雑文の掃き溜めで継ぎ接いだ世界から

創作小説「SEPTEM LAPIS HISTORIA」「ナイツロード 外伝」の連載、たまにイラストを投稿します。よろしくお願いします

SEPTEM LAPIS HISTORIA 032- 掻き消える身体は掻き消える日常と共に

 今日も、「第一」へ向かっている途中だった。
 石畳でできた路地を、暖かい朝の光に包まれて、ゆらりゆらりと歩いていく。両手で鞄を持ち、黒い三つ編みをふらふら揺らしていた。

 春休みだけど、私は親の……というか「おじさん」の勧めで教育機関の春期講習に参加することになった。この春を利用してしばらくこのティエラの街に滞在することになったので、しばらくは二人暮らしだ。
 教育機関にわざわざ休みなのに通うことになったのもそういうことだ。気心の知れたクラスメイトがいないというのもなかなか悲しいものがある。でも友達は多いほうじゃないので高望みはしない。そういうものだ。
 このような毎日が、嫌かと言われれば半分当たりで、半分はずれだ。平々凡々な毎日は良いものかもしれないが、如何せん退屈にすぎる。そんな事を考えていては駄目だろうか。
 誰かに言われたのだが、どうやら私は「地に足が着いていない」らしい。いつもふわふわしていて、良く言えばロマンチスト、悪く言えば非現実主義者だという。そして言い返せないのがまた悲しい。
 ただ、何か大きな事件とかは、どーんと起こって欲しい……かもしれない。かも……しれない?
 それとは無関係に、ぽかぽかとした世界は、今日も暖かく私を包む。それだけで、今日もいい日になりそうな予感があった。
 その予感は、迫る足音と機械音で掻き消えることになったわけだけど。

 衝撃。
「ぐわあッ!」
 濛々とする土煙。悲惨に石畳の道がバラバラと砕けていく。
「ダメージは!?」
「ありません」
「無いよ!」
「ねぇよ……ここは退くか」
 思い思いに散らばり逃げる。すぐそばに分岐路があった。ハンマーとゾイロスは右に、ミリとジノグライは左に逃げた。そして巨大ロボットはハンマーとゾイロスを追いかけていく。
「うわああぁぁぁ! 来たぁぁぁ!!」
「動揺しないでください!――ああ、次は三叉路です、二手に分かれましょう」
 ゾイロスの言う通りに三叉路が現れる。ハンマーは直進、ゾイロスは左に。すると巨大ロボットはハンマーを追いかけていった。ゾイロスは遠ざかっていく足音を聞きながら、重要なことを忘れていたことに気が付いた。
「しまった私としたことが……!」
 気が付いたときには遅かった。巨大ロボットは道の向こうに、家屋の向こうに消えうせていった。
「私が熱線でも何でも使って引きつけるべきでした……!」
 腕や脚からなら魔術は安定して出力することができる。見たままの景色に自然に魔術の痕跡を描き出すことができるのは、回復魔術を操る難しさとはまた逆ベクトルの難しさを要求される。そしてゾイロスはそこまでの技量を未だに持ち合わせてはいなかった。
「上級の魔術使いならば空気の流れからでも道の様子が分かるとも聞きますが……」
 このままでは無用の破壊をもたらしてしまう、その結論に思い至ったとき、ゾイロスは考えを手放した。
「……ここはハンマーさんに任せましょうか」
 そう思いながらも胸騒ぎが止まらなかった。

「はぁ、はぁ、はあっ……」
 もともとハンマーは持久力に秀でているわけではない。彼の強みはダイナマイトのような腕力だ。ひとたび爆発してしまえばその破壊力はもはや誰にも手がつけられない。それはハンマー自身がよく知っていることだったから、遠距離攻撃に優れていなくても広場のような場所なら、逃げながら何かしらのものを投げつけることで相手を攻撃できるだろうと踏んでいた。
 ところがその広場は無さそうだった。それどころか悪いことには、どんどん住宅地に踏み込んでいっているらしい。滴る汗の中で、思わずハンマーは歯噛みした。
 そしてふと前方を見たとき、最悪なものを見てしまった。
「ああぁっ!!」
 前方にいたのは女の子である。しかも何も知らないような顔をしてゆらゆらと歩いていた。歩くたびに黒髪から垂れ下がった三つ編みがぴょこぴょこ揺れている。両手に鞄を提げ、くすんだオレンジのベストを着ていた。このままでは彼女を巻き込んでしまう。
「危ない、避けて!」
 必死の叫びも遅きに失したかに思えた。巨大ロボットが振り下ろさんとした腕は、あろうことか腕ユニットがガシャンと伸びだし、ハンマーと彼女を叩き潰そうとしてきた。すかさずハンマーは横に跳んだが、
 そして戦闘の素人丸出しであるところの彼女はその腕を避けることなど到底不可能だった。影が一瞬で伸び、一気に補足する。
 見たことも無いくせに血液と臓物がぶちまけられるイメージが鮮やかに脳内で弾ける。そして思わず目を瞑った。
 爆音。

 軽い瓦礫がパラパラと落ちていく。ハンマーは薄目を開けたが、返り血のようなものは付着していなかった。否、それどころか――
「えっ!?」
 彼女は無傷だった。内臓が弾けるどころか、ベストにも鞄にも傷一つ付いていない。その状態で彼女は少し後ろに下がっていた。
「うそ……」
 巨大ロボットも想定外のことに愕然としているらしく、一瞬動きが止まったかと思ったが早いか、もう一度攻撃を仕掛けてきた。今度は前方に駆け出したままでその巨大な拳を唸らせていた。
 その途端、
「うっ!」
 風が強く吹いた。今度は片目をハンマーは瞑る。そして、もう片方の目で、その瞬間をしかと見届けた。
「……!?」
 驚きの声も出なかった。彼女は巨大な拳が腹にめり込んだと思われるタイミングで、ぱあっ、と周囲の空間に拡散した。
 彼女自身の身体が、周囲の空気に混ざりこみ、溶け合い、次の瞬間にはまるで逆戻しの映像を見ているかのごとく彼女の身体がもう一度形成されつつあった。
「こんな能力を持った人がいたなんて……!?」
 驚愕に両目を見開いたハンマーは、ひとときその華麗な攻撃の受け流しに見惚れてしまっていた。しかし、
「つっ……」
 彼女はもう一度像を再形成すると、少し苦しげに胸のあたりを押さえた。そして荒い呼吸を繰り返す。そうか、とハンマーは思った。
「あの子はそれほど長い間『あの状態』にはなれないのか……」
 そこに気づいたハンマーのとるべき行動は明らかだった。周囲をくまなく見回し、煉瓦が少し積まれているのを見つける。そのうち一つを手に取って、狙いをしっかりと合わせる。
「どりゃあ!」
 気合一閃、その手から放たれた煉瓦は臙脂色の残像を描くほど速く飛び、しっかり合わせられた的――巨大なロボットの重量を支える脚部――に狙い違わず命中した。ぐわしゃん、と凄まじい音を立てて、ロボットは前につんのめるかのように激しく損傷しながら倒れた。倒れてから改めてその姿を見ると、どうやら光線や火器の類の武装は備えていなかったらしい。完全に沈黙したようだ。
「一安心……かな」
 そんなことを言っていると、唐突に彼女は更に前方へと逃げ出していった。
「あっ、ちょっと!」
 このようなロボットが現れたのも、この街への侵略が開始された表れだろうと考えたハンマーは、彼女を呼び止めようとした。何より彼女の能力に、興味があったのも否定はしない。
 そんな思惑とは裏腹、彼女はさっさと走り去ってしまう、と思ったのも束の間、
「……うー……」
 唸り声をあげてその場に佇んだ。どうやらあの『特殊能力』は体力をかなり消耗するらしい。あるいはただ単に運動不足なだけか、果ては持病か。
 何にせよ、ハンマーは案外すぐに彼女に追いつけた。
「もしもし?」
「えっ」
「怪我はないですか? さっきは随分苦労してたみたいだけど……」
 拙い敬語で相手を思いやる。
「あ……」
 当の彼女はそう息を吐いたあと、
「うっ……」
「え?」
「ううぅぅぅ〜…………」
 なんと泣き出してしまった。あまりのことにハンマーは驚きに飛び上がる。
「ええっ!? だ、大丈夫!? しっかりしてよぉ!!」
 あたふたとしている間に、
『ナンパとは感心しないのう』
「やーい女の子泣かしてる〜」
 いつの間にかいつものメンバーが後ろから二人に近づいている。ジバとミリからそれぞれ野次が飛んできた。たちまち彼の顔はゆでダコ並に真っ赤になる。その間にも彼女はめそめそと泣きっぱなしだ。
「ご、誤解だー!!」
「うっ……うっ……うう……」
 ハンマーの叫びが虚しく青空に響き渡った。

 改めて見ると、スタイルの良い女の子だった。
 身長はミリより少し高いくらいで、ちょうどハンマーと同い年ぐらいの子である。身体とは裏腹、頭に乗った黒髪からは三つ編みが垂れ、蒼い瞳と整った顔立ちが清楚な印象だった。これで眼鏡をかけていたらステレオタイプな文学少女の顔立ちだったのだろうが、生憎目は良いらしく裸眼だ。
 彼女が落ち着いて、ハンマー側の自己紹介も済んだ頃だった。
「あなた、名前はなんと仰るのですか?」
 あくまで紳士的にゾイロスが声をかける。
「……」
 しばらく口を閉ざしていたが、彼女はようやく開ける気になったようだ。
「……アリア」
 呟くように言の葉を押し出す。
「アリア・ホロスコープです」
 一同が頷いた、その矢先に、
「あぁっ! そういえば講習……っ!」
 弾かれたように走り出す。そして前方の交差点を左に曲がった。
「あっ」
「追いかける?」
『その必要は無いかもよ』
 言葉とともに、ジバはラジオを取り出し、ジノグライ達に放って寄越した。周波数はティエラの街の放送局に合わせている。ほどなく堅いアナウンサーの声が聞こえてきた。全員、耳を傾ける。
『……ティエラ東居住区に突如巨大ロボットが襲来し、東居住区を襲った模様です、これにより東居住区1、2、5、6、9に避難勧告が出されました、繰り返します、たった今入ったニュースです……』

 私の通うティエラ街立第一高等教育機関が、すぐ目の前に見えてきた。しかしなんだか様子がおかしい。私のほかにも生徒がそれなりにいて、落ちつかない様子でザワザワとさざめいている。そこで見知った顔を見かけて思わず叫んだ。
「先生!」
 声をかけたのは私の担任であり、文学の先生だ。中年の男性で、脂ぎった顔はお世辞にも爽やかではないが、生徒に対しての親身な指導は尊敬している。
「何があったんですか」
「やぁホロスコープさん、実はちょっと良くないことが起こってねぇ」
 汗をかきながら話を進める。
「巨大なロボットが東居住区をメチャメチャにしているって噂でもちきりなんだ、おかげでこの『第一』も短期間だけど生徒の安全のために休講……だそうだよ、まぁそのほうがいいよね」
 私はハッと目を見開く。
「本当……ですか?」
「その通りだよ、それじゃあ今日はすぐ帰りなさい、無駄足にさせて悪かったね、万一ロボットと鉢合わせしたら、とにかく逃げなさい、いいね?」
「わ、わかりました」
 私はそれ以上何も言わず、何も言えず、ゆっくりと踵を返した。
 何が起きたかは、自分が一番よく知っていた。巻き込まれた、が正しいのかもしれないが。
 間違いない。さっき襲われたあのロボット。あれだ。あれ以外に考えられない。間一髪で助けられたが、
「……」
 自分でも何がなんだか分からないうちに、脚は自然とさっきの彼らを追い掛けていた。どこに向かうかは全く分からないが、大きな事件が起こりそうな予感で胸がはちきれそうだった。
 起こってしまった。大きな事件が、しかもかなり、どーんと。不謹慎なはずなのに、胸の高鳴りに歯止めがかかってくれない。
 そして、自らの身体が、
 透けた。
 服も肉体も鞄も、一度に。
 折りしも強い追い風が吹いていた。私は自分の能力を、普段全然使わないくせに、こんな時に限って一生懸命に自分の限界を把握しようとしている。
 ああ、何でそんなことまでしようとして追いつこうとしてるんだろうね?
 答えは私が一番よく知っていた。スリリングな半分に、世界が傾いた。その波に乗っからない手は無かった。何かが変わろうとしていた。ぽかぽかした世界からは、閉ざされてしまった。しかしながら、ワクワクしているのだ、どうしようもなく。
 私の『特殊能力』は、短時間だけ自らの身体を気体にすることができるものだった。もう一度自分の身体が像を結んだ。服が肉体が鞄が、確かな質量と共に重力に引かれて地に落ちた。
 そしてそれとは反対に、あれだけ退屈だと思っていた日常が、質量をなくして掻き消えていく。
 追い風が止む。私はもう一度走り出した。




*To be Continued……