雑文の掃き溜めで継ぎ接いだ世界から

創作小説「SEPTEM LAPIS HISTORIA」「ナイツロード 外伝」の連載、たまにイラストを投稿します。よろしくお願いします

SEPTEM LAPIS HISTORIA 004- おもしろいメカ、おそろしいメカ

「ということで」
『聞こえるー?』
「聞こえている」
 二人が歩みを進めて間もない頃、さっそくジバから通信が入った。通信機の向こうのちゃらけた声はいつもと変わらないが、
『あー、あー、マイクテスト、マイクテスト、本日は天気晴朗なれども波高し……』
「さっさと始めろ」
『ういっす』
 若干うざったらしくなっていた。
『そうだな、今何でもいいからその辺にあるものや君たちが持ってる何かをこの通信機の前にかざしてみてくれないか?』
 目ざとくジノグライは反応する。
「……間違いないな?」
『……嫌な予感がする』
 ややあって、通信機の外から悲鳴が聞こえた。

「そうだな、今何でもいいからその辺にあるものや君たちが持ってる何かをこの通信機の前にかざしてみてくれないか?」
『……間違いないな?』
「……嫌な予感がする」
 ややあって、
「ぎゃあああああああ!!」
 ジバの眼前に大きなトンボが唸りをあげて旋回していた。
「虫が嫌いなことをおみゃーら知ってるだろぬぉおおあああああ」
「喋り方! 喋り方!」
 思わず突っ込まれるほど荒ぶるジバを目の前に、シエリアは笑いを堪えるのに必死だった。

「ぜはー……ぜはー……」
「大丈夫ですか?」
「だいじょばない……」
 即答する。シエリア渾身の窓開けによって、トンボはリビングから駆逐された後だった。長距離を全力で駆け抜けたあとのように、ジバは膝を折って息を切らしている。さっきまで食卓だったテーブルの上に、大きめのディスプレイが一つ置かれていた。暴れて蹴飛ばされた椅子に座りなおして、画面を見る。相変わらずジノグライはポーカーフェイスだったが、どこか満足げな雰囲気がわかってしまうほど、通信機のカメラアイは高解像度だった。
 ちなみにテレビやパソコンといった言葉はまだ発明されておらず、このようなものを作れるのは一部の限られた研究者にすぎない。情報源として普及していたのは、専ら新聞やラジオだった。要はシエリアは相当優秀な女性であったということである。
『気分はどうだ』
「最悪よ」
『よかった』
「よくねぇ」
『今のは冗談だ』
「あのねー!」
 モニターに向かってジバはビシッと指を差す。もっとも通信機の向こうの人間には見えていないのだが。
「やっていい冗談とやっちゃダメな冗談が世の中にはあってだね……」
『それは耳にタコが出来るほど聞いた』
「反省してくれよ……」
 頭を抱えた。横から別の声が割り込む。
『ごめんなさーい……』
「ハンマー君が謝る必要は無いんだよー……」
『じゃあ今からそっちに僕の大金鎚送りますねー』
「りょーかい」
 ほどなくして、座っている彼の傍らに大金鎚が転送されてきた。試しに持ち上げようとするが、少ししか持ち上がらない。
「本物みたいだね、テストは成功だ」
 無理矢理満足げな顔を繕う。まだ動転している気を落ち着かせ、声を絞り出す。
「それじゃあ安心して行って来なさい、私がついてるよ」
『助かります! では!』
『倒れんなよ』
 そして、二人は再び歩き出した。通信機はそのあとをふよふよついていく。
「さて……」
 ジバはシエリアに向き直る。
「とりあえずその柱の分析を頼んでいいかな?」
「わかりました」
「それにしても……」
「……はい?」
「ジノグライが素直になってくれる日は来るのかねぇー……」
「未来永劫、来ないと思います」
ぐぬぬ

「俺の噂が聞こえる気がする」
「気のせいじゃない」
「いや実際聞こえた」
「……もしかしてジバさんマイクの電源切り忘れてないかな」
「……有り得る」
 市街地を通り過ぎながら、二人は会話を交わす。実際マイクの電源は切られていなかったので、この会話は薄く聞こえていた。どこまでこの通信機が二人を監視するかは、まだ何とも言えなかった。
『……あ、風呂は覗かないよ』
「聞いてるじゃねぇかよ」
 しばらくした時、いきなり通信機からジバの声が割り込む。
『ふっふっふ、このタイミングで通信したのはほかでもないぞ』
「勿体ぶるな」
『シエリアさーん』
「しかもお前じゃないのか……」
 通信機の向こうからの声が、若い女性のそれにすり替わる。
『私です、シエリアですー』
「……何の用ですか」
 一応目上の人には、ジノグライも敬語を使う。やはり滑稽にしかならないので、ハンマーが応答を代わった。
「こちらハンマーですー、何の用ですか?」
『えぇと、今、例の柱について分析してまして、今分かったことだけを話します』
「……頭の悪い僕にもわかるようにしてくださいね?」
『……がんばります』
「わざわざ言わんでも……」
 ジノグライに呆れられた。
『それで、あの金属は……一応合金なので、未知の金属というわけではなさそうです……ただ、鉄をはじめ、実に多くの金属が組み合わされていて、その上に黒の塗装がされてるので、見抜けない人には見抜けないのでは、と』
「へぇ……」
『この柱の用途なんですけど……』
「はい?」
『……私としたことが、分かりませんでした……』
「……!」

 シエリア・エディアカラの『特殊能力』。これには「ツールアンダスタント」の名が冠されていた。
 それは、物体を見ただけでその物体が何に使用されるかを瞬時に読み取れる能力である。最新式ラジオも反重力魔術を利用した一人用ソーサーも、彼女の目にかかればその用途がすぐに分かるのだ。
 だが彼女は気づいていなかった。この能力は「既出の技術のみで造られた」ものの前にしか発動しないことに。
 つまり、この柱がオーバーテクノロジーで造られていたことの証明であった。
「珍しいですね……」
『兵器であることが分かっているだけに恐ろしいです……鈍器なのか砲台なのかもはっきりしないあたりがまたとても……』
「……それだけ、ですか?」
『あっ……いやいやごめんなさい、ひとつ忘れてました』
 言葉を一度切る。
『この柱なんですけど、よく見たら爪と反対方向の底部に文字が刻印されてました……ERT-0415957……と書いてありまして』
「通し番号……みたいだね……」
『私から分かったことは以上です』
「分かったことがあったらその都度教えてください」
『分かりました……でも底部のハッチを開けられないことには……難しそうですが頑張ってみます』
「ありがとうございました!」
 通信機の向こうの声が途絶えた。またふよふよとついてくる。
「今の話……」
「なんだ聞いてたの」
「今の『通し番号』は7桁あった……冷静に考えると100万単位の柱が配備されているということだよな……」
「少なくとも40万は確実だよ」
「圧倒的……か」
 ジノグライは再び歩き始める。
「生意気な軍勢だ」
 吐き捨て、道の角を曲がる。道の横には草が生えた空き地があり、まだ柱――これからは便宜上それを『ERT』と呼ぶことが、二人の間では暗黙の了解とされていた――が一本突き刺さっていた。すると、
「げ」
「……」
 例のロボットだ。カメラアイに、二人が映る。障害と認め、こちらを殺戮するため動きだした。忙しない金属音を響かせる。
「……む?」
 こちらを殺戮するために動き出したと思われたロボットは、こちらには目もくれず空き地のERTへ向かっていた。そして、ジノグライには出来なかったが、ハンマーには出来たことをした。
 ロボットは、両腕でERTを引っこ抜いた。
「!?」「……?」
 ジノグライは驚き、ハンマーは訝しんだ。ロボットは両腕を右肩にやり、そこにERTを乗せる。そして、右肩とERTが接合するような金属音が響いてきた。
 ロボットが腕を放すと、右肩とERTが完全に接合したことが分かる。ハンマーには、鉄骨を担いだ作業員の姿が思い浮かんだ。そのとき。
「おい……まさか……」
 動こうにも身体が動かなかった。思考で理解していても、オーバーテクノロジーの前に歩みが止まる。キュンキュンキュンキュンキュンキュン……と何かが充填される音がする。あるいは加速するような音が、目の前の金属の構造体から聞こえてきた。
 そしてロボットは二人の方向を向いた。そこに向けられていたのはERTの底面である。そしてその底面は爪のあるほうだった。見る間に爪は引っ込み、ハッチを遮るものが無くなった。
 ハッチが開く。

 火炎が飛び出した。
「!!」「!!」
 ジノグライは前方に伏せる。ハンマーは左へ跳んだ。街路を炎が猛烈に舐めていく。
 救いだったのは、火炎にそれほどの燃料が無かったことだった。火炎はすぐに燃料が切れ、煙がERTの底部から薄く流れ出す。爪が再び飛び出した。
「弾切れ……か?」
 しかし、
「あ……!」
 受け身をとり、炎を避け、ロボットを注視したハンマーは気づく。右肩に乗せられたERTが、ばきゃっ、と音を立てて、外れた。ロボットの腕に収まる。
「ジノグライ! 前!!」
「くっ」
 距離を詰めようと前に出て、集中していたジノグライは、ハンマーの声で気づく。一気に立ち上がり大きく後ろに下がったジノグライのつい先ほどまで立っていた位置に、ERTが振り下ろされた。大きな質量が襲いかかり、石畳がばらばらと瓦礫になって崩れる。もうもうと煙が溢れ出した。
 体制を立て直すほんのわずかな間で、ロボットはERTを引き直した。その手に収まったとき、高速でジノグライの蹴りが炸裂する。
 ごん、と金属音が反響する。ロボットを守る形でERTがロボットの両手に抱えられていた。与えたダメージは大きいはずだったが、ERTには傷一つついてない。そしてロボットはERTの底部を掴み、今度は遠投に挑戦するかの勢いで回転しだした。
「っ!」
 回転が止まった。ハンマーがいつの間にか近寄り、ERTが描いた螺旋を腕力でもって強引に捩じ伏せる。
「でぇえええい!!」
 そしてそのままハンマーはERTを右へ強引に放り投げた。その前にロボットはERTを腕から放していたが、ERTは先ほど突き刺さっていた空き地へと、爪を下にしてまたもや突き刺さった。
 その隙にレーザーの充填を完了させたジノグライが、左の義手をロボットに向けて、威力を増したレーザーが発射される。カメラアイが爆砕し、ロボットは後ろに倒れ込み、沈黙する。
 終結したかに見えた戦いは、
「……」「……!」
 静かな金属音が鳴ったことにより、延長されることになった。知らぬ間に、ロボットは後ろに近付いていた。
 ロボットの背中に積まれた燃料が、パワーを溜めて短く噴射されると、ロボットの身体は宙を舞って二人の前方、もとい空き地へと着地した。そして先ほどハンマーにより空き地に帰ったERTがその手に再び収まり、引っこ抜かれた。
 煙で二人の視界は塞がり、身動きが取れないでいた。その間に右肩との接合が完了され、充填が完了され、煙が晴れた。
 二人は反射的に火炎の飛んでくると思われる軌道から退いた。次の瞬間、炎ではないものが放たれた。
「ッ!」
「ビーム……!!」
 長射程の、ハッチと同程度の太さの蒼いビームが奔り、路面の石畳を次々焼き焦がす。こちらもまた、それほど時間をおかずに空間から姿を消す。
 放棄されていた大金鎚を拾ったハンマーが、その隙に大きく弧を描いて大金鎚をスイングさせて、ロボットを上から潰す。ひしゃげた金属の隣で、けたたましい音を立ててERTが転がった。
 ジノグライは考える。

 何故だ?
 あのERTは、確かに炎の弾切れを起こしたはずだ。弾丸をリロードできる拳銃でさえ、弾切れにはリロードにかかる時間というリスクがある。
 ならばリロードのできそうもないERTが新たに炎を吐きだすなんて芸当はできないはずだ、更にビームを吐きだすなんて常識では考えられないことだ……

 悩んだジノグライがふと空き地を見渡す。二つの抉れた痕が見えた。
 だが、その二つの痕は近寄って良く見ると、「ERTが突き刺さっただけ」では説明がつかないように地面が抉れていることが分かった。直線的ではなく、その先に球を配置したかのように地面がぽかりと空いていた。
 まるでそこにあるものを吸収したかのように……

「!!」
 思考の歯車が廻り出し、ジノグライを翻弄していく。しかし、一刻も早くその場を放棄したほうが賢明だと踏んだジノグライは、走って空き地を通り過ぎる。それに気づいたハンマーももちろんついてきた。
 更に角を曲がって、フライハイト草原に急ぐ。廻り出した歯車は、容易に止まってくれそうもなかった。
 シエリアが見抜けなかったこの推測が、もし正しいとしたら……彼女の嫌な予感は的中してしまうことになってしまう。
 襲ってくる寒気を振り払うように、二人は荒れた春の街を駆けていく。




*To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 003- これまでの色々を聞いたあの人たちのこれから

「ずっとこれは思ってることなんだけどさー」
「はい?」
 太陽は彼らの真上にあるが、その時彼らは陽光の恩恵を受けられない家の中にいた。一人は男、一人は女。テーブルを挟んで向かい合って椅子に座っている。
「どうしてうちの家には女の子がホームステイしに来ないわけ?」
「……はあ?」
「……すまん冗談だシエリアさん」
「やっぱり」
 微妙な空気を生み出したことをジバはちょっと後悔し、スプーンを持ちながら目の前の女性に目を移す。
 素っ気無く言葉を返したシエリアと呼ばれた女性が、黒髪の大きなポニーテールを揺らしながら食パンを咀嚼し始める。白衣の下には、ジーンズとデニムジャケットが覗く長身痩躯の女性だった。
 二人は昼ご飯を食べていた。食パンにバターを溶かして乗せて、チーズとハムを乗せて食べる。置かれたポップアップトースターからは食パンが焼ける良い匂いがする。気分によってそこにマヨネーズやケチャップを乗せて、申し訳程度にバリエーションを持たせていた。
「で、どーよ最近、調子は?」
「はい、ミナギさんもよく働いてくれますし、結構順調ですよ……これ以上規模が大きくなったらちょっとキツいですけどね」
「私が怪我したらよろしくね!」
「そうそう家から出ないのに何を言ってるんですか」
「おふぅ」
 そんなジバを見て、シエリアはちょっと笑う。

 シエリア・エディアカラは、ここから北西にある街で小さな診療所を営んでいる。
 本人の律儀な性格と熱心な仕事ぶりが評価されて、街の中でも割と人気があるが、スタッフの増員をするつもりが無いらしく、ずっと小さな診療所のままだ。そしてシエリアは「ミナギ」なるスタッフを雇っているが、彼女がジバの妹で、以来シエリアとジバも顔馴染みになった。この縁をちゃっかり利用して、ジバは電化製品の修理などをよく依頼している。
「そんでまた、今日は何の用で?」
「あ、そうそう」
 シエリアは持ってきたトートバッグの中から、小さな瓶を取り出した。その中身は、
「へー、りんごのジャム?」
「はい、患者さんからたくさん貰ったので、おすそ分けです」
「おー! 嬉しいなぁ、ありがとう……」
「ところでミナギさんは」
「あ、ゴメンね、多分妹は買い出しとかに行ってるはず」
「ありゃー、そうですか、じゃあもう少しここに居ます」
「定休日にしたのに会いに来たなんてねぇ」
「プレゼントは直接渡したいんですよ」
「なるほどぉ……なんかごめんねぇ」
 とジバが言ったあと、シエリアはジャムをトートバッグにしまおうとする。その時、
「ジバさん!!」
 騒音と共にドアが開け放たれる。何度となく補強したあとの見られるジバ家のドアは、今日もハンマーの渾身のドア解放に健気に耐えた。柱を抱えたハンマーと、
「これ重いんだからそろそろ持ってくれねぇか」
 そうこぼしたジノグライが玄関先に立っていた。ジバが、
「……何をやっているんだい?」
 そう問うた途端にトースターが小気味良い音を鳴らし、食べ頃ですよの合図を告げる。


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「で、これに似た柱と機会兵団が降ってきて街が大騒ぎだって?」
「まさか気づかなかったのか!?」
「いやいや、ヘッドホンつけてたから……音圧の波に呑まれてたから……」
「……」
 結局昼ご飯のお弁当を現場に置き忘れたハンマーが怒涛の勢いでもりもり食パンを平らげる状況をよそに、ジノグライとジバ、シエリアは会議をしていた。特にシエリアは目をキラキラ輝かせて話に聞き入っている。
「ほぅ……謎に包まれた機械兵団……そして空から落ちてきたこの柱たち……不謹慎なのは承知ですがなんて興味深い事例なのでしょう」
「……」
 顔に思い切り「ダメだこいつら」の表情を貼り付け、ジノグライは黙した。 
「それで、俺達はこれからフライハイト草原に向かう」
「うーん?何でまた」
「これを見てみろ」
 結局、あのプレートをジノグライはちゃっかりと持ち帰ってきていた。ジバもシエリアも、そこに書かれた文字を目で追う。
「ジノグライ君!」
「え、は?」
 突然シエリアに呼びかけられたジノグライは変な問答をした。
「この柱……しばらく貸してくれないかな?すごく気になるの」
「……そこら中にたくさん落ちてますよ」
 馴れない敬語でコミュニケーションを図る自分は、酷く滑稽に思えた。
「それに……今の話が本当なら、なんだかとっても、悪い予感がするの」
 怯えた目つきでシエリアは喋る。
「まぁ何があったとて、俺はあいつらを倒しに行く」
「倒しにいくってもよぉ……もっと情報を集めてからでもいいんでねの?」
「善は急げ」
「らしくなさすぎる」
「……まぁな」
 実際の所、ジノグライは血湧き肉躍る抗争にさっさと身を投じたいだけだった。今度はジバとシエリアが「ダメだこいつ」の表情を顔に貼り付ける番だった。
「……わかったよ」
 ジバは割とあっさりと了承する。
「どーせジノグライのことだ、止めても無駄だよな……って感じだけど」
 ここで彼の目を見据えて言う。
「せめて万全の装備を整えてから行ったらどう? それに、お昼ご飯もまだ食べて……」
「おかわりッ!!!」
 既に一斤食い尽くされた六枚切りパン袋の残骸を掲げながら、ハンマーが堂々と宣言する。
 彼を除いた全員が、「ダメだこいつ」と思わざるを得なかった。

 もそもそ食パンをかじりながら、会議は行われる。ジノグライはゴム手袋を装着した上で食事をしていた。ちなみに彼はパンならガーリックトーストが専ら好みである。
「悪い予感……ってーかだいたい街は襲撃されてるんだがな」
「ふぅむ……」
「だって、俺が昼寝してたら横にゴン、と」
「……あい?」
 ジバは首を傾げる。
「嘘だと言ってよ」
「悪いが本気だ」
 脱兎の如くジバは駆け出し、二階を駆け抜け、屋上に辿り着いてそう時間も経たないうちに「ほわああああああああああ……」という魂の叫びが聞こえてきた。たまらずシエリアとハンマーは噴き出してしまう。幸い口の中のものは何も無かったので、大惨事だけは免れた感じはある。ほどなくしてジバは食卓の席に戻ってきた。
「ヤバい」
「だから言ったのに……」
「許すまじ」
「切り替え速いなおい」
「でも私行かない」
「……ぶっちゃけ期待してなかったからいい」
「えー言っちゃうー? それ私の前で言っちゃいますかー???」
「五月蝿い」
 薄っぺらい会話をぶつけあったあと、本題に移る。
「まー……こんなに騒いどいて何もしないのも非常にあれだけど、実際私は戦闘に向くタイプじゃない。足手まといになるだけだし、力も速さも技術もない、無い無い尽くしの無い尽くし……でも」
 座っていた椅子から立ち上がる。
「今回は私は裏方として君たちの冒険をサポートしようじゃないか」
「……へぇ」
「そんなワケでシエリアさん」
「あぁ、はい?」
「妹が帰ってくるまで暇なら、少し手伝ってくれないかな」
「そうですね、でもミナギさんは大丈夫でしょうか……」
「妹の事なら心配は要らないよ、あいつ魔術がすげぇ得意だし」
「そうですか……」
「二人はそこで待ってて、ラジオでも聴きながら時間でも潰しといて」
「……」
 地下に降りていったジバとシエリアを見送ったジノグライは、相方に目を向ける。
「たべなよ」
 口に食パンを詰めながら、尚も食事を貪っていた。
 ヘンテコな置いてけぼられた感覚が、ジノグライを支配する。

 そうしてジバとシエリアが戻ってきたのは、歌謡曲番組のラジオから流れる歌が十五曲ほど流れた後だった。
「できたよ!!」
 と言ってジバが高々と掲げた腕の先には、まるっこいメカがあった。
「作ったのは私ですよ……」
 シエリアが小さな声で付け足す。黒いボールのような外見をしており、小さなミカン程度の大きさだった。頭頂部からはアンテナが生えており、先端にジバのものと同型の小さな球がついているのは、恐らくジバの趣味であろう。そしてボールの真ん中には、ボールの直径の半分ほどの大きさの丸いカメラアイがついている。愛嬌を感じさせるが、なんとなくうざったらしくも思えた。
「これはまぁ、便宜上『通信機』とでも呼んどいて。名前がまだ無いからさ……あ、言っとくけどこの本体を作り上げたのは確かにシエリアさんだけど、デザインのアイデアとそれに付随する魔術をかけたのは私だからね」
「魔術?」
 ようやく二斤弱の食事を終わらせたハンマーが会話に参加する。
「そ。これに向かって言葉を発すればこの家に繋がるようになってるけど、その他にこれには任意で荷物をテレポートさせる魔術もかけてある。旅先で手に入れた武器やお土産なんかは遠慮なく私に預けるといいよ、いつでも引き出すことも可能だからね」
「ごはんを預けて食べないようにしてくださいね……!」
「ぜ、善処するよ」
 ハンマーの剣幕にたじろぐ。食べ物のことになると彼にはいつも誰も敵わないのだった。
「この通信機はお財布も兼ねてるからね、変わったことがあったら連絡してほしい」
「了解した」
 ジノグライが答える。そしてジバは
「ぽーいっ」
 と下手投げで通信機を放った。たちまち地面に叩きつけられるかと思いきや、通信機は浮遊し、ジノグライの目の高さまで飛び上がって滞空する。
「反重力をかけたのも私だよ」
「ありがとうございます!助かります」
「いいっていいってー」
 ひらひらとハンマーに手を振るジバの傍らで、シエリアははにかむ。だが、立って並んだ身長はジバよりシエリアのほうが大きいので、その辺りがちょっとシュールに見えてしまうジノグライだった。

「忘れ物は無いかい?」
「あとから送れよ」
「あーそういえばそうだったね、へっへっへ」
「うざったいな……」
「酷いなぁ」
 真昼時を少し過ぎた。ジノグライは出発する前に即席で包帯と金属板で脛当てや肘当てを作り、蹴りや肘打ちを補強しようとしている。ハンマーはいつも工事現場で働くときのように、ヘルメットに作業着姿だ。無論片手には大金鎚を持っている。
「じゃあ、無理はしないでくれよな、危なくなったら急いで帰るように。流石に特効薬とか回復魔術とかは通信機から転送できないんだからさ」
「前置きはいいからさっさとしてくれ」
 その言葉を受け、ジバとシエリアが手を振ろうとしたとき、
「おい!」
 声が聞こえた。後ろを振り向くと、ソキウスが立っていた。傍らには、所々赤く塗装されたツアラーバイクが、エンジンのかかった状態で放置されていた。
「わざわざ群れるなんて気にいらねぇな、何よりらしくねぇな、ジノグライ」
 憎まれ口を堂々とぶつける。
「一人のほうが気が楽なんだったら、俺がそれを証明してやんよ」
 バイクに跨った。
「俺とお前は永遠にライバル同士だ、この異変は、俺が必ず一人で突き止めてやる」
 捨て台詞を捨てるだけ捨てたソキウスは、ジノグライの口答えを待たずにバイクで走り去り、道の角を曲がって、もう見えなくなった。
 一方的に永遠のライバル視されたジノグライは、やはり心に燻りを感じていた。勝手にライバルだと決め付けられてしまっていたのに腹が立つのもそうなのだが、あいつの言動が急に気になったからだ。

『群れるなんて気にいらねぇな、何よりらしくねぇな――』
『一人のほうが気が楽なんだったら――』

 残響がかかって、彼の耳に繰り返し波紋を与える。
 確かに俺は、とジノグライは考える。変なことをしているのかもしれない。普段なら単独で敵の懐に潜り込むはずなのに、いやいや、今回はハンマーが勝手についてきただけだ、俺の意思とは関係ない……
 ただ、なんか知らねぇが許したくねぇな、とか様々に思い惑う。悩む彼をよそに、ハンマーは緊張と高揚が入り混じった顔で、
「ほら、いくよ」
 とジノグライを空想から引っ張り出す。
「きっとまた構って欲しいんだよ、あまり気にしなくていいと思うな……ただ」
「?」
「嫌な予感はしないでもないけどさ」
「……あいつのことだからな」
 小さく逡巡して、歩き出す。
「行くぞ」
 まだ爪痕が残る道路の上で、彼らは南東に向かい歩みを進める。




*To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 002- 喧嘩バーゲンセール

「ハンマー?」
 ジノグライはハンマーが働く工事現場の前に辿り着いた。建設の槌音が響くはずのいつもの雰囲気は何処へやら、今はしんと静まり返っている。と思ったが、
 めり、という音がして金属が殴り飛ばされる音がした。
「……やってるやってる」
 ジノグライは、ハンマーのことを余り心配していなかった。何故なら彼には、

「うわあああああ!! うわああああああ!!!」
「……鉄骨ぶん回しながら怯えるのか……」
「あ、ジノ」
 類いまれなる怪力が宿っているからである。
 ちなみに「ジノ」とはジノグライの愛称だ。
「その呼び方やめろ」
 本人は嫌っているようだが。

 『特殊能力』というものがある。
 この素っ気無さ過ぎる名称の要素は、本人の魔術の技巧、才能、あるいは体力や知力に関係なく、基本的には生まれたときから既に自分に備わっている技術だ。この要素の存在は、戦いを競技にしている人々にとっては割と大きな意味を持つ。体術を使って相手と渡り合うとき、必要なのはもちろん体力だ。魔術を使う際は精神力を消耗する。消費の効率は魔術によっても様々で、底を尽くと正気を失くしたり意識を失くしたりすることもあるため、注意が必要である。
 『特殊能力』によって発生する効果は、それらのいずれをも消費しない、あるいは極端に低くて済む。あるいはこれも一種の天賦の才と呼ばれる何かだろう。
 そしてハンマーに備わった『特殊能力』は「ギガントパワー」と名づけられている。その詳細は、

「自分の魔術の能力を強制的に筋力に全て切り替えられてしまう能力なんて欲しくなかったなー」
「そうか……」
「だって魔術って綺麗じゃん」
「……」
 ハンマーの怪力の由来はここから来ている。この『特殊能力』が無ければ凄腕の魔術師になっていただろうということだ。彼はそれ故に、魔術に何処かで憧れているフシがあった。
「俺に至ってはまだ発現すらしていないんだが?」
 このように時と共に『特殊能力』が発現する事例も、全人口の二割ほどで報告されている。気に病む必要は無いのだが、ジノグライは何故だかそれが許せない。
「君はいつもそうだねぇ……って」
 ハンマーは工事現場を見渡す。
「こうしちゃいられないんだった……!」
 再びジノグライに向き直る。手を合わせ、頭を下げて、
「お願い! 一緒に戦って!」
 叫ぶように乞う。
 そして当のジノグライは、
「へいへい……」
 と面倒そうに口に出したが、彼は静かに心の昂ぶりを見せていた。

 戦いが好きだ。
 戦い、打ち勝つ。それが彼の、何よりの喜びだった。
 ただ、彼はあくまでも一人で戦うことを今日も望んでいる。
 作戦を立てるのも陣形を組むのも、一人のほうが気が楽だったからだ。
 周辺を見回す。工事現場には四階の高さ並みの建物の基礎が張り巡らされており、その高さまで鉄骨と足場が組まれている。それ以外には重機やスコップ、工具箱なんかが無造作にそこそこ広い現場に転がっている。が、
「む……」
 落ちて来た柱に潰されてしまったり、崩されたり破壊された鉄骨や足場が多く見受けられた。ふと地上を見回すと、
「……」
 その足場から落下してしまい骨折で呻いたり、逃げるのが間に合わず身体が柱に突き刺さってしまった作業員もいた。ジャッジの結界を使わず、魔術で柱を減速させたり軌道を変えたりする作業員も見受けられた。
 今でも人力で工事が行われているということは、人がイチから作ったものに価値があることの証明でもあった。魔術は人間の暮らしを多少なりとも便利にしたが、それらを使わないことによる評価もまた高まっている。とはいえ、ジノグライはそんなことには全く頓着していない。次の瞬間には、工事現場を隔てる塀の向こうから、機械兵団の一派が顔を覗かせる。その数は六体といったところだろうか。
 脇目も振らず、一気に走り出していた。義手の重みが、彼に速度と奇妙な安心感を与える。
 塀を越え、敷地にいち早くやってきたロボットに、三本の指から射出されたレーザーをお見舞いする。カメラアイを焼き、貫通し、ロボットを機能停止に追い込む。間もなく、頭部を割り裂かれ、一体目は沈黙した。
 その隙に残りが敷地内に侵入する。そのうち一体は背中のブースターをふかし、ジノグライの頭を飛び越えんとした。だがそれにもジノグライは機敏に対応する。今度は短時間で電撃をチャージし、高威力で相手にぶつけるビームを放った。電撃はロボットの背中に命中、周りには誰も居らず、ブースターに引火して虚しく爆発する。
 事ここに至って、残りの四体のうち二体は攻撃目標をジノグライに変化させる。同士討ちを避けて光学兵器や火器の使用は避けられ、ロボットは文字通りの鉄拳を時間差で直線的に放った。ジノグライが一度は頭を思い切り下げてかわし、伸び上がるように右腕でアッパーを打ち込む。二体目の鉄拳が伸び上がったタイミングで飛ぶが、これをジノグライは左腕で受け止める。自由が利くようになった右腕も使ってロボットの片腕を掴み、思い切り前方へ投げ込んだ。その先には。
 火花が散り、沈黙したスクラップが二体分生まれた。しかしジノグライは後方を振り返る。
「!」
 その後方にはまだ倒れてない二体のロボットと、対峙する中年男性の作業員が居た。もちろんのこと戦闘は不慣れだ。火炎放射やビームを辛うじて避けることぐらいしか出来ていない。作業服の裾やズボンが焼け焦げかけている。そこに、
「あ、危ない!」
 澄んだ声が響く。ハンマーのものだ。脇には大きな鉄骨を抱え、多少息が切れている。
 そして鉄骨を振り上げる。ゆっくりとした速度は次第に速くなり、ロボットが撃ち込んだビームを、
「ふんっ!」
 弾いた。というより、盾の代わりになったに過ぎない。鉄骨の端が焼け焦げ、少しだけ欠けてしまう。しかし質量を利用した鉄骨の回転は止まらない。鉄骨を半ば叩きつけるように前方に突き刺し、ロボットの五体目を屠る。一旦動きは鈍るが、再度鉄骨を引っこ抜いてぶん回す。その回転が、六体目の横腹を薙いだ。
 一瞬すべての動きが鈍くなったかのように見えた。次の瞬間には、半ば腹が断ち切れてしまったロボットが、思い切り風を切り、配線とチップをバラバラ崩壊させながらすっ飛んでいく。ジノグライの右手に迫り、追い越し、ダシャン! とけたたましい音を立てて塀にぶつかる。軽い金属製の塀がへこみ、燃料が飛び散り、金属が粉々に砕け散った。
 思わずジノグライは冷や汗をかく。何年も同じ屋根の下で暮らしているはずだったが、改めて威力を目の当たりにすると恐ろしさが先に立つ。さらにあることに気づいた。
「ハンマー! 後ろだ!」
 ハンマーが振り返ると、ビームの充填を済ませたばかりの新たなロボットが彼を狙っていた。狙撃のために、幾許か慎重になっている。そこをハンマーは見逃していなかった。
 鉄骨を放り、作業服のポケットから一本スパナを取り出し、手裏剣の要領でロボットに投げ込む。円の残像を描くスパナが、あっという間にロボットに到達して、銃口にさくっ、と刺さる。
 爆発した。
 これが「ギガントパワー」だった。圧倒的な力が、すべてを打ち壊す。

「いやーまさかジノグライとの訓練が役に立つとは思わなかったなー」
「それは名誉なことで」
 計七体の機会兵団を沈黙させた二人は、静寂の戻った工事現場で言葉のキャッチボールを交わしている。
「や、やぁ……さっきは助かったよ」
 先ほどの中年男性の作業員が声をかけた。
「いえいえ、ですが先輩、早く傷を受けた人達を治療してあげてください、治癒の魔術が使えなくても、応急処置程度なら……」
「了解したよ」
 すぐさま現場を、彼は駆け抜けていく。
「で、これなに?」
 ハンマーは、未だ工事現場に爪痕を残す柱たちを眺めながら問うた。
「俺が知るか」
 ジノグライは相変わらず素っ気なかった。「ただソキウスは『未知の金属』っつってたがな」
「あー、あの人ね……」
 ソキウスに関してはハンマーも面識があった。いつもジノグライに挑戦ばかりしていれば自然に顔馴染みになってしまう。
「ということはいよいよまずいんじゃない?」
「ん?」
「だって、その言葉が不確かだとしても、あの人に一発で見抜けなかったわけでしょ?この惑星に存在してても、そうとう複雑な合金だと思うな」
「こればかりは専門家の意見を仰げということか……」
 本日何度目か分からない溜息をジノグライが吐く。
「これはガチもんの侵略者かもしれないねー」
「縁起でもないことを言うな」
 工事現場に建てられた鉄骨の柱に背を預ける。先ほどソキウスも同じことを言った。だが嫌な予感は膨らむ。仮に誰かの侵略だとしたら……
「面倒だな」
「……うん?」
 ハンマーは小首を傾げるに留まる。
「いや、もし何者かの侵略だったらって話だよ」
「そうだねぇ、誰かやっつけてくれるわけでもなし」
 緊張感の無い声をあげながら、ハンマーは落ちて来た柱に駆けていく。ジノグライは「おい、何処へ行く」と言ったが、ハンマーは無視して何かを探しに行った。
 少しの間待っていると、ほどなくハンマーは戻ってきた。その腕には工事現場の備品では無い――つまりはハンマーの私物であるところの――人の背丈ほどある大金鎚と、
「……」
 件の柱が抱えられていた。無造作に地面に転がし、ひとつひとつパーツを確認していく。最初の違和感に気づくのに、それほど時間は要さなかった。
「見て!」
 ハンマーは声をあげる。今まで地面に埋まっていて見えていなかった柱の底部には、正三角形を描くように棘に似たツメが配置されていた。拳大の大きさであろうか。黒一色のそれに慣れてきたからか、その鈍い銀色のツメは新鮮に見えた。そのツメの内側には、円型の線と、それを両断するかのように線がまた入っており、創作小説などでよく見る近未来の宇宙船のハッチを思い起こさせるようなつくりをしている。
「これで突き刺されたら……」
 嫌な妄想をハンマーは口に出し、一人で勝手に震えている。ジノグライは肩をすくめるだけだった。
「でも底に穴が開いてるとは思わなかったよ、なんのためにあるんだろうね」
 知るか、と吐き捨てたジノグライは辺りをぐるりと見ている。今のところ新たな柱が降る兆しは無し、機械兵団の襲撃も止んでいるようだ。それでも生々しく辺りが柱で破壊されているのを見ると、あらかた襲撃は終わったのかもしれない。妙な手ごたえの無さを感じながらぶらぶら歩いていくと、ちょっと前までロボットだったスクラップの残骸が見えるようになって、地面を蹴ろうとした足が別のものを蹴ったことに彼は気づいた。
「?」
 そのままなら見過ごしていたかもしれない金属片が彼の目に留まったのは、そこに文字が彫られていたからだ。その金属片、もとい金属プレートは、手のひらに収まる程度の大きさでしかなかったが、レーザーで精密に付けられたと思しきその文字は、ありがたいことにジノグライにも読める。

 -フライハイト草原-

 そう読めた。
「……む」
 それだけなので、それは地面に放っておくままにしておく。念のため、先ほど自分が壊したロボットから生成されたスクラップの小山を眺め回し、しゃがんで腕を突っ込む。着ているジャケットの裾と義手が、機械油や燃料に汚され始めた。それには意に介さずそれほど時間をかけずに、ジノグライは目当ての金属プレートを見つけ出し、先ほどと同じ文字が彫られていたことが分かった途端、興味を一瞬で失くしてそれをぽいと投げ捨てる。
 その現場は、ハンマーも見ていた。
「何してるんよ?」
 話しかけられた途端、ジノグライは金属プレートを投げ捨てたことを少し後悔した。幸いにも近くに落ちていたので、再度拾い上げる。
「ほれ、お前にも読めるだろ?」
「うん、フライハイト草原……ここから南東の方角にあるよね」
「ヒントはそこにあると見て間違いないだろうな」
「ふーん……あれ、まさか討伐しにいくの?」
 意外そうに目を見開いたハンマーに、ジノグライは振り返り、歩き出す。
「喧嘩を売ってきたのは向こうだ」
 そう吐き捨てて、出入り口から道に出ようとする。
「売られた喧嘩は高く買ってやらなきゃな」
 口調は静かだが、昂ぶりを隠せていない。猛者と戦える興奮を、隠しきれていない。
「ちょっと! 待ってよ!」
 件の柱と大金鎚を持ちながら、ハンマーもついていく。
「だったら一回寄るところがあるでしょ?」
「あ? ……あぁ……また面倒な」




*To be Continued...

SEPTEM LAPIS HISTORIA 001- 落ちてきた黒と悪意なき紅

 彼らの住む惑星は、所謂春を迎えようとしていた。

 一年が二十ヶ月で回り、一月が十八日で回り、一週間が六日で回り、一日が三十時間で回る惑星。

 季節が五ヶ月ごとに移ろい、一つの月を持つ惑星。

 五つの大陸を持ち、惑星の四分の三を占める海に覆われた惑星。

 そして、魔法と技術が、三十億の人間たちによって発展した惑星。

 魔法や己の身体による戦闘が、スポーツとして発達した惑星。

 彼、ジノグライ・エクスも、そんな三十億に混ざる民の一人だった。

 ただし、魔法は使えない。

 

「はぁ……」

 一応便宜上はジバの家となっているこの家は、二階建てだが屋上が付いている。そんな屋上にたどり着いたジノグライは、割と長めのため息を吐いた。頭の後ろで義手を組み、脚を組み、コンクリートの床に寝そべる。目を閉じ、まどろみに落ちるまで暫し思案の海へと落ち込んでいった。

 

*  

 

俺はジレンマを感じている。

 端的に言えば、俺は強さを求めている。

 何故俺は魔法が使えない?生きてきて、物心がついていた頃から、俺は何故か魔法が使えないでいた。強さを得るためには、魔法魔術が不可欠だ。物理法則に囚われない様々な現象が起こせる。

 だが、俺にはそれが無い。学校で習うような基礎的な魔術すら使うことはできない。物体の短距離移動、自身の素早さの底上げ、切り傷の治癒、浮遊能力、その他その他。これらは全て「基礎魔術」に分類されるらしいが、試すことはできなかった。その分だけ、俺は物理法則の中で戦えるように鍛え上げてきた。自分の強さのために。

 しかし、俺を拾ったジバとやらはどんな奴なのだ?

 

 

 そこで思考が止まる。

 強制的に遮断する。

 いや、遮断、させられた。

 正体は爆音だった。耳の横で響いた。コンクリートが崩れた音がする。砂煙が上がっていく。

 それが晴れた先に、ジノグライは見た。柱が、すんでのところで彼の左耳を掠めて突き刺さっていた。

「ッ!!」

 弾かれたかの如く飛び起き、現状を把握する。まどろみに落ちかけていた思考が廻り始めた。

 春風に煙が流され、柱の形状が露になる。先端が垂直よりやや斜めの角度で突き刺さった、鉄のような金属の柱……のようなものだ。高さは人の身長程度。ジノグライよりやや低い程度か。どこから突き刺さったか見ていないため、どれほどの速さで空気中を落ちたかは定かではないが、大きいひびが入っているのを見ると、重量もそれなりにあるようだ。

 試しに表面を義手で叩いてみるが、全く反応せず、低音域の澄んだ金属音が屋上を満たし、空へ吸い込まれていく。

「……悪い冗談か?」

 辺りを見回しても、そんな柱は見当たらず、今落ちてきた柱が今のところは全てのようだった。明らかに不審である。

「一歩間違えていたら取り殺されていた……」

 その認識は果たして何処まで正しいのだ?と自らの心に問いかける。あの柱は、偶然にしては明らかに出来すぎていた。ただの誰かさんの気紛れだと片付けるにはあまりにもいびつすぎる。もういくつか右方向にずれていたら……と思うと身の毛もよだつ。顔面がぐしゃぐしゃにされなかったのは僥倖と呼べるだろう。

「だが……どこの、誰だ?」

 孤児である彼は、学校に通う適齢期の時には既に身寄りを失くし、早い話「消息不明」の位置づけにあった。両親はもう他界しており、戸籍ももう無い。ジバに拾われた時には、既に学校のカリキュラムには付いて行けない年齢だった。図らずも彼が魔術を使えないささやかな原因の一つとなっているのは間違いない。

 彼が身につけている一般常識は、彼を拾ったジバから教えてもらったことがほとんどだ。それでも学校の基礎カリキュラム程度は理解できるようになったし、ジノグライは何より運動神経やバトルのセンスがずば抜けて高かった。強さに餓えたジノグライは、強い人間との戦いを求めた。

 だが、彼の貧弱な一般常識では、落ちてきた柱の出処も、材質も分からない。だが、それが何であろうと、強さに飢える彼は戦う覚悟なら出来ていた。何だろうと、挑んできた相手には戦って勝つことが彼の流儀だ。

 そのとき、屋上の壁に火花が散る音がした。

「おい、ジノグライ!」

 舗装された路上から、誰かが声をかける。

「お前か」と、ジノグライは溜息をついた。  

 

 紅い鉢巻。赤みがかかった白髪。腰に吊ったレイピアタイプの刀剣。

 彼の名は「ソキウス・マハト」と言う。近所に住んでおりジノグライとほとんど同じ年齢。学校にもきちんと通っており、成績はあまり良くないが戦闘技能はかなりのものである。

 彼はジノグライに挑戦を続けていた。

 数ヶ月前、たまたま外に出てトレーニングをしていたジノグライを見たソキウスは、そのままバトルを申し込み完膚なきまで敗北するというトラウマを得た。それ以来彼はジノグライにちょくちょく突っかかっては敗北するというサイクルを経験している。今になっても一度も彼を降参させていない。

 当のジノグライは、勝手に良きライバル扱いされていることに反発を覚えているものの、

「はぁー……」

 長く息を吐く。厄介だと思っているのは彼の魔術だ。炎を中心に扱う彼の魔術は、豊富な格闘技と剣術と相まって戦いに様々なバリエーションを持たせる。何回彼と戦い、それを力とスピードとレーザーで捻じ伏せても、結局魔術のコツを盗むことはまだ出来ていない。ジノグライの目には、ソキウスは己にとってのコンプレックスが何か勘違いした服を着て歩いているようにしか見えなかった。

 屋上からひらり飛び降りる。鍛えたジノグライの肉体は、二階から飛び降りても衝撃をうまく逃がす。

「怖気づかずによく降りてきたな! 戦いに来たぞ! 捻じ伏せてやる!」

「……」

 無駄に暑苦しいノリを冷ややかに流しながら、それでもジノグライは待つ。

 

 ジバ宅の庭に移動したソキウスは、短い詠唱をする。

 薄桃色の線が、空間を直線的に走る。

 それはやがて直方体の形をとり、ジノグライとソキウスの周囲に展開する。直方体は彼らの身体を完璧に包んだ広々とした部屋となり、一瞬全ての面が光った後、消え去るように空間に溶け込んだ。

「ジャッジ」とこの世界の人間が呼ぶこの結界は、儀式的な戦いを円滑に進めるために誰かが生み出した魔術だ。この手続きが完了したとき結界の中に居た人間は、耐久力が少し上がり、戦闘後の傷の治癒が自然に、しかも素早く行われる。降参を認めるまで続く競技のような戦いをはじめとする、様々な場面に有効な結界だ。

 ニヤリ、とソキウスの口が曲がる。また新たな策を考え付いたのだろうか。だがやはりジノグライは不機嫌そうに彼を見つめるばかりだ。

 炎の球をソキウスが天空に放つ。重力に引かれたそれはやがて地面に落ち――

 

 それが合図だ。

 レイピアと義手が激突する。ソキウスは獰猛に襲い掛かり、ジノグライは冷酷に守りを固める。そのまますれ違うように二人は離れ、即座に向き直る。

 そしてそのままジノグライに向けてソキウスが炎の弾を撃とうとした瞬間、

 

 どんと鈍い音が、二人の中心から鳴り響いた。

「何!?」「!」

 ソキウスは驚いたが、ジノグライはある意味それ以上に驚いたに違いない。何故なら、

「く……こいつか……」

 

 先ほど恐怖を掻きたてられた、あの空から落ちてきた柱と同じものが二人の目の前にあったからだ。

 

「卑怯だぞ! いきなりこんなものを落とすなんて……」

 ソキウスは立腹していたが、

「俺がそんな隠し玉を持ってるわけ無いだろうが」

 とジノグライも負けずに言い返す。冷静になり、

「俺はさっきこいつと同じ柱と屋上でかち合った」

「……ふむ?」

 小走りでソキウスは柱の元へ駆けていく。そのままためつすがめつ柱を眺めていたが、

「……うーん、俺の知ってる金属ではないみたいだ、あまりに複雑な調合金か……ひょっとしたら未知の惑星の金属とか」

「あまり考えたくねぇな」

「未知の生物でも侵略してきそうじゃねぇか?」

 鈍い音がする。後方から響いた。

「……え?」

 

 舗装された路上に、新たな柱が聳えていた。

 更にそれなりの時間がたってからまた鈍い音は響き、様々な場所が蹂躙されていった。路上、広場、公園、民家、図書館、その他。

「こーりゃ酷いな……」

 街を見て回りながら、荒れ始めた路上でソキウスは間延びした落胆の声をあげる。

「さっき『侵略』なんて使うからだろうに」

「関係ないだろ!」

 ジノグライの軽口に、ソキウスはムキになって口ごたえをする。電信柱が破断し、停電となっている箇所もいくつかある。街は小規模なテロを受けたかのように破壊されていた。

「なぁジノグライ、これは一体何の冗談だ?」

「俺が知るか」

「だって街がこんなに破壊されちゃあ俺たちだって穏やかじゃ居られないだろう!?原因は何なんだ……?」

 またもやジノグライは溜息を吐いた。アホらしいと思っている。くだらない誰かのための正義感が身を滅ぼすなら、そんなものを持つだけ無駄だと何処かで突っ張った考えを持っていた。ただ、ハンマーが無事かは単純に気になった。訓練相手が居なくなるのは、彼にとっても惜しい。

 などと勝手極まる理屈を捏ね回していると、ソキウスが声をかけてきた。

「おい! あっち……」

 ソキウスが指を差した先には、人間の姿があった。

 落ちて来た柱は、付近の住民を避難させるか、その場に留まって街を守るかという決断をにわかに住民に強いた。それで人口が短時間でやや減少したが、その人物は明らかに不審だった。

 特に肌寒くも無い穏やかな気候の中、バケツにもにたフルフェイスの円筒型のヘルメットを被り、ゴムのつなぎのようなものを着ている。隅から隅まで黒一色のその姿の中、腕にはこまごまと機械がつけられてあり、足首にも手首にも皮膚の色は全く見当たらず、肌の露出は無い。その姿は不気味なものを思い起こさせ、まるで、

「なぁ……あいつ……」

「……あぁ」

「嫌だな……さっきの柱みたいでよぉ」

 『そいつ』がゆっくりと歩みを進める。そして、

 腕がいきなり陥没し、隆起し、組み替えられ、次の瞬間には、

「ハンドガン……!?」

 驚きの声をあげたのはジノグライだった。『そいつ』の腕がハンドガンに変形した。狙いはジノグライにぴたりとつけられている。弾が放たれる。

 その必要が無かったソキウスと共に、二手に分かれるように横っ飛びで分かれた後、ジノグライは『そいつ』との距離を詰めるためにひた走る。

「おい待て!中に居るのが人間だったらどうするつもりだ!」

 ソキウスのもっともらしい忠告は無視して、

 一息に文字通りの鉄拳を、『そいつ』の頭部に放った。

 

 頭部は砕け、中身があらわになる。

 そこから出てきたのは、夥しい数の回路、チップ、配線などの様々な機械部品であった。

「これは……」

「お、おい……」

 未だ遠慮がちにソキウスは話しかけるが、ジノグライは振り返りもせずに言い放つ。

「襲ったから倒した。それ以上でもそれ以下でもない」

「あのなぁ……」

「よかったな、中身は人間じゃねぇよ、ただのカラクリ人形ってヤツか」

「よかったな、じゃねぇよなんかこう……後味悪いというかよぉ」

「一歩間違えてたら死んでるのに何綺麗ごとをベラベラと……」

「なにおぅ!」

 言い争いをうだうだ続けながら、ジノグライは『そいつ』を調べ終えた。

「分かったぞ、完全にこれはロボットだ、小型の火気や光学兵器も仕込んであるらしい」

「そんな物騒なヤツが何で俺たちの街へ……?」

 理解できない様子のソキウスは、ロボットに駆け寄り真実を確かめるように眺め回す。ジノグライはそんなソキウスを呆れたように見つめた後、静かに歩き去ってしまった。

 二回角を曲がった直後、件のロボットが再び現れた。

「!」

 たちまち指先からレーザーが放たれ、ロボットの頭部を、カメラアイを焼いていく。頃合を見計らって、またもや距離を縮めてパンチを入れる。頑丈な義手はロボットに勝ち、金属の軋む音がしたあとロボットは半壊して地面に転がった。

「何度も来るか……厄介なヤツだ」

 何度もやってくる、殺意のみを宿した機械兵団が、この街に現れ始めている。こうなるとますます――

 ジノグライは駆け出す。行き先は工事現場だ。

「やれやれ」

 彼が居なくなってもあまり悲しむ必要は無い。それが世の理ならば、だ。だが、今の彼は胸騒ぎを感じずには居られなかった。ぼやぼやしているとハンマーは殺される。理に反するものに、殺されようとしている。

 無論その矛先は、いずれジノグライ自身にも向くに違いないのだ。

「気に食わない」とぼやく感情は、ジノグライを呑み込み、その脚を加速させる。

 

 

 

 

*To be Continued...

SEPTEM LAPIS HISTORIA 000

 

 

「よぉい……スタート!!」

 

 轟音が嘶く。

 閃光が奔る。

 金属と金属が高速でぶつかった。衝撃波と火花を散らし、両の武装が離れる。

 土煙がもうもうと上がり、二人の戦士の姿を隠す。二人は人工の砂が引いてある密室に居た。壁は硬質のゴムでできている。

 やがて土煙が晴れた中から、姿が現れた。

「調子は良好か……どうだ?」

 義手を装備した濃紺のロングコートの青年と、

「おかげさまで」

 人間大の細身のハンマーを振るう作業着の青年が居た。

「行くよ、ジノグライ!」 「来い、ハンマー」

 互いの名を呼び合った戦士が、再び激突する。

 

 頭上から鈍器が迫る。ジノグライの義手の甲はこれを受け止める。巨大な質量が交錯しあう。

 ハンマーは鈍器を上に動かし、次なる一打を打つ体勢へ立て直そうとするが、ジノグライはアッパーカットの要領で拳を前に押し込んだ。ダメージが最小限になる。

 質量を利用したハンマーの一撃は、今度は右から襲い掛かってきた。スイングの速度に耐えかね、ジノグライの防御が薄くなる。

 鈍い金属音が軋み、響く。彼は左へと転がされ吹き飛んだ。咄嗟にとった受身が功を奏し、すぐにジノグライは次なる攻撃の姿勢がとれた。ハンマーは素早く動けない。そのうちにジノグライは切り札を炸裂させることにした。

 義手で出来た人差し指を向ける。狙いはハンマー……ではなく、彼の装備。その指先に、一瞬で電力が集中する。

 

 蒼い閃光が放たれた。高速で標的に向かい飛んでいく。

「うっ!?」  狙い違わず、電撃はハンマーの装備に命中した。

 その腕からすっぽ抜け、くるくると飛んで行き、地面へと落下した。

「……ちょっと」

「……あ」

 

「飛び道具は禁止っていったじゃーん!!」

「あぁ……すまないつい手が滑ってしまった……」

「僕は飛び道具を持ってないんだよ!?エキシビジョンなら手加減もしてほしいよー……」

「それは謝る。だが俺に言わせれば様々な状況の戦いに対応できることが一番理想的だろう」

「あぁもう……僕は戦士には別になろうと思ってないよ?」

「自衛のためか?だがこの世界では別に戦いを挑まれることは珍しくないだろうに」

「皆争いというよりかは遊びのためじゃないかー、むしろ僕はこの『特殊能力』を持て余し気味なのに……」

「俺なんかは有用だと思うがな、そのハンマーでも投げてみたらどうだ?」

「ただでさえ僕は魔法が使えないのに……」

「俺の前で言うか?」

「あ……そうだったジノグライも……」

「はーいお疲れー!」

「む」「あ」

 

 そう言ってフランクに話しかけてきたのは、年齢不詳の男性だった。ジノグライとは対極の黄金色のロングコートを羽織り、謎の帽子をつけている。メガネのレンズは非常に厚く、眼が映されてないようにも見えてしまう。

「いつも思うがその趣味の悪い帽子はどうにかならんのか」

「なんだよ……」

「ジバさんしょんぼりしてるよ」

「金属でコーティングされてて縦線が二本引いてあって丸いアンテナが引っ付いた帽子のどこがまともだってんだ」

 そしてジノグライはジバと呼ばれた青年の帽子に付いてるアンテナを、

 摘む。

 引っ張る。

 離した。

「いたっ」

「痛くもないだろう」

「条件反射でつい……」

「ほら、その辺にしといてあげて、ジバさんただでさえ豆腐みたいに心が脆いから」

「フォローになってないよハンマー……」

「あ」「はぁ……」

 

「そんで、ハンマーは……」

「あ!?行って来まーす!!」

 汗を拭うのもそこそこに、ハンマーはドタドタと慌しく戦闘訓練部屋をあとにする。

「今日も工事現場で働くのか」

「そうそう、彼はアルバイトの身なのに勤勉だよね」

「全くだ、『魔法が使えない』代わりに凄まじい怪力を持っているあいつの、安心できる居場所なのかもしれないな」

 チラリとジバはジノグライのほうを向いた。

「……君は?」

「少し寝ることにするぞ」

「はいはい、自室?屋上?」

「屋上」  

 そう言うと、ジノグライも部屋をあとにするのだった。

 

 

 

 

*To be Continued...

ナイツロード 外伝 -輪廻の盾、悠久の翼- Phase.6 然様ならば(終)

 赤黒い閃光が空間を走る。
 ナナシアが振るった大鎌の軌道は、意図的にロッシュを外れていた。だが当のナナシアは、躊躇など欠片もない目で不可思議な少年を睨む。
「君はその“敵"と……どんな行動を起こすつもりでいたのかな?」
「私は反逆しようなんて思ってません!でもあの人のことを放っておけなくなって……」
「君の悪いところだな」鎌の先でロッシュを指し示す。「情に絆されやすい。まことに結構なことだが、ここは戦場、ここは基地。一切の自我は捨て去らねばならない。幹部なら尚更……な」
 今度こそ真紅の刃がひらめき、ロッシュに迫る。
 ナナシアの言うことは全てが正論だった。そして後戻りはもはや出来ない。ロッシュの手のひらの前の空間から、岩石が高速で虚空から現れる。それは岩の材質を保ちながら、たちまち彼の身体の面積を覆うシールドへと変貌した。だが、所詮気安め程度のものだ。
 避けられない。
 でも、避ける必要はないのだ。
 それだけの過ちを犯してしまったのだから。

 通気口から煙が漏れ出す。
 熱を伴う黒い煙でも、水蒸気のような白い煙でもなく、月夜の空を溶かしたかのような色をした煙だった。
 大鎌がロッシュに振り降ろされる。
 通気口の蓋が開く。
 メンテナンスをするような落ち着いた開き方ではなく、外れた蓋が床に落ちて転がるほど、高速で開いた。
 黒い影が二人の間に落ちる。

 危ないと叫ぶことも、単に悲鳴をあげる暇も、もう無かった。
 ナナシアとロッシュの間に舞い降りたハヤブサは、
 真っ黒なハヤブサは、
 リピは。

 真紅に驚愕の顔を照らされながら、右翼のつけ根から左の脚の部分まで、大きく大きく身体を削がれた。
 すぐにその肢体からは煙幕のように闇色の煙が流れ出し、対峙した二人の視界を奪い、それが床に倒れ伏す音と共に、鎌に宿った真紅とも最後に見た彼女の目の緋色とも違った赤が、四方に散らばる音がした。            
 そして煙幕が晴れたあとには、右翼がひしゃげ、ズタズタのドレスに身を包んだ少女が、うつ伏せで痙攣すら起こさず横たわっていた。散らばるだけ散らばった赤色と、失せていく少女の顔色は、現実を目に焼き付けるのに充分すぎた。
 沈黙が満ちる。沈黙が満ちる。

「こいつか?」
 満ちた沈黙を先に破ったのはナナシアだった。
「随分と思わせぶりだったな」
「どういう……ことです?」ロッシュは続く。
「今の一撃はかなり手加減した、君の盾でも充分受けきれたもののはずだ。だがこいつは」大鎌の炎は失せていく。「完全にダウンした。死んだかどうかは微妙だがな」
「……」
「この程度ならうちの一般傭兵でも余裕で倒せるさ、そして利口な君はそれを知っていたはずだろう?」
 ロッシュは金縛りに遭ったように、動こうとしても動けなかった。ナナシアは溜息をついた。
「……正直、こんなのに構う時間はもったいなかったな」くるりと後ろを向いて歩き始めながら、ナナシアは言葉を投げ捨てた。
「あとはロッシュ、君が勝手にやっといてくれ」
 次の瞬間、ナナシアは何の痕跡も残さず消しゴムで消されたかのように掻き消えた。廊下には、赤く染まった少女に似た何かと、ほうけたように立ち尽くす少年に似た何かだった。
 天井の通気口は、そんな重たい空気を少しずつ外へ送り出していく。
 

 目を覚ましたのは、夕闇が訪れようとしていた頃であった。

 わしは夢を見ていた。
 生まれてからずっと、わしは疑問に彩られた数百年を歩んできた。そして無駄に長すぎる生きる時を、世界の探訪へと浪費した。
 虹は何回見ただろう。雨の日と晴れの日はどっちが多かっただろうか。路傍に咲いてたあの花はどんな名前だったのだろうか。それらに限らずとも、探訪の最中で様々な疑問へぶち当たったものだ。
 魔族はなぜ無駄に長く生きられるのか。人間が争うのは何故か。どうして万物は全て死にゆくのだろう。死んだらその先は?
 だとすれば、生きる意味などどこにあるのだろう。
 どこにあるのだろう。
 結局のところ九百余年を疑問だらけで生きてきた中で、これこそが一番の疑問であった。ヴァイスに入って各地を暗躍したのも、それが目的だろう。生きる意味を探して、宛てどもなく独りで彷徨っていたのだ。
 で、結局見つかったのだろうか?
 答えは否だ。しかしそれは必ずしも正確ではない。何かを、わしは掴みかけている気がする。
 何故なら――

 目を覚ました彼女の瞳に、緑色の双眸が現れた。
 目を覚ました彼女の瞳に、初めて自分の悩みを重ねられる人間の姿が現れた。
 彼女の生きる意味を、あとは言葉にするだけだった。


 二人はナイツロード基地の屋上にいた。船のような構造をしたこの基地は、屋上なら遮るものは何も存在しない。春先の優しい風が吹き、目の前に夕陽に照らされた海が広がる。ところどころ浮かぶ雲を抱く空は、既にその色を緋色に染め、今にも濃紺の領域を現しつつあった。
「目が覚めましたか」
 ロッシュは彼女に問いかける。喜ぶ態度は何処にも見当たらない。むしろ疲労の色濃く残った表情で、彼女の安否を確認する。
「……ごめんなさい」
 沈黙が限りなく気まずい。絞り出すようにその言葉を吐いたロッシュは、リピの身体に目を移す。右肩から左腰まで、火傷をともなってざっくり裂けた傷跡は、目にも痛々しい。畳んだ翼も焼け焦げ、切り裂かれている。それでも魔族特有の回復力で、なんとか心臓は止まらずに済んでいた。
 だから、リピはゆっくりと身体を床に這わせ、膝を立てながらこちらに背を向けたロッシュの背中を見つめる。
「謝るな」
 しっかりと放ったその言葉には、嘘偽りなど一かけらも無いのが声のトーンで分かった。
「わしは何一つ後悔しとらん。お主に会えたことも、今ここで倒れ伏しているのも、だ。魔族の回復力を侮らないでもらいたいが……もし死んだとしたらそれも運命だろう」
 冷静に前を見据えて、言葉を紡ぎ続ける。
「……ずっと様々な疑問を抱えて生きてきた……わしを苦しめていたのは『生きる意味とは何か』ということじゃ……お主のことを、立場は違えどわしはずっと仲間だと思っていたのかもしれぬ」
 互いの話をつまらないと切って捨てたあの日のことを、ロッシュも再び脳裏に思い描く。
「コーヒーを飲んだり、たまに話し込んだりして、わしもそれを掴めた。きっと……」ロッシュの顔を覗き込んだ。「お主なら、わかっているじゃろう、のう?」
 沈んだ顔をしていたロッシュは、再び顔を上げてリピの顔を覗き込む。緑と緋色の視線がぶつかる。
 ずっと彼女の話を聞いていたロッシュは、小さく頷いた。彼女の考えていることも、なんとなく分かった。
「到達できた生きる意味……それは」
 リピは息を吸い込む。少しずつ沁みこませる様に口に含んで、そしてやっと声を浮かべた。

「『今すぐ生きることをやめても、後悔しない居場所を探す』ことだと……お主と会って分かったのだ」

 言い終わって、彼女は目を伏せた。
「ヴァイスにこだわることも、きっともう無いじゃろう」ほうと息を吐いた。夕闇の空へ消えていく。「お主が羨ましかった。初めて会った時も、その後何度もわしが訪ねてきたときも、お主は何の躊躇も無しにわしを迎え入れ、コーヒーを振舞った」
 言い終わると、立ち上がって紅く染まる海に目を向けた。
「一連の行動は、自分の立場、仕事、役割、居場所に……誇りを持っているからじゃろう?」振り向いて、リピは彼に問う。「生涯かけても此処に居たいと願える……最高の居場所が見つかったからじゃろう?」
 改めてロッシュに向き合う。彼も立ち上がり、彼女を見て不器用に頷いた。
「……そんなしょげかえった顔をするな」心なしか大きな声でリピは言う。
「互いの立場を恣意によって変えることはできないじゃろう。なら尚更」もう一度、ロッシュに近づき話しかけた。「互いの立場を賭けて戦うのも、きっとわしは『生きる意味』だと考える」
 だから。
「……せいぜい最期の最期まで、守り抜くんじゃな」嘯いた。
「私たちが生まれた意味……その通りですね」ロッシュは、自分より遥かに年上のこの魔族に、ちょっとおどけて言った。
「お褒め頂き光栄に預かります、これからもみんなの居場所を守り抜くよう精進いたします」
「阿呆」
 彼はふふ、と微笑んだ。
 彼女の顔を見る。次の瞬間。
「ロッシュ」
 初めて名前で呼ばれた。彼女の顔を見つめる。
 ほとんど消えかけた夕陽が描く逆光の世界の中で、リピも確かに微笑んだ。
「ありがとう……本当に、色々と」
 歩み寄って、軽くロッシュにもたれかかった。彼は岩ではなく二本の腕で、消えないように、壊れないように、優しく優しく抱き支える。
「もう会うことも無いじゃろう」腕に抱きかかえられながら、リピは柔らかく言う。

「せっかく見つけた道しるべを、今度は悩まないように、悩まないように、きちんと辿っていくことにする」

 突然、彼女の身体は砂のように砕けた。身体のパーツは粒子に分解され、たちまち夜のような闇色に染まった。崩れた身体は煙となって屋上を這い、揺らぎ、ひしめき、集合していく。
 やがて煙の中から、一匹の蝶が現れた。
 既に太陽は沈み、紅い紅い空には一番星が瞬き始めていた。蝶はふわりと舞い上がると、危なっかしい飛び方をしながら、よろめき、ふらつき、それでも陸を目指して羽ばたく。
 誰にもその姿を見られたくなかったのか、それとも堂々と誇示するように今の姿を見せたかったのか、真偽は定かではない。
 だが、ふっと気づくと、真っ黒い蝶は闇に溶け込んで姿を消してしまっていた。
「リピ……」
 ついに呼ぶことの無かった名前で、ロッシュは彼女の名前を呼ぶ。
 そしてどんなに耳を澄ませても、もう波の重なる音しか、彼の耳には聞こえなかった。



そうして、月日が経ち――


しとしとと雨が降り出した。 


 「あー、雨かー……」
 ナイツロード。三千世界、森羅万象の戦士たちが集う傭兵団。理由も年齢も出自も能力も十人十色、多種多様な者たちが集う巨大な組織。広い広いユースティアの海を周回中の本部基地の一角に、その喫茶店はあった。
 大きな窓の外を眺めながら、椅子に座っていたロッシュ・ラトムスは独り言をぼやく。湿気を吸い始めた白髪を持つ緑色の大きな瞳に、鼠色に染まり始めた景色が映りこむ。ほどなく、外の様子をちょっとだけ確認するため、立ち上がって窓を開けた。
 とその時、にゃあ、と猫の声が聞こえた。頭の上から。
「こらこらエス、いきなり乗らないで」
 ……?変だ。
 エスはテーブルの上で毛づくろいをしているではないか。
 頭の上の猫をおろすと、
「なー」
 黒猫だった。
 首輪のように見えたものは、チョーカーだった。かつての記憶が思い浮かぶ。目玉を模したこのチョーカーは……どこかで見たことがある……
 考える。
 考える。
 考えた。
 全てが分かってから、
「なんだ」
 ロッシュはふっと微笑んだ。
「嘘つき」
 テーブルに乗せ、黒猫の頭を撫でる。

「また今日から、宜しくお願いしますね」


「どうもー!」
「あ、リッターさん」
 今日初めてのお客が、扉をくぐって彼の名前を呼んだ。リッターも黒猫に気づく。
「あれ、ロッシュさん……その猫ちゃん、どうしたんです?」
「いつぞやはありがとうございました、あなたのおかげで疑問が解消できましたよ」
「?……はぁ」
 ぺこりと頭を下げたロッシュをよそに、すっかり忘れてしまったようでリッターは首を傾げる。そしてすぐに問う。
「それで!この猫ちゃんの名前はなんて言うんですか?」
「そうですね、よく聞いてくださいました」
 大きな傷も、今ではしっかり塞がっていた。目には、あの日と同じの緋色の輝きがある。
 そう。きっと誰も知らないが、ロッシュ・ラトムスにとっては非常に大きなことだった。
 帰ってきたのだ。居場所を捜して。
 だから、大いに歓迎しなければ。
 にっこりと笑って、言う。


「『リピ』って呼んでください!」





EnD.

ナイツロード 外伝 -輪廻の盾、悠久の翼- Phase.5 大鎌と杖

 ロッシュがナイツロード作戦部の部屋の扉をくぐった時には、既に先客がいた。
 臨時討伐隊の四人の面々と、
「来たようだな」
 イルヴァース・テオドランド。ナイツロードが誇る老兵のKORであり、傭兵団随一の剣士である。死角の無い感覚の鋭さと恐ろしい精度の剣術は、団員の尊敬を一手に集める。
「それで、何でしょう?」
「なんとなく察してほしいものだがな」
 乾いた声でイルヴァースは嘯く。ロッシュも次の瞬間には気づいたようだ。
「というわけで報告があります」
 エレクが進言し始める。
「賞金首の討伐は成功、基地も通信機器を中心に破壊しておきました、ただ一つ不可解なことが」
「不可解なこと?」イルヴァースは眉根を寄せる。
「それが、ボスを倒したあとに黒いハヤブサが飛んでいったんですよ、考え過ぎかなぁとも思うんですが、やっぱりそうそう目にしない個体なので」
「ザイディンが言ってたな、恐らく何者かの攻撃の一環であるかもしれないって」
 グランが続ける。
「その通りです。ハヤブサは鳥類の中でも凄まじい速度を誇る鳥ゆえ、もしそいつに襲撃されるようなことがあったら」
「大変だよね」
 ザイディンの話にルーシーが割り込んでくる。
「まとめると、黒いハヤブサに気をつけろということです」
「了解した、他の団員にも伝えておかねばな」
 そのあとは業務連絡などをしてその場は終わった。特に異常なところはなかった会議だったが、あとから来た岩石使いの幹部は、ずっと穏やかならざる心中だった。果たしてそれは誰にも気づかれないままであったが。

 翌日になっても、喫茶店にリピの姿が見えることはなかった。だが、ロッシュの中の疑念は少しずつ確信へと変化していった。
「ロッシュさーん!!」
「あ……はい……!?」
 その喫茶店は今日も4、5人の客が席に座ってコーヒーやお菓子を嗜んでいたが、そんな静かな喫茶店に大声が投げ込まれた。
「どうしたんですか?」
 大声の主はリッター・インシグネという。緑色の髪をした「アニマ族」と呼ばれる種族の娘で、彼らは皆獣のような身体のパーツを持つ。リッターは狐に似た耳と尻尾を持っている少女で、軽装で左頬に十字形の文様が刻印されている。大きな剣を背中に背負っており、そして理由は知らないが右腕が欠損している。
「いつもは呼んだらすぐ来てくれるのに」
「すみません……ちょっとぼーっとしてて……それでご用は何でしょう?」
「クッキー追加で注文しまーす」
「かしこまりました」
 急ぎカウンターへ駆けていく。
「本格的にバイト雇おうかなぁ……」
 曇った顔でぼやいたその言葉に対し、
「バイトなんて雇わなくてもまだまだ元気じゃないですかー!」
 からからと笑った彼女の態度に、ロッシュもなんとなく励まされるような気がした。
「ありがとうございます、でも……」
 彼の表情は依然として晴れない。結局また、おもむろに口を開いた。
「信じているものに裏切られたとき」呟きが宙に浮く。
「人は新たに何を信じれば良いのでしょう」
 いつものロッシュにそぐわない台詞に、リッターもきょとんとした顔を隠せない。
「うーん……」
 若い剣士見習いは、答えを模索するため唸る。数秒唸って、ようやく答えが見つかったのか、尻尾と耳がぴんと立った。
「えっと、うまく言えないし、ロッシュさんに何があったかは存じ上げてないんですけど」
 たどたどしく、上司に向かって、慰めのつもりで。
「諦めたくないときとか、これだけは絶対譲れない、みたいなのって、いっそ突き抜けちゃったほうがいいと思いますです、はい」ぎこちない言葉遣いで、思ったことをリッターは紡ぐ。「だから、たとえ裏切られたりとかされても、これが正しいって思ったなら、せめて愚直に信じてみてもいいかな、なんて……」
 その言葉は、鏡のような水面に投じられた一石のようにロッシュの心に響いた。そして広がる波紋が徐々に収束するかのようなペースで、水面の底にあった自分の進みたい道も分かったような気がした。
「……ありがとうございます、これだから私は若者が好きなんですよね……」
 その顔に浮かんだのは、晴れ渡った冬の空のような穏やかな微笑みなのである。
 彼女はまだ、その笑顔の真意を知らない。


「私はナイツ・オブ・ラウンズだ」
 彼は駆け出す。
「私はナイツロードが好きだ」
 彼は駆け出す。
「私はこの仕事が好きで、誇りを持っている」
 彼は駆け出す。
「だから、せめて伝えるのです」
 彼は駆け出す。
「互いに立場を曲げられなくても、私はあなたのことが気に入ったと、多少なりとも共感できたと」
 彼は駆け出す。
「そのことを踏まえたうえでなら」
 彼は駆け出す。
「もしかしたら、彼女がヴァイスを離脱できるきっかけを作れるかもしれない」
 彼は駆け出す。
「彼女、きっと悪い人じゃないはずなんだ」
 彼は駆け出す。
「彼女の居場所は、またここに作ればいい」
 彼は駆け出す。
「ならば手遅れになる前に――」
 彼はぶつかる。
「うわっ……!」
「大丈夫か」
 ナイツロード本部基地、とある廊下の真ん中。声につられてふいと上を見上げると、長身痩躯の大男が立っていた。尻餅をついた状態で、ロッシュは思わず後ずさる。
 ナナシア・ノーネーム。スーツに身を包んだ紳士的な外見だが、頭には一対の角が生えておりその皮膚は蒼く、人間のものではないオーラをこれでもかと発生させている。事実彼は魔族、その中でも有数の力を秘めた「魔王」と呼ばれる存在で、KORのトップでありナイツロードの二番手とも呼ばれるほどの実力の持ち主……と聞いているが、当の本人に出くわしたという報告は、ナイツロード内でも極めて稀な事例らしい。自身の能力をそのように扱っているからだ。
 ロッシュは彼に拾われた。かつてロッシュの故郷が戦火に巻き込まれたとき、ロッシュは卓越した岩を用いる戦闘技能でその頃から経営していたコーヒー屋を死守。その様子を見ていたナナシアは、ナイツロードへ彼をスカウトする。コーヒー屋を娘に譲り、自身は傭兵稼業に身をやつすこととなった。
 だが、今の状況においてナナシアと出くわすことは、必ずしも良い状況とは思えない。
「丁度良かった、君を探していたんだ」
 意味ありげな言葉をロッシュに向かって唱える。
「先ほど賞金首を討伐したと言っていた討伐隊が帰ってきた、気になる動きがあるようだね?」
 あえてロッシュは感情を殺す。彼女のことをばらさないようにする。だが上司に逆らうのは、どうしても気が引けた。
「はい、えーと基地から黒いハヤブサが飛び立った……と」
「不可解だな……」
「ええ」
「君にも心当たりがないか探ってるんだが」
「はぁ……?」
 隙がなく簡素な質問は、ひとつひとつロッシュの立っている足場を崩していく。
「君の喫茶店から、定期的に黒い生き物が出入りしているようだね」
「……!」
「具体的には……そう、コウモリ」
「!!!」

 表情が強張る。知らず知らずのうちに、顔に出てしまった。
「……何か……知っているようだね」
 ナナシアはニコリともせずに問いかける。
 言いたいことは分かる。たとえ気に入っていたとしても、こちらはナイツロード、相手はヴァイス。場合によっては未来永劫戦う運命にある組織。そんないがみ合う両者の中で、互いを匿うということは許されることではない。しかもそれが幹部のしたことなら、尚更である。
 ここまでばれてしまったなら後戻りは出来ない。ナナシアはナイツロードの中でも姿を殆ど見ない。知らない間に監視や巡回をする、などといった芸当は、彼にも楽に出来るだろう。どこまで見張られているか非常に不安になってきたが、ここで萎縮するわけにはいかない。
 小さな拳を握り締め、きっちりと言い返す。
「……あなたが言わんとしてることは、私も良く分かります」
 ゆっくりと、言い聞かせるように。そして自分があらためてどうしたいのか、噛んで含めるように。
「敵を基地の中に入れるわけにはいかない。スパイであることを疑うべきだし、無防備な備えはいずれ大きな実害を巻き起こす。そんなことは、私が一番よく知ってるんです」
 頭上の通気口の音が、やけにうるさく聴こえる。
「でもっ」
 ナナシアの赤い眼を捉える。
「……これだけははっきり言わせてください」
 緑の眼が、捉える。

「友達……なんです」
 そう、言い切った。
「10倍くらい私と年離れてますし、私に敵意を向けてもすぐに鎮圧できましたし、コーヒーも喜んでくれました……だからその……」
 葛藤が渦巻く。それでも、
「悪い人じゃないと思うんです!」叫んだ。「見逃してくれませんか……!」

「駄目だ」

 次の瞬間、ナナシアの右に大鎌が轟音とともに突き刺さった。
「!!」
「敵を基地の中に入れるわけにはいかない。スパイであることを疑うべきだし、無防備な備えはいずれ大きな実害を巻き起こす。そう君は言った。ならばその考えを無視してまで敵を基地に迎え入れる利点は……何処にある?」
 この大鎌はナナシアの装備品であり、ナナシアの強さはこの鎌を用いる戦い方だけに起因するわけではなく、ありとあらゆる魔法を高精度で放てることに真髄がある。大鎌の柄と鎌本体の接合部にはガラス球のような球体が嵌め込まれており、それが今、紅く光った。
 同時に大鎌の刃がパチパチ音をたて始めた。燃えている。ナナシアは大鎌に魔術の要素を練り込むことができる。斬りつけられたら大火傷も負ってしまうだろうが、そんな生易しい話でもなさそうだ。
「君は俺が拾ってきた、殺しはしないしそんなことをしたら蘇生分に費やしたエネルギーが無駄になるだろう、だがおいそれと赦すわけにはいかんな」
 ナナシアがついに炎があがった鎌を手に取る。
「二度と反逆など起こさぬよう、制裁を加える必要がありそうだ」




* To be Continued……

ナイツロード 外伝 -輪廻の盾、悠久の翼- Phase.4 帰れぬ居場所

「どうして……」
 疑問に俯き頭を抱えるのは、今度はロッシュのほうだった。対してリピは涼しい顔である。敵地に居るのに盗人猛々しいというかなんというか、とにもかくにも混乱がロッシュを襲って叩きのめしていた。
「あなたは何故またここに来ちゃったんですか!」
 大声をあまり出さないように、気をつけて叫ぶ。彼の感情が露になる貴重な瞬間だが、生憎と今は喫茶店内に誰もいなかった。
 ……エスメラルダを除くが。
「今日はコーヒーが飲みたくなったのでな」
 シンプルな理由は何より勝る。そしてロッシュはその小さな胸板に顎がくっついてしまうほどがっくりと深く項垂れた
。しかしすぐ真剣な面持ちに変わって告げる。
「お金……とりますよ?」
「構わん」

 彼女のコーヒーの好みがブラックコーヒーだと分かったのは、果たしてお得意様に対しての収穫と考えてよいか、ロッシュには分からなかった。
「でも……」
 今度は一人分のコーヒーカップを片付けながら、ロッシュの頭に疑問符が沸き出始める。独り言は、知らず知らずのうちに口から漏れ始めていた。
「どうして私はあんな感情を……?」

 ロッシュとリピ。ナイツ・オブ・ラウンズとヴァイス「狂」の派閥。
 二つの陣営は相反し、互いにいがみ合い、手を取り合って和平の話し合いをすることなど無い。
 ヴァイスのトップは正気ではない幹部も多く、そもそも話し合うという選択肢は初めから存在していないに等しい。ユースティアに対する侵攻は留まる所を知らず、破壊されていく大地、幸福を切り取られた人々は増えていくばかりだ。
 団長・レッドリガと、彼を支える十二人の一団、ナイツ・オブ・ラウンズを心臓とする組織、ナイツロードは、ヴァイスの侵攻を食い止めるのが目下の目的である。岩と砂を操りナイツロードを守護する役目のロッシュ・ラトムスという歪な人間は、それでも二度与えられた命に感謝し、与えられた役目にやりがいと使命感を感じながら、任務を遂行していった。
 だから、リピも敵である。目の前にいたら、排除しなければならない外敵である。
 でも、そんなヴァイスからやってきたコウモリに似た刺客は、間違いなくここでロッシュの淹れたコーヒーを楽しみに待っているらしいのだ。少女に似たこの化物は、侵略の意思を見せていない。
 それでも、立場が違う彼女に痛い目を見せるくらいはできるはずだ。なのに、
「職業病……?」
 それでは片付けられないし、第一この喫茶店「イリジウム」は趣味で始めたものなのだ。傭兵稼業のほうが大事に決まっている。
 そして、仕事に誇りを持っているロッシュはたとえ敵なら女子供にも容赦はしない……と言いたいところだがやはり手加減はする。
 要するに人間的にロッシュは甘いのだ。情に篤く味方を最大限に信じる。そしてそんな仲間を、出来うる限り守っていきたいと思っている。彼の良いところでもあるが、戦場では必要の無い感情だ。時に自分だけ逃げ帰る必要性も生じるからである。オマケに目の前で鎮座している魔物は955歳である。人生の大先輩だ。世が世なら「様」をつけていたかもしれない。
 彼は物思いに耽る。わざわざ自分が淹れたブラックコーヒーを好きになり、計画的な脱出の計画を立案できず、猫に気を取られてしまうほど純粋な、そんな彼女を、
「……きっと、少しずつ愛おしく感じてきたのでしょう」
 悪い感情ではなかった。ほどほどに、好意的な感情を抱くようになったのだろう。
 彼は人が好きだ。人に近い完成を持つ生き物も好きだ。それがたとえ、化物であったとしても。
「気持ち悪いぞ」
 しまった。
 すっかりと油断していた。リピは彼の大きすぎた隙を突き、いつの間にか後ろに立っていた。ロッシュは少しずつ振り向く。立場の敵対する相手を攻撃できない理由をうっかり漏らしてしまった。そうでなくても彼女は素早さが自慢だ。渾身の防御をしたとしても間に合うかどうか……
「……」
「……」
「……」
 睨み合い。膠着。一触即発。緊張感を破壊したのはリピのほうだった。
「おかわり」

 結局彼女は、初めて会ったときもそうだったように、大きな窓から小さな翼をばたつかせて夕闇が迫る空へ飛んでいった。
 結局彼は、リピがロッシュを殺める絶好の機会を逃したことに対して、一日の最後を迎えても理解できずにいた。
「……」
 結局エスは、構う頻度が減った御主人様と律儀に置かれたコーヒー二杯分の硬貨を見比べて、恨めしげな視線を送るのだった。


 数日後。

 エレク・ペアルトス。
 電撃の能力をその身に宿すアニマ族。
 ザイディン・エクスト。
 大小様々な鎌を持ち戦う冷静な眼帯の闘士。
 グラン=ソロ=ウェンズ。
 多彩な変形と機械武装で戦局を支援する改造されし者。
 そしてルシーナ・マッケンジー。
 身軽な動きと二丁拳銃の使い手である女戦士。
 彼ら四人は、ヴァイスの前線基地が発見されたことにより臨時に編成された精鋭である。そして、彼らは最下層にたどり着き、ここを取り仕切るボスを、たった今倒さんとしていた。

「オラぁッ!!」
 ルシーナ・マッケンジー、その渾名をルーシーと名乗る彼女は自慢の二丁拳銃……ではなく、会心の蹴りでボスの側頭部を破壊し、床に叩きつけてみせた。気絶したその肢体を、何の容赦もなく踏みつける。
「もう少し遠慮というものをだな……」
「何か悪い?」
 ザイディンの口答えにもいけしゃあしゃあと答えてのけるアウトローな彼女は、
「あー疲れた疲れた、さっさとゴハン食べに帰ろ」
 もう飯のことしか頭に無いようである。
「待ってろー、待ってろヴィアン様のB定食」
 ナイツロード料理長の名前をうわ言のように漏らし、出口に向かう。
「ん……?」
 グランは自らが生み出し、最下層の小部屋に生み出された硝煙と亀裂とレーザー痕を見つめた。違和を覚えたのは、チラリと黒い影が見えたからだ。
 その影は形を取り、
「なっ!?」
 一閃。
 黒い影は猛スピードで四人の目の前を横切り、ルーシーより先に小部屋から出て行った。そして、改造されし者であるグランの視力は、それを見逃さなかった。
「アレは……ハヤブサ?」
 ハヤブサ。その最大降下速度は時速300kmを越え、自然界でこの速度を越えて動く生物は今だかつていない。ユースティアに生きる人間が魔術を用いてやっと、程度であろうか。
「何故こんな場所に……」
 ザイディンも首を捻る。ルーシーは意に介していないようだったが、
「でも、ヘンだよねぇ」
 何とはなしにボヤキが出てきた。

「赤くて光る眼をしてて、真っ黒いハヤブサなんて、突然変異かな?」

「とにもかくにも、ここの調査は終わった。さっさと帰ったほうがいいだろう」
「賛成賛成賛成」
「落ち着け」
 ザイディンとルーシーのやり取りを横目で見ながら、グランは疑問を感じることしかできなかった。
 何故ハヤブサがこんな地下に?自然豊かな隔離部屋とかならともかく、煙と機械とプラスチックに覆われた、オマケに殺風景な場所だ。しかも突然変異を疑われるような体色をしている。やはり……
 ここまで考えて、グランは考えを放棄した。軽口のキャッチボールをしながらザイディンとルーシーが部屋を出て行ったからである。
「おい!待て!」
 忙しない機械音を響かせながら、グランは続く。

「俺の扱い何なんだよ……」
 愚痴を吐きながら、しんがりのエレクは小部屋をあとにした。


「久々に来るのも良いものですね」
「いえいえ」
 イリジウムのカウンターを挟んで、ロッシュとゾイロス・イクシオンと名乗る青年が言葉を交わしていた。ロングコートに白髪、糸目の熱使いであり、飄々とした態度はいつも崩れない。基本的に露骨な嫌味は無いので、結構人付き合いは良い。
「彼らはどうしたでしょう」
 珍しく、ゾイロスは誰かの心配をする。
「あの四人の臨時討伐隊のことですかね」
「ご名答」
「大丈夫ですよ、彼らなら帰ってくるはずです」
 微笑を交わし、覆いかぶさるかもしれない悲運に立ち向かうための糧を得ようとする。
 ばたばたと足音が響いたのは、そのときだった。
「マスター!」
 少年の声色でロッシュをマスター呼ばわりするのは、彼しか居ない。
「立入禁止君……どうしました?」
 立入禁止。本名不明。ロッシュと同じく「ナイツ・オブ・ラウンズ」の人柱を担う人材である。危険物を駆使し、鎖や状態変化、警告標識などの一癖も二癖もある強烈な技を持つ、KOR期待の人材であり、ロッシュも彼を気にかけ、期待をかけてもいる。
「あ、っはいスイマセン、マスターって呼んじゃいました……」
「いえいえ良いんですよ」
 ひらひらと手を振る彼の素振りからは、怒りの雰囲気は感じられなかった。常軌を逸した穏やかさは、彼の良いところである。
「それで報告なんですけれど、作戦課の方から、例の臨時討伐隊が帰ってきたそうなので、調査・討伐の結果報告、そして注意喚起があるそうです!失礼しました!」
 ぺこりと頭を下げて、開けたドアを礼儀正しくきちんと閉めて出て行った。
「若いっていいですねぇ」
「またまたご冗談を」
 ゾイロスが茶々を入れるが、実際彼は何を考えていて何処まで知っているのかこちらに掴ませないことが多い。幼体化の事実は公には伏せてあるはずであり何となく怖くなるが、それは今は関係の無いことだ。
 帽子を深く被りなおし、蝶ネクタイの歪みを確認し、立てかけている仕込杖を携行し、
「誰か」呼びかける。
「エスを頼みます。カウンターでの応対はしなくても良いですが、せめて店番ぐらいはお願いしたいです」
 上官からの「お願い」は、その場に居る団員たちの表情を引き締めた。喫茶店のドアを改めて開けなおすと、たちまち彼の後方には岩石の板が出現する。腰を下ろし、脚が地面を離れ、目が行き先を見つめ、ゆっくりと離陸した。

 覆いかぶさる悲運は、彼のほうに降る。





* To be Continued...


◆お借りしたキャラとその作者様一覧(敬称略)

ザイディン・エクスト/lava
グラン=ソロ=ウェンズ/METEO
ルシーナ・マッケンジー/Feedback
ヴィアン・トーラス/ぃみ
立入禁止/Sleep

※ゾイロス・イクシオンはオリジナル

ナイツロード 外伝 -輪廻の盾、悠久の翼- Phase.3 からっぽの二人

 静寂が喫茶店を支配する。
 目の前の少年のような生き物から告げられた突拍子もない事実は、未だうるさい雨の雑音すらリピの意識から掻き消してみせた。知らず知らず再び強ばった顔をしていたのだろう、ロッシュが微笑む。
「あなたは悪くないですよ」
 その気遣いは空回りに終わった。互いの正義が交錯しあう戦場では、どちらが悪い、なんて物差しは機能しない。もちろんリピは微塵も罪悪感は感じていなかった。ただ同情も哀れみも超えた、純粋な興味が彼女の心を支配する。本当に悪い癖だ。
「私がこの身体になったのは……私にとってはかなり長い時間でしたが、あなたには些細な年月でしょう、八年前のことです」
 八年。人間にしてみれば十分の一に届くか程度の長い時間だ。リピのコーヒーカップは空になったが、ロッシュは未だに手を付ける気配すらない。
「あの日の私はある幹部の人とともに、リーベルタースという場所の調査に向かっていました。かの大魔王によってかなりの部分の陸地が消し飛ばされてしまったのは御存知でしょう?」
 何故か俯いてしまう。新たなどうでもいい疑問は増える一方だ。どうしても目の前の人間の紡ぐ言葉は、こちらを責め苛むように聞こえてしまうからだろう、と勝手に自分を納得させる。
「そこに到着して早々、ハオウと名乗る……恐らくヴァイスの幹部に出会ってしまいまして」
 ハオウ。ヴァイスの中でも屈指の勢力を誇る「『魔』の派閥」の長である。暴力で全てを支配し、逆らう奴に容赦はしない、暴君を絵に描いたような危険人物だ。気に入らない存在は部下でさえも消し去ると噂され、非常に恐れられている。そいつにロッシュとその幹部は目をつけられたというのだ。ただで済むハズがない。
「でも会ってそうそう『今日は機嫌がいい』みたいなこと言い出して、でも結局戦うハメになって、それで」
 ほう、と息を吐いた。
「目が覚めたらこうなっていました」
 とどのつまり、ハオウから逃げおおせたというのだ。瀕死の身体を引きずりながらどうやって?死にかけでは自分の能力の制御も難しいだろうに……
「幹部さんに運んでもらったんです」
 察しがついた。
「確かに、身体はムチャクチャに破壊されました。ですが実に運が良いことに、脳髄はほとんど無事でした。ここで死ぬのは御免だ、まだ私にはすべきことがある、ナイツロードを護る役目を果たしていない、なんて憑かれたように言ってて、そして基地を拝む前に意識が切れまして」
 へへ、と笑う。
「あとから聞いた話で、その後すぐに水槽に放り込まれて、六年ほどかけてじっくり身体を再生してたそうです。でも本当の私の身体は損傷が激しく、もう使える状態じゃない、って言われて」
 懐かしむように目を伏せる。
「記憶はきちんと残っていたので、今の私みたいな人間ができた、ということです……どうですか?」
 沈黙の中にいたリピが、言葉を投げた。
「つまらん」

 困ったような顔をして、ロッシュは肩をすくめる。
「まぁそんなものでしょう……何百年も生きてるあなたなら、もっと面白い話を知ってるはずですよね……失敬しました……」
 期待するような眼差しをリピに向けると、彼女はそっと目を逸らした。
「話せと?」
「ええ」
 選択の余地はない。仮にもここは敵地だ。こうなるのを覚悟でリピもここに踏み込んできた。どうあっても勝てない敵相手なら、生き抜いて復讐することもできるだろう。
 だから、せめて、態度だけでも。
 ふん、と鼻を鳴らして、話し始めた。
「わしは何故自分がこの世に生きているかが分からん。何故この世に生まれ、どのように生きるのか、全てが分からん」
 頬杖をついてみる。ロッシュはコーヒーを飲み始めている。
「様々な場所、色々な生物を見てきた……もちろん戦いは出来うる限り避けながら、な。じゃがわしが生きている理由を見つけることは今の今まで叶わなかった……ヴァイスに入ったのもその一環かもしれぬ」
 そっと溜息を吐いた。
「そんなところだ」
 二人分の空のコーヒーカップを片付けながら、ロッシュは言葉をぶつける。
「つまらないですね」

「……」
 リピは一瞬黙りこくった。
「お主に言われとうない」
 その言葉は弱々しい。自覚はあったのだろう。言葉にするうちに、重要だと思っていたことがしゅるしゅると萎んでしまう。
「いいじゃないですか、私もあなたも、つまらないもの同士、ですよ」
 にっこりとロッシュは笑顔を作る。いたたまれなくなったリピはそっぽを向いた。
「これでいいか!?わ、わしはもう帰るぞ……」
「いいですよ?」
 思いがけずアッサリ解放され、リピは面食らう。
「あなたが狼藉を働くようでしたら、私があなたをやっつけますゆえ」
 解放されていなかった。

 結局、彼女はコウモリになって雨雲の下に消えていった。エスはすっかり熟睡している。
「あ」
 ロッシュは気づく。
「あちゃー……」
 雨で水浸しになった喫茶店の床の掃除を、リピに押し付けるのを忘れてたことに。
 


 数日後。
 あの奇妙な来客は、あの日以降姿を見せていない。
 それで良いのだろう。彼女と私は敵同士、なんら関わりも無く、交錯し、離れていく関係にあったはずの二人だ。
 ただ、ひっかかる。何というか……後味が悪いというか……
 結局、「仲良くなれそう」という点においての後悔だろうか。それにしては、胸騒ぎがするような……良くないことが起こりそうな……嫌な……予感が……

「ロッシュさん!」
「うひゃぁ!?」
 考え事をしながら、いつの間にかロッシュは眠りこけていた。ナイツロード作戦課、防衛部の一室である。
 彼は日がな一日喫茶店にこもるわけでは決して無い。店番を募集したナイツロードの傭兵たちに任せたり、休憩時間と称して店を閉めたりすることもままある。ロッシュの本職はやはり傭兵だ。そして皆を守ることを生きがいとし、新たなる人生の糧としている。
 そんな歪な老人である彼に声をかけたのは、見た目通りの若者である。名を「エレク・ペアルトス」と名乗る彼は、青みがかった短い白髪に、ヘッドホンのような装備が特徴的な若者だ。電気を操るらしいが、彼のことを詳しくは知らない。
「ってー……なにずっこけてるんスか」
 呆れたように見下ろした視線の先で、イスに座っていたロッシュは派手にスッ転んでいた。
「ああぁ……ごめんよ、ちょっと寝てたみたいだね……」
「頼みますよー……幹部なんですから……」
 やれやれよっこいしょと上体を起こすその動作は、やっぱり高齢な人間のそれを思い起こさせる。
「それで、どんな用?」
「あー、それなんですが」
 エレクは一枚の資料を見せる。そこに書かれていたのは、
「ふむ、賞金首の討伐?」
「ええ、俺を含んだ四人で、あらかじめ偵察されたヴァイスの基地に急襲をかけます。その頭が殺人犯とかいう経歴の持ち主で、指名手配もされているー、とかいって、ぶっちゃけ興味ないっすけど」
「草の根活動は重要ですからね、頑張って討伐してくださいよ」
 エレクを激励する。平時にはこんなことも、彼の仕事の一部である。

 彼らの出撃許可を下ろしたところで、定刻となる。いつものように、ロッシュは自分の喫茶店へ帰る。
 先ほどから感じた胸騒ぎは、今になっても治らない。
「ふぅー……」
 入り口のドアが開くと、天井に黒い何かがひっついているのが分かった。
「……?」
 そしてその中心に、見逃しの利かない紅い点が、ふたつ。
 次の瞬間、焼きついてしまった色の煙が広がって、
「うぬぅ」
 あの日と変わらない声色が響いてしまった。





*To be Continued...

ナイツロード 外伝 -輪廻の盾、悠久の翼- Phase.2 敵か味方か

「……何故じゃ」
 ロッシュからのコーヒーの誘いを受け入れることも突っぱねることも出来ず、曖昧な態度のまま促されるように、リピは椅子に座った。代わりに、口からは疑問が再度漏れる。
「何故わしを殺さなかった?」
「殺して欲しかったのですか?」
 カウンターに置いてあるコーヒーミルから、ロッシュは目を離そうともせず答える。エスが身じろぎしない状況の中、豆が砕ける音と雨が窓を叩く音が静かに共鳴していた。
「本音を言ってしまえばヴァイスの情報を提供してもらいたい、というのもありますが……猫の鳴き声に気をとられたり、自分の所属している派閥を聞いてもないのにバラしたり……」
 言葉がリピの心にザクザク刺さる。やがてコーヒーカップにコーヒーが注がれる音が聞こえ始める。
「そんなお茶目なあなたはどうしても悪い人には思えないんですよ」
 角砂糖がコーヒーに触れ、溶かされていく。
「まぁ……端的に言ったら……仲良くなれそうだな、と思って」
 リピの目が訝しげな表情を作った。
「何かあったのですか?ヴァイスに所属したのも、何か理由あってのことだと思います、ゆっくり聞かせてくれると嬉しいのですが」
 また、疑問が彼女の頭の中で渦巻く。そんな渦をせき止めるかのように、あの言葉がまた響いた。
「コーヒー、如何ですか?」
 断ろうとした彼女の紅い目に、既にトレーの上に乗った二つのコーヒーカップが映る。


 ヴァイス。
「何者かの悪であること」を信条に集まった集団……と片付けるにはいささか力を持ちすぎた、というような団体だろうか。この組織の頂点、シルバリオスは強大な力を秘めた、大をつけても差し支えないほどの「魔王」である……というのが実際のところであり、ナイツロードという傭兵団の幹部「ナイツ・オブ・ラウンズ」たるロッシュをして、未だにその程度の情報しか掴めていない、遠い遠い存在である。
 様々な派閥に分化しており、果たしてどこまで草の根が広がっているかは定かではない。特に「魔」の派閥、「死」の派閥、そして、
「……悔しいがうまい」
 ここでコーヒーを飲みだしたリピは、それらの派閥に勝るとも劣らない勢力を持つ派閥「狂」の派閥の一団であるらしい。表向きは「アスガード騎士団」なる団体を名乗っているが、長のラグナロクはやはりと言うべきか狂気に満ちた性格をしており、悪意が無い状態で破壊活動を行っている、という噂である。そんな純粋な狂気が、ユースティアへの被害を他の派閥に比べて一番広く破壊しているというのだから、恐ろしいものである。
 故に、こんな凶悪な集団の(末端の構成員とはいえ)尻尾を掴んだ、というのはナイツロードにとっても大いなる前進とも言えるだろう。

「でも」ロッシュは目の前のテーブルにお行儀良く座る少女の魔族を見た。
「こういう人もいるものなのですね」
 そっと小さく呟く。
「何か言ったか」
「いえ何も、それでは」
 すとんと同じテーブルのイスに座ったロッシュはリピに言葉をつむぎ始める。
「今、あなたは捕虜の状態にあります、よって私の欲する情報を嘘を差し挟まず教えてください」
 と言い終わらないうちにリピが視界から消える。傍にはまた闇色の煙が漂っていた。
「え」
 伸び上がってロッシュがイスの上を見たとき、その上にあったのは真っ黒なサソリだった。そのまますばしっこく店内の床を這いずり回り、扉を探す。が、
「そこは自動ドアじゃないです……」
 必死にリピが出ようとしたドアは人間でなければ開かない、つまり引いて開けるドアだった。敵ながら情けなくて同情すら感じてしまう。やれやれとロッシュがドアまで駆け寄り、つまんでイスに戻そうとしたとき、
「うわわ!!」
 再び闇色の煙が奔る。突然の出来事にロッシュは思わずしりもちをつくが、すぐに別の生き物に変化したリピを目で追う。
 現れたのは、カラスだった。やはり素早い羽ばたきで開いている窓から逃走を図る。
「いけない!」
 ロッシュの声が飛ぶ。次の瞬間、どこからともなく全く突然に、大きめの百科事典ほどもある岩石の欠片がカラスの眼前に躍り出た。空中で慌てふためき、揚力を失ったカラスはけたたましく喚きながら墜落を始める。それをダイビングしながらロッシュはきちんと受け止めた。
 ちなみに被っていたフェルト帽は、滑り込んでも彼の頭の上に乗っかったままである。


 ユースティアには様々な魔術、超能力、異能力が存在する。このナイツロードにも、様々な能力を持った戦士たちが集う。
「メガリスサテライト」はロッシュが持っている能力のひとつだ。
 岩石や砂を、少しの体力と引き換えに顕現させる能力である。それは空中に留まらせることも出来るし、ロッシュの意思ひとつで空中を動かせるし他の物体に積み上げることも可能だ。
 彼がナイツロードの幹部たりえるのは、その能力が強力だからに他ならない。天然の岩石よりも高めの強度を持つ上に、何十も動かせる岩石は、攻防一体の強さをロッシュにもたらす。ナイツロード作戦部の防衛課の長を兼任しているのも納得の実力であり、何百メートルにもわたる弾幕の嵐から、無傷で生還したとの噂もまことしやかに囁かれている。
 そんな彼が趣味で猫を飼い喫茶店を営んでおり、オマケに見た目は少年なのだ。リピは本当に不運だったとしか言いようが無い。


「殺す気か!!」「だから殺して欲しかったのですか?」
 リピは激昂する。
「だから、あなたは捕虜なんです。逃げられませんよ、いいですね?では話してもらいますよ」
 緑色の眼が無垢にリピをねめつける。そこからは敵愾心ではなく、逃げ出したことを叱る様な雰囲気が放たれていた。
「でもその前に」
 ロッシュが目を伏せる。
「あなた、戦いは不得手でしょう」
 リピの表情が強張る。
「おまけに、外見に似合わないほど長い年月を……それこそ私の数倍を生きているでしょう?」
 再び顔が引きつる。
「あなたは戦士に向いてない。全ての行動が見え透いています。それもこれもきっと、戦いが嫌いなのですよね?」
 焦った顔は更に硬さを増す。得たりといった感じでロッシュは頷く。
「ですから、あなたがヴァイスの一員になっているのは何故でしょう、という話ですね」
 彼を出し抜くことは不可能だとリピは心の内で悟る。
「お幾つですか」
「……955回……、冬の雪を見た」
 少しずつ搾り出すように口が開かれる。ロッシュは眉根を寄せた。
「魔族は長く生きると聞きましたがこれはびっくりですねぇ」
 素直にロッシュは驚いた顔を見せる。
「お主は一体何歳なんじゃ」
「そうでしたそうでした」
 咳払いをして、ロッシュは言葉を放つ。
「私は59歳です」

「……は?」
 人間に関する常識はリピも弁えているつもりである。人間の寿命はせいぜい百年。それを越えて存在するのは難しく、蘇生や若返りの魔法魔術は会得が困難である。なのに目の前にいる少年は六十歳に触れる程度の年齢を生きてきたというのだ。
「もちろん、すすんでこうなったわけではないんですよ」
 振る舞いは確かに老人のそれだが、その情報を身体が受け入れてくれない。知りたがりのリピにとって、目の前の人間はとんでもなく奇異な存在である。見かねてかどうかは分からないが、再びロッシュは口を開いた。
「私は一度死にました」



*To be continued……