずつ冷えていった。枝分かれし絡まりあいながら、無限に続いていくような帯を引き上げていく。すると唐突にその終端に辿り着いた。
「ジノグライ!」
 意識を失くし、半分死にかけていたジノグライが海面に戻ってきた。ゆりかごの様に絡まった黒い帯が、彼の身体を支えていた。
『急いで心臓を圧迫して! ミリちゃんも同様に! 早くしないと意識が……』
 シエリアの声が通信機から響く。
「……」
 そんな中でも青年は、絡まりあった帯の隙間から覗く義手を見ていたままだった。

「た、助かりました……」
「思いがけずお世話になっちまったなぁ」
「いやいや……あなたが言ってくれなければ分からなかったことですから」
「そ、そうかい、ならいいんだ……タハハ」
 照れながら男は頭をかいた。昼間の日の光が水面を照らしていく。ミリとジノグライの意識も無事に戻った。
「……」
 ミリが謝ったのに比べて、ジノグライは未だに素っ気無かった。しかし不意にその口が開く。
「お前」
「……私です、か?」
 指を差しながら青年が応える。
「何でしょう?」
「……お前は何者なんだ?」
「何者……とか言われちゃあ何も答えられませんよ、定義が曖昧なんですから……」
 含み笑いをしながら言葉を返した。
「何か質問があるなら岸に着いてからでも遅くは無いと思いますよ?」
 青年が人差し指で示した先には、既にノックスの街に通じる港が見え始めた。
「運がよかったですね、私はここから程近い海域を小舟に乗りながら読書としゃれ込むことが多いんですよ」
「……聞いてねぇ」
 ジノグライが苦い顔をする。
「ノックスの街にはもう少しで着きます……そこの人」
「俺か?」
「運転をしていただいても?」
「あ……おうともさ」
 青年の言葉は丁寧で、有無を言わせない響きも滲んでいた。裏には説得力が満ち満ちているようだった。
「……」
「なんだよ」
 ジノグライが青年に言う。一触即発の雰囲気が漂いかけていたとき、
「この舟はやっぱり一人用でしょう? 狭いですねー……」
「……」
「……」
 空気の読めないミリの発言が場の雰囲気を砕いてしまった。むしろハンマーには、それがありがたく感じられた。
 もともと青年が一人で乗る用の小舟は、五人にはやはり狭かった。

「着きましたね」
「俺も手持ち無沙汰になっちまったなぁ……サングラスも失くしちまったし……適当に定期便で帰ろっかな」
 そう言って、挨拶もそこそこに男は四人と一機と別れた。ごめんな、の一言を残す。
 ついに辿り着いたノックスに続く港は、妙に砂っぽかった。近くには砂漠があるらしく、砂交じりの風が吹き荒れる。しかし近くに海があるお陰で、食料は先ほどいたマルシェの街とは雰囲気を異にする魚料理が名物らしい……とは街をぐるっと巡ったハンマーの談だった。
 他の街との交流も盛んらしいその港は、マルシェの街にも負けないほど立派なものだった。フォークリフトが立ち並び、大きな船が多数港に停泊していた。青年を除いた三人がひそひそ話で会話する。通信機も加わった。
「なんとかたどり着けたけど……」
「この近くに俺たちの街を襲った元凶が控えていてもおかしくないというわけだな」
「おかしくないけど……」
『私はあの海面から立ち上がった怪物も気になります』
『科学と魔術の両方のアプローチを目論んでいるみたいだな』
「だな……だがそれよりも目下気になることがある」
「……私も……」
「あのお兄さん……ついてきてるよね?」
 青年は少し離れた場所で風に吹かれていた。先ほどは麦藁帽子に隠されていて気づくことはなかったが、よく見ると一部の髪の毛の束がぴょこんと立っているのが分かる。一旦密談を止め、三人は青年に向き直った。青年もそれに気づく。
「終わりましたか」
「……何用なんだ?」
「まずはあなたたちの名前を聞かせてください」
 そう告げた。渋りながらも三人と一機は名を告げる。
「僕はハンマーです」
『シエリアです』
「私はミリティーグレット。ミリと呼んでくださって結構です」
『ジバと呼んでね』
「……ジノグライだ」
 そこまで言ったあと、今度はジノグライが言う。
「じゃあお前の名前も聞かせてくれるんだろうな?」
 のらりくらりとした青年の態度が、ジノグライは気に入らなかった。
「ああ、失礼……申し遅れました」
 丁寧にお辞儀をしながら、青年は言葉を紡ぐ。
「私の名前はゾイロス……ゾイロス・イクシオン……そしてジノグライさん」
 顔を上げた。決然と、しかしながら怪しく、目の前のジノグライに向かって言い放った。

「私と勝負していただきたい」




*To be Continued……