雑文の掃き溜めで継ぎ接いだ世界から

創作小説「SEPTEM LAPIS HISTORIA」「ナイツロード 外伝」の連載、たまにイラストを投稿します。よろしくお願いします

SEPTEM LAPIS HISTORIA 014- 一行、観光を敢行す

「どうして教えてくれなかったんですか!!」
「教える必要が無いと思ったからだ」
 朝の陽光の下、太陽が燦燦と輝く空の下、本来なら明るい笑顔が飛び交うような空気の下で、いささか穏やかではない押し問答が繰り広げられていた。リフルの刺すような非難に始まり、ジノグライがそれをかわすという構図が、さっきから続いている。
 それを横目に、アプリルもハンマーもミリも、もくもくと朝食のバゲットを食している。
「……うるさい」
 アプリルは歯噛みする。
「ジノグライたちが街を襲う危険に対して戦ってるってんなら僕だって協力するぐらいできるよ!」
「そんなに御大層なもんじゃねぇ、俺はただ戦いたいだけだ、軽い気持ちでついてくるな」
「むむぅ……」
 言い切られ、リフルは眉根を寄せる。言い方の端々から自分を気遣うためではなく、余計な口出しをされたら困る、という雰囲気が満ち満ちていたのも、リフルの表情を険しくさせていた原因だった。
 二の句が告げないと分かると、リフルはアプリルに擦り寄り始めた。
「アプリルー、ひっどいんだよジノグライったらさー、自分たちがヘンな機械の人たちと戦いながらここに来てるって隠してたの!」
「そんなん当たり前でしょ、教える必要はないわ」
 冷たくアプリルは言い放つ。今日も絶好調のようだ。リフルが顔を顰める。
「そこはホラ、友人としてさぁ!」
「アホなの? いつからこの人たちとおともだちになったと思ってるわけ?」
「ア……ほ……ッ!!」
 ぷるぷる震えだすリフルを尻目にアプリルは素知らぬ顔を決め込む。
「アホて……アホって……」
 余程ショックだったのか、先ほどまで座っていた椅子にくず折れるようにへたり込む。一方アプリルはオレンジジュースを掻きこむと席を立ち、三人に向けて言った。
「これからどうすんの」
 ぴくり、と反応する。
「どうするって……」
「あんないやく。どーせ私もついてくけど、このアホをあんないやくにするかどうかって聞いてんの」
「……その呼び方やめたら?」
「……イヤならやめたげる」
 そして今日も今日とてリフルの頭に巻いてあるバンダナを引っ張り上げて、
「カンシャしなさいよね」
「うぅ……」
 となるやりとりは、その場の人間に二人の年齢のパワーバランスが明らかに逆転していることを如実に証明して見せた。
「……オニだなぁ……」
 ぼそりとハンマーが呟く。もう少し大きかったら、渾身のアタックディレイを叩き込まれてしまいそうな音量でその言葉が口から出てしまい、彼は若干焦った。

『おはよう諸君!』
「お前朝も居たろ」
 通信機越しのジバは相変わらず元気だが、気にかかることが一つあった。
「……シエリアとミナギは?」
『シエリアは徹夜作業でノビてて、ミナギは診療所に行って主の代わりに色々整理してるんじゃないかな』
「……そうか」
 何とはなしに呟く。
『で、だ!』
 通信機越しのハンドクラップの音と共に、ジバは提案する。
『扉を開けてごらーん』
「……」
 とりあえず言われるがまま扉を開けると、
「あっ!」
 自転車が五台、家先の路上に停められていた。
『これを使って……観光を楽しんでくださいー……』
「……大丈夫?」
『大丈夫ですー……』
『私が診療所の諸々はやっておくから、さ』
「ミナギ」
「えっミナギって誰?」
 リフルの突っ込みにハンマーが答えてる間、モニタの前に陣取ってミナギは言った。
『でもこの様子だと診療所を普段通り開くのは難しいかな……』
 一呼吸おく。
『とりあえず定休日の看板を出しといて、あとは即席で人形かなんか作って働かせちゃいましょうか』
「……便利だな」
『……まぁね』
 互いに思うところを残しつつ、ジノグライとミナギの通信は途切れた。
 と、ふとハンマーが後ろを振り向くと、
「……」
 憂鬱そうな顔をしているアプリルがいた。
「あー……」
 リフルはバンダナ越しに頭をぽりぽりかく。
「アプリル、自転車の訓練してないから乗れないんだ……」
『えっ』
 いつの間にかすり替わっていたジバが、ざらついた声をあげる。
『えー……じゃあ悪いことしたかも……まいったなぁー……』
 アプリルは失望したような顔を通信機に向けている。みんなと同じ事が出来ないのはどんなにかつらいだろうか、とミリはアプリルに共感の眼差しを送る。そうした重い空気に場が支配されかけたとき、
「方法が無いわけでもないよ」
 ハンマーが手を打つ。


「むかつく」
「気持ちはわかるけど我慢してくれないかな」
「……やだ」
「難しいねぇ」
 そのアプリルは、今ハンマーの背におぶさったままになっている。ついていきたいが自転車を使えないので、非常に不本意な結果に終わってしまったので、むすっとしたままの顔で風を受けていた。海から流れるそよ風に金髪が映える。
「言っておくが俺たちはここにあまり長く滞在するつもりはないからな」
「でも観光はしたいからねっ!」
「同じく!」
 ミリとハンマーが全力で首肯する。
「……」
 二対一では不利だし、ハンマーの腕力にはどうやっても敵わないと判断して、ジノグライは黙ったままでいる。
「だから案内お願いします!」
「合点承知!任せなさい!」
 持ち前の明るさを取り戻したリフルが、一番前に出てノリノリで三人と一人を先導する。
「でも坂道多いからね!覚悟しとくんだよー!」
「で、何処に連れてくんだ」
 うーん、とリフルが声を出す。
「……?」
「……??」
「何処だ?」
「……どこにしよう」
「おい」
「そうだ!」
 頭の上に電球が点灯するような勢いでリフルが明るい顔になる。
「海岸行きましょう!」
「シーズンオフだけど?」
「それでも泳げるよ」
「水着持ってない……」
「あちゃー」
 ハンマーの背中にいるアプリルが、ぎゅっと背中を掴んだ。
「もしかして……海に行きたいの?」
「……」
 顔は見えないが、首肯しているのが分かる気がした。
「行きたがってるねぇ」
「じゃあ行きましょうかー」
「……砂浜くらいなら遊べるところあるんじゃないかな」
 会話を交わしつつ、五人は石畳の道を自転車で走り抜けていく。
「……」
 憮然とした顔のまま、アプリルはハンマーの背に揺られる。

 ヴァッサー海岸。
 賑々しいマルシェの街を北西方向に抜けると、嘘のように静かで落ち着いた海岸が広がる……のはシーズンオフの今だからであって、夏には多数の人々で賑わうリゾートビーチでもある。また、海岸線に沿って広く長いのも特徴で、マルシェの街で海側に広がっているのはだいたいこのヴァッサー海岸である。
 誰かが残したおもちゃのシャベル、バケツ、空き缶のゴミ……横目で見ながらヴァッサー海岸沿いを通り抜けていく。
 唐突に声が聞こえたのはそのときだった。
「ここでおろして」
「え?」
 声の主は両方とも金髪だった。最初はアプリルが、その次にハンマーが声を放つ。思わずブレーキをかけた。身体が傾ぎ、つんのめり、車輪が軋む音がした。その隙にひらりとアプリルがハンマーの背から飛び降りる。
「泳ぎにいくから」
「……うーん」
「別にいいよ」
「リフルさん!」
「大丈夫だよミリちゃん、アプリルは何度もこうやってるから」
「ならいいんですけど……」
「それより潜水艦だよ!」
「忘れてた……」
「ひどいよー!……まぁ今の今まで僕も忘れてたけどね!」
「ダメじゃん」
「だからさ、ほら、ついてきて!」
 やいのやいの言うリフルは、最後にアプリルに声をかけた。
「アプリル」
「……なによ、リフル兄」
「知らない所にいったり、危険な場所で泳いだりしたら許さないよー」
「いつまでも子どもあつかいしないで!」
 アプリルは吼えた。立腹のまま、履いていたサンダルをぎゅむぎゅむ言わせながら走り去っていく。
「……あっちゃー」
「行っちゃいましたね」
「めんどくさい奴だな……」
「……たまに笑うとすっごく可愛いんだけどね、あの妹分は」

「さて、着きました!」
 四人がいるのは漁港である。
 埠頭はマルシェの住民の共有物であり、潜水艦の泊まっている位置も日替わりだという。贅沢にも「リフル専用」というそのこじんまりとした潜水艦は、埠頭の端のほうに停泊していた。
「あれが僕の潜水艦! アプリルも来るかと思ってたけど、四人ならなんとかなるかな」
「見切り発車かよ……」
「ははははは! 気にしないで! でもこの場合は『発進』が合うかなあ……」
「座れるところはあるんでしょ?」
「もちろんさ」
「窓もあるよね!」
「何のための潜水艦なんだよー!」
 あははははははは、と和気藹々と会話が繰り広げられていく様を見ながら、ジノグライは一人別のことを考えていた。

 ――仮に今、潜水艦に乗った後、『奴ら』から攻撃を仕掛けられたとしたら。
 ――海に引きずりこまれた状態で、戦闘を余儀なくされたら。
 ――俺の電撃ビームは海中でも通用するだろう、問題なのはハンマーだ、水の抵抗に根こそぎ身体を持っていかれては、あの腕力の意味が無い……
 ――ミリの氷は効くだろうか、水圧に氷が負けるかどうかが心配だが……まぁ、なんとかなるのではないか。
 ――リフルはどうだ。水中では水を出しても海水に呑まれてしまうだろう……
 ――見た感じでは海水のほうを操る能力は無いようだ、戦力にはならないか……水中で手を引いての推進力になるのが関の山だろうが、着衣のままの遊泳のセンスはあるかもしれない……
 ――まとめると過信は禁物、が正しい感じか……水中での戦いを見たことの無い面子が多すぎるからなんとも言えない、が正しい感じだな……
 ――そもそも今回は『奴ら』が来るのだろうか? 何も起きないに越したことはハンマーに言わせれば無いのかもしれないが、俺としては……はっきり言って退屈でしかないな……

 一人で小難しいことを考えていると、誰かに手を肩の上に乗せられた。
「誰だっ!」
 ごつん。

 思わず勢いよく振り向くと、頭と頭がぶつかる鈍い音がした。
「いてて……」
「……お前だったのか」
 ミリの頭がぶつかってきていた。
「リフルさんさっきから何回も何回も呼んでますよ……気づかなかったんですか」
「……全然気がつかなかった」
「行きますよ!潜水艦に乗るんです!」
「……」
 波止場の端っこからリフルの声が響く。
「おーい! 早くしないとおいてっちゃうぞー!」
「まったく……今行く」
 早足になりながら、ジノグライとミリは潜水艦のもとへ急ぐ。
 全員が乗り込み、最後にリフルが出入り口のハッチをばちん、と閉めた。
 すぐに海中に没し、潜水艦の姿は見えなくなった。


 どこからか、さざ波の音が聞こえてくる。
「はぁー……」
 一人になったアプリルは砂浜ではなく岩礁に居た。いつも来る場所で勝手は知っていたから、アプリルは何も慌てない。
 岩礁の一角に腰掛け、馬鹿みたいに穏やかで呆けた真っ青な海と空をしばらく眺めていると、
「……」
 アプリルはおもむろに着ていた白い半袖シャツに手をかけた。そのまま腰掛けていた岩礁の一角に、シャツを脱ぎ捨て放る。
 硬めの生地のハーフズボンも脱いだ。シャツと同じ場所に放る。
「……」
 薄くて白いその身体は、今は真っ黒なスパッツタイプのセパレート水着に包まれていた。ぎゅむぎゅむサンダルの足音を鳴らして、平らで安定した岩場を探す。
 やがていつもそうしているように手ごろな岩を見つけると、いつもそうしているように軽めのストレッチをし、いつもそうしているようにサンダルをここで脱いだ。ぺたぺたと裸足のままで岩場の端に近づく。
 そして、いつもそうしているように。
「ふんっ!」
 大きく膝を折って溜めた力を解放すると、水着に包まれたアプリルの身体は、綺麗な放物線を描いて岩場が作る崖から海へと吸い込まれていった。そう大きくもない水しぶきが立ち、ちょっとした時間が過ぎると、海面はもとのような静けさを取り戻した。
 どこからか、さざ波の音が聞こえてくる。

『……』
 その一部始終が、真っ黒い潜望鏡に監視されていたことを、アプリルはまだ知らない。
『……』




*To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 013- 真夜中と夜明けの狭間で

 あてがわれた布団は簡素で、それでも清潔だった。もちろん人数分が用意されている。
『私の分は無いのかよぉ!』

 結局リフルの家に泊まることになった一行は、事情を彼の口から彼の両親に説明してもらうことにして、布団を用意してもらった。しかし、それでも旅の目的を誤魔化しきれない相手がいた。他でもないリフルである。
「これからどこに行こうとしてるの?」
「そうだね、海を渡る必要があるんだよ」
 話すのは専らハンマーの役目だ。嬉々としてリフルが投げつける質問を丁寧に受け止めているうちに、二人ともすっかり会話の口調が砕けている。ちなみに本来の目的に関してはうまくかわしている。まさか彼だって、一行が大陸を超えた探偵ごっこに身をやつしているとは思っていないだろう。
「僕らの旅はまだ始まったばかり!」
「僕達の旅はこれからだー! みたいな?」
「そんな感じ?」
「かっこいい!」
 その会話の中身は無いが、それでも打ち解けるための会話にはなっていた。そんな会話を、ミリは苦笑いしながら聞き、一方ジノグライは早々に通信機から転送された寝間着に着替えて布団に潜っている。起きてはいるらしい。
 すると、出し抜けにリフルが語り始めた。
「実は僕、潜水艦の操舵ができるんです!」
『潜水艦!!?』
 色めき立ったのは通信機越しのシエリアだった。
「いたんですねー」
「え、この人誰?」
「教えて無かったですね、シエリアさんです、優秀なお医者さんですよ」
『すごいー……潜水艦の操舵ってだいたい人が複数人いないと出来ないのに』
「マルシェの街には一人操舵用の小型潜水艦が普及してますよー」
『カルチャー……ショック……ッ!!』
 彼女がよろめく姿が、ハンマーには見えるようだった。
「それでね、潜水艦にみんなを乗せて海中を案内したいなって!」
「いいねー! 賛成!」
『……五人と一機も乗れるのか?』
 今度はジバの声が割り込む。
「大丈夫ですよ、ちょっと狭いけど……」
 ぼそぼそと答えるリフルの様子から、乗り心地の良さは捨てる必要があるとジノグライは遠巻きに分析する。どうせ言っても引っ張り回すんだろうと思うと、抵抗は無意味だと思えた。だからせめて明日に備えて寝ようとするが、ひそひそ話は尽きなかった。どのみち灯りが点いているなら、安眠を今のうちから得ることは難しいだろうと判断する。
「というかジバさんの通信機は海中に潜ったら使えないでしょー」
『……うぐぅ!』
 声が詰まる。電波は届かないが、海中からの景色は通信機越しの面々だって見たいはずだ。
「でもなぁー、光が届かないと海中ってまーっくらだと思うんだけど……」
「あまり深くまで潜らなければ素敵な景色ばかりだよ!」
「なるほど……」
 そうしてふっと会話が途切れると、ミリの双眸はここに居ない人間の影を探す。
「アプリルはどこに?」
 少しリフルが声のトーンを落とす。
「……あの子、実は人見知りだったりするから……」
「バレバレだったけどね」
「だから緊張してるのかな」
「あの子の部屋は二階にあるんだけどね」
「結構近寄りにくいところあるけどねぇー……」
 リフルは僅かながらに顔を曇らせる。しかし、次の瞬間には何度も見た屈託のない笑顔で、
「あの子は他人と関わるのが苦手なだけだと思うんだ、だからハンマーやジノグライさんたちの冒険を見て、何かを糧にできればいいなって」
「そんな御大層なもんじゃねぇよ」
 ジノグライが、他人にも聞こえるか聞こえないか程度の音量で、ぼそりと呟く。実際、彼は戦えれば何でも良い。暇になったら、リフルとも一戦交えようかと考えていたぐらいだった。
 その辺りを分かっているから、あえて何も言わない。リフルだけは違った。
「色んな世界の綺麗なものや人に触れて、アプリルの心が開くきっかけになったらいいなって思うんです」
「……」
 反論は野暮だと思ったのだろう、ジノグライは口をつむぐ。リフルの口調も、まるで「そうあってほしい」というような調子だった。
「……」
 重たい空気から、またポツポツと雨が降るように会話が増えていく。諦めたように、ジノグライは頭から布団をかぶって、そのまま微睡みが来るのを待った。


 真夜中。
 この家の住人は、三人のうち二人が、未だ寝入っていなかった。
『それじゃあ今日はこのへんで!また明日!』
「はいよ、寝不足にならないようにね」
『……心配だね』
『心配だ』
 ぷつん、という音と共に、通信機の向こうからの声が切れる。結局真夜中まで、三人はずっと喋り通しだった。
 そんな状況を、ひとまず満足したように頷きつつ、通信機の向こう側のジバは受け止める。
 その横には、のびているシエリアがいた。そしてそこからソファによろよろと這い寄るさまはまるでカタツムリだった。
「ぷ」
「なんですかぁー……」
 そんなたとえを思いつくと、ジバは噴き出すのを抑えられなかった。よく見ると、彼女の眼の下には隈が出来つつある。どうやら今の今まで地下で作業を行っていたらしいが、ようやく一山越えたようだった。
「で、出来たんだね?」
「はいぃー……」
「……なんというか、返事をするだけでつらそうね」
「う、その通りですー……水を一杯ください……」
 飲むことすら忘れていたようだ。備え付けのウォーターサーバーからコップに水を汲み、シエリアに手渡す。一気に飲んだ。
「では……」
 シエリアはソファに倒れこんで、そのまま瞬時に眠りこけてしまった。なお、ミナギはとっくに移動して、二階の部屋で休んでいる。
「あーぁあー」
 ジノグライとハンマーを養うための仕事こそ請け負っているものの、基本的には自営業をしているジバは暇人と化す。そこでふと思い出したように、ジバは地下室への階段を下りていった。地下室はジノグライやハンマーのための戦闘訓練室があるが、シエリアはここに道具一式を持ち込んで、ずっと引きこもって作業をしていたようである。正直頭が下がる。
 その部屋を開けると、かなり広い上に殺風景な部屋の景色が広がる中、中央の金属の山の、これまた中央に『それ』があった。
「……ムチャしてんなぁ」
 三人分の自転車が存在していた。
 御丁寧なことに、リムやハンドルなどの差し色が、よせばいいのにキチンと蒼、黄色、桃色に人数分塗り分けられていた。
「……何これ」
 ついでに、その横の金属の山の中には赤の差し色の自転車と、黒のものもあった。
「なるほど、ミナギとシエリア用かな?」
 ぽん、と手を叩いて一人合点する。手を叩いて一人合点した。した直後、昨日も、しかもさっき叫んだ台詞を、彼は再び叫ぶことになった。
「私の分は無いのかよぉ!」



 夜明け前。
 海からは霧が発生し、街中を覆い隠す。
 それでも、空を見上げると、雲ひとつない空が一日の始まりの時を包み込む。今日もいい天気であることを予感させた。
 まだ人々は生活のために動いておらず、街には人通りが無かった。
 そんな中、動き出す人影があった。

「……霧か」
『霧だからついていきたくない』
 ジノグライと、あのあと仮眠を摂った通信機の外のジバが会話を交わす。ジノグライはロングコートに長ズボンといういつもの服装ではなく、軽そうな半袖を基調とした軽装に身を包み、腕を十字に交差させて伸ばす運動をしていた。
「ついてこなくていい」
『ペースメーカーになれるよ』
「ペースなら大体俺が知っている」
『これが習慣の力か……ぬぬ』
 ジノグライが毎朝ランニングを行い、身体を引き締め持久力を鍛えるのは、既に習慣と化していた。それが見知らぬ街でも変わらないことである。ただ、状況が状況だった。
「霧が濃いと……迷うかもしれんな」
『おー? お~~~?』
 何も見なくても、通信機の背後でジバがにやついてるのは手に取るように分かった。腹が立って腕で払いのける。
「ムカつく」
『ムカつくように振舞ってるんだもん』
「……はぁー……」
 理解できないとばかりにジノグライは首を振る。
『まぁいいよ、手ェ出して』
 昨日渡したものと同じ、金属片の遠隔通信機が彼の手のひらで転がる。
『迷っても私がここで待ってるから、迎えにいくよ』
「余計なお世話だ」
 と言いつつ、彼は金属片をズボンのポケットに無造作に突っ込んだ。
『……やっぱり怖い?』
「帰ったら潰す」

 息を弾ませ、軽装のジノグライが帰ってきたのは暫く経ってからだった。
『道に迷う様子が無かったの悲しいぞ』
「当然だろ」
 この頃には、発生していた霧もすっかりなりを潜めていた。すると、リフルの家の前に、当のリフルが体育座りをしていた。
「ジノグライ……さん?」
「ジノグライでいい」
『ジノ』
「呼ぶな」
『だから略さないであげてね』
「お前」
「なるほど」
 リフルは一応納得する。
「で、何やってたんだ」
「それはこっちの台詞です! どうして朝に一緒に居なかったんですか! 朝ごはん冷めちゃいます」
「あと敬語うっとうしいからやめろ」
「……わ、わかった……」
「そうか朝飯だったのか……他の奴らは?」
「まだ寝てるけど……」
「寝てるのかよ」
「でも母さんが思いの外ノリノリで……たくさん作ったというか」
「……」
 やれやれと溜息を吐くジノグライの横で、ジバはおや、と思った。
『一緒にいた時間が長かったからあんまり気にしてなかったしそんなイメージ無かったけど……敬語をあえて外そうとしてくるのって珍しいんじゃないかな』
「思ったことが声に……出てますよ」
『……ジノグライ……お前の敬語かなり怖い』
「ぶふぅ」
 やりとりがリフルに笑われてしまった。
『あ、そういえば』
「なんだ」
 次の瞬間、ジノグライの手のひらに手袋が降ってきた。黒いデザインのベーシックな手袋だった。
「これが何だ?」
『ばれないようにだよ』
「……義手を?」
『義手でアンタだってわかるケースも少ないと思う、そのせいで敵に狙われるかもしれないだろう?』
「……」
「前から思ってたけど、その義手は何なんですか」
「……これか」
 そう言うと、ジノグライはばち、ぱちばちぱちん、と義手を帯電させる。その蒼い光に、リフルはぽうっと見とれたようになる。
「……分かったか?」
「なるほど……そして質問したいんだけど」
「あ?」
「さっき、ジバさんは『敵に狙われる』って言ってたよね、あれは……一体何?」
「……」
 口をつぐむ。
 そして眼が合った瞬間、マルシェの街の尖塔から、低く長い鐘の音が聞こえてきた。それぞれの朝が、幕を開ける音がこだまする。
 次の瞬間には、朝焼けの太陽が水平線から顔を覗かせていた。水面がオレンジに染まる、晴れやかな儀式だ。
 それでも、ランニングを終えたあとの爽やかな空気も、朝焼けの美しい街並みも、ジノグライにジバがやってしまった失態のおかげで一般人を巻き込んだことに関しての言い知れない感情を、ジノグライの頭から振り払うことはできなかった。


「二日目……ねぇ」
 誰も居ないモニターを覗きながら、声の主は嘲笑する。
「時間をかければかけるほど……街の救済が難しくなることぐらい、彼らは分かっているんだろうねぇ?」
 ニヤニヤを抑えられない、といった感じの声は、現にくつくつと笑い始めた。
「いやぁ……まさかこんなところにいるとは一体誰が予想しただろうねぇ……」
 含み笑いしながら、モニターから目を逸らし、座っていた椅子から立ち上がる。
「仮に見つけられたとしても、こんな場所までわざわざ来る酔狂がどこにいるのかなぁー」
 声の主は、階段を下りていく。下の階の小部屋に辿り着くと、小さなボタンが出迎えた。
「まぁ……仮にボクを倒せたとしても、ボクにはこの『最終兵器』があるんだけどね」
 にやりと笑うと、階段を上り、もう一度モニターに目を戻した。
「それにしても」
 モニターに映っているのは静止画だった。いつの間にか撮られていたようで、映っている本人には気がつかれていない。
「この子……使えそう……だねぇえ……」
 そこに映っていたのは、紛れも無く、リフルと行動を共にしていたアプリル・フォルミだった。




*To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 012- トレントマスター&アタックディレイ

「へぇ!」
「でも……少々濡れますよ?覚悟の上で……いいですか?」
「へぇ?」
 突如として、ジノグライの、ハンマーの、ミリの、それぞれの靴の裏から、水音がちろり、と響いた。
「は……貴様いったい……!?」
 咄嗟にジノグライは義手を帯電させる。
「動かないで!危ないです!」
「なんだ……?」
「よし今だ!」
 止むかと思われた靴裏の水音が、確かなうねりを持ったのはその時だった。
「!!」
 突然、一分の穴すら空いてない石畳から、四本の水流が噴き出した。それらが四人を一人ずつ、力強く持ち上げる。さながらロケットの発射風景のように、水流は四人の身体を上空へと運んでいく。そのスピードはどんどん増し、路地の傍にある塀を越し、家屋の屋根の高さよりも高くなり、遠くに見える尖塔を、目線の下に眺められるようになり、そのとき、ずっとその変化ばかりに気を取られ、ずっと下を向いていたミリはふっとあたりを見回す。
「えっ!」
「うわぁー……!」
 沈む夕陽と、ヴァッサー海岸から繋がるラゴスタ海峡を望むパノラマが、その水流のおかげで一望できた。それは今までミリが見てきたどんな展望台からの景色より、より美しく、そしてより爽やかな景色だった。目に焼きついて離れない橙色の光景を、しばらくぼぅっとミリは眺めていた。
 現実に引き戻されたきっかけは、ジノグライの一声だった。
「これは……この能力は……お前が!?」
「その通り!」
 リフルはしたり顔で頷く。
「僕はこの能力を『トレントマスター』って呼んでまして」
 そう言うと、リフルは左手でポケットの中をまさぐり、奥底から綿埃と毛糸の塊を見つける。
 彼はそれを上に放った。一瞬、その埃たちは橙色の煌きに支配される。その瞬間、ザァッというような音がしたかと思うと、ばらばらのガーネットでできたネックレスのように、水滴が弾けて散った。
 一連の動きをずっと見ていたジノグライは、極細の水流がゴミを弾いたのだと知る。でも、解せないことがあった。
「馬鹿な!? どこから水流が……」
 あたりを見回しても、水流が発射されるような水源はどこにも見当たらず、ただただオレンジ色の空気が広がっていた。ジノグライの脳内にひとつの解が思い浮かんだ。
「まさかこの水流は……」
「そう……まぁ隠してても仕方ないことですけどね」
 リフルがにこやかにジノグライを見る。
「その能力なんですけど、『急流に限り、水の塊を呼び出すことが出来る』っていう能力なんです! そう……丁度今のように皆を持ち上げている水流も」
 ぐらつきも無く、正確に路地に対して垂直に吹き上げている水流は、確かに相当不自然で、見ようによっては気持ち悪かった。もっともそのお陰で体勢を崩さなければ、四人は水流の上でも立っていられた。アプリルはやはりどこか呆けたように、水流で宙に浮かんだ四人を見つめている。
「僕の能力で皆を空中に打ち上げているんです」
「なるほどな……」
「そして『急流』という条件があるならッ!」
 言葉尻で力んだリフルが、片手を大きく伸ばす。それに平行するように、
「ひゃあぁッ!!?」
 ミリの身体がぐらりと傾ぐ。リフルはそれに合わせてソツなく水流の方向を調節した。
 彼女の驚きの原因は、まるで夕立を真っ逆さまにしたような激しい水の流れにあった。よく「バケツをひっくり返したような」と形容される大雨が、地面ではなく空に向かって降ってきたような、そういう印象の細かな幾千幾万の水流たちが、視界の下端から猛烈な勢いで上空に吸い込まれるかのように流れ、千切れ雲の中に飛んでいく。三人は、それを首が痛くなるほど見つめていた。
 だが、水流はいつまでも空に吸い込まれない。既に夕刻の朱色に同化したかに錯覚する高さまで水流が立ち上ると、支えを失ったように水流たちは次々と今度は本当に夕立のように、容赦なく四人の上に降り注いだ。
 降り注いだが、それらが四人と、下で待っている一人の身体を容赦なく濡らすことはなかった。だぱだぱだぱだぱだぱだぱ、と、その水流たちが重力を上乗せして激突する音が、彼らの上からした。
 丁度傘のように、ミリが腕から伸ばした薄い氷塊が、四人の身体に陰を作っていた。
「……アフターケアは怠らないでくださいね」
「ごめんなさーい」
「一応乙女ですから!」
 ミリは氷塊を瞬時に端から消滅させ、水流が作り出した滴の存在すら無かったことにした。
「では」
 その声と共に、リフルが指を鳴らす。
 すると水流の流れは少しずつ収まりを見せ、徐々に四人は地上へと戻っていった。先ほどのことがあったから、心なしかリフルの対応も紳士的である。完全に地に足がつくような高さまで帰還したとき、あれほど流れ出していた水流の源泉は、陰も形も無かった。
 思い出したようにリフルが口を開く。
「どこまで話しましたっけ……あぁそうそう、つまり『急流である』という条件が付与されれば、僕の能力で作られた水流はどこからでも、水源を使わずに発生させて、空中に流すことができるんです!」
 水源が無いのを不思議がって地面に目を向けたままのハンマーがリフルのほうを向いた。どうだどうだと、幼さの残る顔立ちでリフルが痩せた胸を張る。
「なるほど……それは優秀な能力だな」
 『特殊能力』は天賦の才だ。リフルという少年は、とにかく急流を扱うことに長けた少年なのだろう。物思いに耽る様子も無く、ミリはリフルに話しかける。
「ありがとうございました! お陰で綺麗な夕陽が見れました!」
「いえいえ、これで僕に悪意が無いことが証明されたでしょう?」
「というか疑ってごめん、と謝るべきなんだろうね」
「ところでさっきから気になっていたんだが」
「はい?」
 ジノグライが、その義手でアプリルを指差す。

「あ、アプリルですか」
 名前を呼んでも、アプリルは全く無頓着な様子である。それどころか、ぷいとそっぽを向いて、向こうへテクテク路地を歩き出す。
「あの子は僕の遠い親戚なんですよ、僕らは髪の色が違うんですけど、目の色がちょっと似てるんです」
 リフルの瞳は、爽やかな海を映すような青色をしている。さっきちらと見えたアプリルの瞳も、同じような青色をしていた。リフルはこっちに背を向けて、再び語りだす。
「それで、彼女はひどく無愛想で人見知りというか……」
 その言葉は最後まで言われることは無かった。そんなことばかり言っていたリフルの背中に、鋭く衝撃が走る。
 衝撃の主は金髪を持っていた。そしてそのチョップがリフルの背中を叩くのと同時に、彼は前につんのめった。つんのめった、その先だった。
「!?」
 つんのめったリフルは、チョップを一発だけもらったのに、更にチョップを食らったかのように背中に衝撃が走ったモーションを見せた。しかも二度だけではなく、等間隔で背中に衝撃が入っていく。系六回の衝撃を加えられて、リフルは背中を何度も打ち付けられて、ついに路地に転がった。ぐぅ、と情けない悲鳴をあげてリフルはうつ伏せに倒されていた。
「……アプリルさぁ」
「……なーんでネガティブな私のことばかり言うわけ?」
「悪かったよ、悪かったから『特殊能力』で攻撃するのはやめて……痛い」
「ふーんだ」
 アプリルはそっぽを向く。
「『特殊能力』?」
 ジノグライが質問する。
「彼女の能力なんです……いててぇ」
 リフルは腰をさすりながらゆっくり起き上がる。悲しいかなぎっくり腰を労わっているようにも見える苦悶の表情を浮かべていた。年の頃は恐らくミリと同じはずなのだろうが。
「『アタックディレイ』と皆呼んでます、彼女の能力は……うーん『衝撃の分配』って言ったら分かりやすいですかね?」
 ぽりぽり頭をかいてリフルは説明を始める。
「例えば、『6』っていう数字がありますよね?」
「……?」
「これを、彼女の与える『チョップやキックの衝撃力』とします。彼女が出来ることというのは、『6』を『3+2+1』や『2+2+2』、『1+1+1+1+1+1』に分配できる能力なんですよ……もちろんそのままでもいいんですけど、数回に分けて衝撃を等間隔に分配することができるんです」
「ふむ……」
「今腰に来たのもそういう衝撃です……何回も分けられると対応も困りますもんね」
「なかなか有益な能力だな」
 ジノグライは分析する。
「だからなんか苦手と言うか……彼女は自分から友達を作りたがらないというかそんな感じです、僕以外の親族にもあまり懐かなかったようで」
 昔のことをを思い出しながら、リフルが話す。
「……ひょっとしたら、アプリルの友達になってくれたり……なんて?」
 リフルはもごもごと口の中で言った。その言葉は、三人にもアプリルにも聞こえなかった。彼は彼なりに、彼女のことを心配していたようだが、例えその言葉がアプリルに届いたとしても、ひねくれ者のアプリルにはどっちにしても届くことは無いだろうな、とリフルは半ば諦めていた。
 紅にその色を変える空が、徐々に彩度を失っていく。

『あー……なんでこんなに広いのさ』
『あの子達のためでしょう?』
『あぁー……まぁー……ね』
 ジバとシエリアの会話が、一機で行動している通信機から薄く聞こえていた。
『いやーでもさぁ……好みのホテルってなかなか見つからないもんだねぇ』
『何ですかまるで自分が泊まるみたいな言い方は』
『ハッ! 今気づいたが私はそんなホテルのベッドで眠れないのでは……!?』
『……わざとですか』
『何が?』
『旅行する気マンマンすぎると思うんですけど』
 通信機を、通行人が遠巻きに眺めては去っていく。
『いや、なんか、気分だけでも』
『まぁマルシェの街綺麗ですもんね』
『ああああああああああああッッッ!』
『落ち着いてください』
『モニターとにらめっこして監視するの飽きた!』
『そんな事言われましても』
『私だってマルシェで一夜を過ごしたいよ!』
『また後から来ればいいのでは……』
『……なるほど』
 通信機の向こうから、ひらめいたように拍手を打つ音がぱん、と響く。
『全部終わったら旅行に行こう! できれば私一人で』
『ところであの子達はどこでしょう……』
『遠隔通信機は授けたはずだから、探しに行こうか』
 そう言って、通信機はジノグライたちに預けた遠隔通信機の下へ、惹かれるように浮遊していった。

「じゃあ今日はリフルっていう人の家に泊まることになったから!」
『……あー』
 歯切れ悪くジバが応える。
 あまり素早くは動けない通信機は、割と長めの時間をかけてリフルの家まで到着した。簡素だがそれなりに大きく、すっきりとした外観の石造りの家だった。表には、既に五人が集結して、雑談に興じていたりした。
『普通にホテルとかでも良かったのよ?』
「いやいや別にいいですよ」
「そしてその希望はお前のだろ」
『ギクッ』
 本心を見抜かれて、ジバは沈黙する。
「そういえばさぁ」
 ハンマーがジノグライに問いかける。
「明日はどうするの?もう外は暗いし今日はここに泊まるんだろうけど」
「……明日か」
 ジノグライは呟く。
「とりあえず明日はラゴスタ海峡を渡ってアネモス諸島を抜ける必要があるだろうな……それらを午前中にできればノックスにも充分辿り着けると思う、先は急いで損は無いだろう」
「のんびり進むのも悪くは無いと思うけどなぁ」
 ハンマーはそっと呟いた。
「この街のごはんさぁ、なんかすっごく美味しそうだから食べ歩きしたいなって思って!」
「それは一人でも出来るだろうに」
 相変わらずジノグライは素っ気無い。
「俺は明日はとにかくラゴスタ海峡を抜ける、それだけだ」
「あーいかわらず容赦がないというか貪欲というか……」
 ハンマーは数年の付き合いの、一応は友人である所の青年に向かって溜息をつく。
「そんなんじゃすぐ抜け毛が深刻な問題になっちゃいそうだね……ふふ」
 自分の冗談に自分で笑うハンマーに、今度はジノグライが溜息をつく番だった。
「俺は相手が誰だろうと、邪魔する奴は捻じ伏せるだけだ……そして俺は自分のやりたいことをやってるだけだ」
 すっかり紫紺に染まった空を睨んで、自分に言い聞かせるようにして呟く。

「俺は勝つ。絶対に」
 呟いてから、リフルの家の扉が開いて、二人を呼ぶ声が聞こえた。




*To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 011- 夕刻への扉

「……」
「……」
「……」
『……』
 そこにいた四人、いや三人と通信機越しの一人の意見は、「よくできすぎている」という点において一致していた。
 日が傾きかけたウィリディスの街。山吹色の陽光が辺り一体を優しく包む。その西端にその森はあった。鬱蒼と茂った森は、一分の隙もなく植物が繁茂しているように見えてはいるが、あの男性が言う通り突っ切れそうなところを探していると、ちょうど人ひとりが入れそうな木々の隙間が、果たしてそこにぽつねんと存在していた。ちょうど、誰かが通り抜けることを前提として作られていたかの如く。あるいは、既に誰かがここを通り過ぎた後の如く。
「……虫が良すぎると思うんだが」
 口を開いたジノグライは当惑した口調で言った。
「あのおじさんが関与してる……のかなぁ?」
「ありえなくはないけど……そうすることでどんなメリットがあの人にあるんだろう」
「そ、それは確かに」
「罠ということもあり得るが……」
「……」
『でもさ』
 通信機越しの声が割り込む。
『もうすぐ日が暮れるから、それまでに着きたいんだったら、無理を押し切ってもいくべきだよね』
「……戦闘では確かに不利だ」
 ジノグライは首肯する。
「向こうはどんなセンサーや通信機器を使ってこっちをサーチしてくるか分かったもんじゃない、対して俺たちには人間の目しか無い……暗闇の中ではどうしても不利になる」
「そんなものなのかなぁ」
 例え自分勝手な理屈でも、納得してしまえばジノグライは行動する。
「あっ」
 ミリが見ている目の前で、ジノグライは空いている隙間からずんずん森の中に分け入っていった。
「……」
「昔からこうなんだよね」
 困ったようにハンマーはミリに笑いかける。
「自分が納得したら後先考えないで行動するから……」
「……」
「ついてきて」
 そう言ってる間にも、分け入っていくジノグライの姿と通信機はどんどん遠くなっていく。二人は慌ててあとを追った。
 前を行くハンマーの目は、怯えているようにも、呆れているようにも、ミリには見えた。

「……ますます怪しい」
「自分から突っ込んでいって今更何を」
 三人と一機は森の中に分け入っていく。奇妙なことに、三人の着ている服はまだ傷もほつれも、新しくほとんどつけられていなかった。森の中に分け入るなら、茨やツタでついていてもおかしくない傷だった。
「怪しすぎる……」
 ジノグライがぶつぶつ呟く。
「最初から誰かが通ることを想定して森が切り開かれてるようだ……!」

 三人と一機が通っている道は、人ひとり分が通れるだけの穴を保持した状態で、分かりにくいが森の中を貫通していた。故に縦になって並んで歩けば、繁茂した植物が進行を妨げる恐れは無い。明らかに誰かが開発を加えたあとだったが、森林の伐採ならもっと大々的にやるだろうし、不自然だし理不尽だった。だがその理不尽さは、図らずもジノグライたちへのプラスとなっているのは間違いない。
 怪しいと何度も呟き、ジノグライはそのうち黙りこくった。しかし、刺客もトラップも、どこにも出現することがなかった。地雷のようなスイッチも、細いワイヤーで設えられたブービートラップも何も無かった。だが、通信機は小刻みにノイズを受けている。ハンマーは通信機の向こうのジバに聞いてみた。
「どっか通信機の具合でも悪いんです?」
『いや……大したことじゃないけどここまで複雑怪奇な森の地形だと電波が届きにくくて……今見てるモニタも何だか砂嵐ちょっとかかってるし』
「ふーん……あれ?」
 しかしハンマーははたと思い当たった。
「じゃあなんで地下にいたときは明瞭にサポートできたんですか?」
『あー、気づかれないようにちょっとだけ天井に穴あけて来たんだよ』
「……」
 バリアを張るだけでなく攻撃もできたのかとハンマーは思った。
「ひょっとして僕らが戦わなくてもいいんじゃ……?」
『いやその理屈はおかしい』
 答えたジバは続ける。
『そっちは怪我人とかいない?』
「おかげさまでー」
 ミリも答える。
「でも全然刺客が来なくて拍子抜けしてるんです」
「それでジノグライは軽く困惑してるんだ」
『あいつらしいなぁ……』
 三人の輪に、その話題の主は入ろうとしない。話しながら、目の前の小川を全員が跳び越した。
『でも警戒は怠らないでね、待ち伏せとか絶対してると思う』
「ん……」
「ジノ?」
「その名で呼ぶなよ」
 ジノグライが落とした視線の下に、赤い布切れがあった。周りの黄昏に染まった緑とは不釣合いなほどの真紅が目に焼きつく。
「鉢巻っぽいよね?」
 ミリがそのワードを口にした瞬間、
「……えぇいクソッ!」
 その声と共に、ジノグライは足場が悪いのも構わず空いた森の中の間隙を縫うように駆け出していった。
「待って!」
「追うよ!」
『ありゃー』
 そして全員で森の中を駆け抜けていった。そしてハンマーが少しよろめいて転びそうになる。


 暫く走ると、潮の香りがしてきた。
 木々の間から、赤い光が少しずつ差し込んできた。ミリが駆け出す。ジノグライを追い越し、二人は後を追う。
 そして、長い森を抜けた先には、
「うわあーっ!」
「わぁ……」
「……」
 目の前には、水と共生しているような街の景色が広がっていた。
 街の中に川が流れ、ボートを使って様々な貨物や人が行き交う。石畳の街路や、古ぼけた街灯が独特の雰囲気を醸し出している。時刻はほとんど夕刻で、そろそろ日没の頃だった。人通りは少なく、寂れた雰囲気が漂うような街である。
 石畳が覆う道に辿り着き、新天地を見つけた航海者のような気持ちで、ミリは機嫌よく道の上でステップを踏む。背中に背負ったリュックサックが、跳ねるように動いた。ハンマーとジノグライと通信機があとからついてくる。
 一行は、日没までにマルシェの街に無事に辿り着いた。
「海の匂い……これが海の匂いなんだね!」
「海水浴とか行ったこと無いんだ?」
「寒い所に住んでて……そもそも旅行って子供の頃からそんなにしなかったし、その反動で今はこんな感じになってるのかな?」
 眩しい笑顔をこれでもかと輝かせて、大きな声でミリははしゃぐ。
「きっとこの先に海が広がってるんだよ!街の端まで行ってみようよ!」
「待ってよー!」
「こんなにステキな街なのに待てないよーっ!!」
「随分長くかかりそうだがな……」
『だよね』
 今度はミリが駆け出す番だった。夕焼けに染まる彼女の身体が軽やかに跳ね、潮風の吹く方向へ走り出す。その姿はあっと言う間に小さくなり始め、やれやれと息を吐きながら二人をミリは追いかけ始めた。

 マルシェの街は、ともすれば秘密基地や要塞と間違えられそうな街でもあった。様々な所に小さな路地や階段があり、迷路のような道をしているだけでなく高低差もそれなりにある。だから人はよく迷うし、目的地に辿り着かないことにイライラする人もいた。空中を浮遊してマルシェの街を散策したり移動したりする人も少数だが居た。それでも石造りの建物や町並みは、たとえ街のどこに居て何をしても、お洒落な景観を作り出すとして非常に人気の高い観光地となっている。いざやってきてから踏破の難易度に目を剥く人も少なからずいるようだった。
 そんな癖の強い街を、三人は走り抜ける。人が少ない夕焼けの街を舞台に、潮風を頼りにしてミリが海を探していた。通信機は『今夜のお宿とか探してみる~』と言って、別行動を取っているはずだ。
『お金の心配はしなくていい、私払うし』
「そりゃあどうも」
『あとこれ持ってなさい』
 その途端、指先程度の大きさの金属片がハンマーの手の中に転がり込んできた。
「なにこれ?」
『それを持ってると君たちの位置を私が離れてても知ることができるようになるから』
「へぇー」
 という会話を交わしたあと、通信機の姿はどこかへと見えなくなった。
 そんなことをハンマーは思い出す。ミリは相変わらず先頭に立って、二人を置いていきそうなほど進んでいる。
「この街って随分へんてこりんなんだねー、良い意味でだけどー」
 そう言いながら、ミリは後ろを振り向きながら石畳の上を跳ねる。
「待ってミリちゃん、危ないよ!」
「へ?」
 鈍い音がした。

「きゃッ!」
「うわっ」

「あぅう……」
『大丈夫?救急箱とかならあるよ?』
「いや、平気です」
「いっちちちぃ……」
「あっ……」
「あっ」
 ハンマーのものでも、ジノグライのものでもない、かといってジバのものでもない、フランクな声がミリの前方から聞こえた。
 目の前には、少年が仰向けで倒れこんでいた。少年と言う割には、ミリと大体同年代程度の雰囲気だった。背はこの年頃の男子にしては少々低めだろうか。細っこいが締まった身体をしている。薄手の白い長袖シャツを着て、下半身はカーゴパンツを履いている。ストレートな黒髪で、目を引いたのはそれを包む、彼が頭に巻いているバンダナだった。海の色を映すような、とても鮮やかな蒼色のバンダナだった。そして、その少年の後ろには、
「……」
 無愛想な雰囲気の幼女が佇んでいた。こちらは薄めの生地の白い半袖シャツを着て、硬めの生地でできたハーフズボンを履いている。彼女は金髪で、どうやら髪の癖が強いのか、ロングヘアーの端っこがくるくると緩くカールしている。そして、鼻の頭の部分には、そばかすが残っている。こっちに視線をよこしてくる。どことなく、睨まれてるような気持ちでもあった。
「大丈夫ですか!ごめんなさい!」
 そう言ってミリは少年の手首を掴んでぐいと引き上げる。少年の上体が起こされ、ミリと少年の目が合った。
「いやいや、いいんですよ……それでは……うん?」
 話題を切り上げようとした少年は、ミリのリュックに目を留める。
「旅の人?」
「そうですけど……」
 ふぅむ、と少年が唸る。
「今夜は遅いからもう外をうろつくのは危険でしょう、僕の家にあてッッ」
 気が付いたら後ろに立っていた少年の脚を、幼女の回し蹴りが襲う。対面してから二度も痛めつけられてしまったこの少年を、ハンマーは若干不憫に感じ始めていた。
「何するんだよ! 痛いじゃないかぁっ!」
「リフル兄、ナンパみたいなことはやめたら?」
「いやそうじゃないし! 善意だし! そんでもってアプリル! 『難破』なんて縁起悪い言葉を使わないでよー!」
「……すごく必死だしなんか間違ってるし」
 すっかり汗だくで反論しているリフルと呼ばれた少年と、つまらなそうにしているアプリルと呼ばれた幼女は、一行に会って早々ヘンテコな漫才を繰り出しているが、口ぶりから察するにはどうやらこのマルシェの街の一応住人ではあるらしい。それとなくジノグライは問いかける。
「何の用だ」
「あ、はい……僕らの住んでいる家はこの先のヴァッサー海岸に面している家なんですけれど、こうして会ったのも何かの縁でしょう、困っている人を見かけたら助けるように、って両親にも言われてるんです」
「それで!」
「え、ええ……決してやましい意味では無いんですよ」
「じゃあ……」
「狭いかもしれませんがお代は取らないので、もしよければ泊まっていってください」
「へぇー……!」
 ミリは目を輝かせる。ジノグライは我関せず。口を開いたのはハンマーだった。
「じゃあ……そうしましょうか」
「旅の話とかに興味があるんです!」
「なるほどぉ……でも大して歩いてないというか……まだ始まったばかりって感じで」
「これから……って感じですね」
「うん、そんな感じ……」
 リフルはハンマーやミリとの会話で忙しい様子だった。それを一歩退いた所から、ジノグライは見つめていた。夕焼けで赤く赤く染められた石造りの壁にもたれてぼんやりとしていると、アプリルがこっちをじっと見つめてきた。
「……」
「……」
 アプリルはジノグライよりも明るい蒼い目で、彼の義手をずっと見ていたかと思うと、視線を外し、あても無くそっちをフラフラ、こっちをフラフラし始めた。
「……何なんだろうな」
「ジノグライ?」
「?」
 ミリとリフルがまだ話していた。
「じゃああなたに悪意が無いことを証明してもらうために、こっちからもお願いしていいですか?」
「ぐっ……いいでしょう」
 初対面のくせに、ミリは人差し指を威勢よくビシッとリフルに向ける。
「この街で一番夕焼けが綺麗に見える場所に案内してください!」
「……なるほど……」

「とっておきの場所を知ってますよ!」




*To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 010- 縁の下には研究者、縁の上には暗躍者

 ジノグライたちの住むイニーツィオの街は、惑星の北半球に大きく跨る大陸の左、つまりは西にあった。元来、この世界の「街」は、人が何十万人と暮らせるほど広い人間たちの居住区域を指すが、それらの街はそれぞれの政府があり、それぞれに自治を行う。故に貿易はするが、他の街との政治的な干渉はさほど行われない。だが、他の街が経済的、天災などの危機に陥ったとき、戦争に陥りそうになったとき、利害の一致があった場合などでは、街は持ちつ持たれつ、助け合う関係にあった。無論、思いやりの心を持つ人間が議員になりやすく、戦争が始まる確率は極めて低くなっている。
 西にあるイニーツィオの街の北西には、ウィリディスという街、更に西には、マルシェという港街があった。大陸西の玄関口となっているこの街は、頻繁に貨物船や観光船などの船が出入りする。その向こうの更に西側には、大きな島があり、ノックスの街と、それに連なるカルム砂漠はその島の南東に位置していた。平たく言えば、ノックスとその周辺の様子を見たいのであれば、まずは北西のマルシェを目指す必要があるということである。
 大陸の中心を基準として惑星を両断するような経線を引く。すると、ノックスのある大きな島は、丁度その経線の真裏にかかるかかからないかというほどの位置にあった。それほど大きな大陸だし、それほど大きな島なのだ。汽車などの公共交通機関を利用することを考えなければ、島に渡るだけでもかなりの長丁場と化す。
 だが一行は、汽車を利用しなかった。

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「一般人が巻き込まれちゃうでしょ」
「……まぁな」
 ハンマーとジノグライが話している。ハンマーの手には、ジバによる書き込みがされた地図が握られていた。三人のこれからの進路を書き記している。イニーツィオの街を出発し、ウィリディス、マルシェに至る線が引かれ、ラゴスタ海峡に存在する島の群、アネモス諸島を抜けて、大陸の端に到着したら、そのまま進んでノックスの街を目指す、ということである。それ以外の村や集落などもあるはずだが、その地図の上では除外されていた。
 一行はウィリディスの街へ向かっていた。石で硬く舗装された道路が目の前に伸び、その両側は草原と林が広がっている。ミリは、通信機を介してジバに預けてもいいリュックをわざわざ背負って二人の少しあとを追う。
「あれだけ派手に立ち回ったあとなら、俺達がマークされるのも不思議ではない……と言いたいんだろ?」
「通信がどこに繋がってるか分かったもんじゃないし、ジバさんの通信機も傍受されてる可能性も否定できない……まぁこれはジバさんの受け売りなんだけどね」
「ネットワークってのはシエリアやジバが当たり前のように使いこなしてっけど、まだまだ世界には浸透していないからな……」

 世界は広い。卓越したテクノロジーや科学技術は、その気になれば数こそ少ないが探すことができる。
 だが、それが世界に伝播するまでには、長い時間が必要だ。そもそも、軍事技術から転用したものも数多くある中で、各街の政府が技術の導入に慎重になるのも無理からぬことである。古来より備わっていた魔術と並び立つ、人類の叡智の双璧となる可能性だって充分あり得るのだ。だからこそ、綿密に時間をかけて浸透させていく必要がある。
 ……そんな高尚なものを、シエリアをはじめとする周りの人々は湯水の如く使っていた。無論付近の住民には明かしていないが、仲間内で連絡を取ることにしか使えないのでばれようが無い。仮にばれてもテレパシー魔術を使っていると誤魔化せば良い。
 ただ、シエリアは魔術が使えなかった。
 ハンマーのような事例は少ないながらあるとしても、「魔術の才能が無い」という事例は極めて稀だ。その代わり、「天才」と呼ばれるような人間がこのタイプの人間だ。シエリアに備わったのは類稀なる論理的思考能力や記憶力、判断力である。だから複雑な機械も簡単に造り出し、使いこなすことができる。そんな彼女にミナギをはじめとする様々な人が救われたのだから、これも一種の魔法なのかもしれない。
 でも、彼女は多くの人間に当たり前に出来ることを、自分の力でこなさなければならなかった。だから自分の力で、今一行の傍らに浮いている通信機をはじめとする様々な通信機器を作り、皆とやりとりできるようにした。彼女の技術力は、三人の旅を裏から支えている。
 そんなシエリアの声が通信機を介して聞こえた。

『私です、シエリアですー』
「ミリでーす」
 ミリが呼びかけに応えた。
『ミリさんどうもー、それでですね、これからウィリディスの街へ向かうのでしょう?』
「はいそうですよー」
『私の診療所に寄っていくのをオススメします、なんか役に立ちそうな道具があったら持っていってください、私がナビゲートしますよ』
「ありがとうです!」
「というかシエリア……さんはなんか自転車とかそういうのを持ってないんすか」
 シエリアは健気な女性だから、自然と敬語になる。使い慣れてないせいでジノグライの敬語は崩れがちになる。
『今から作ります?』
「……」
 無いなら作る、が彼女の基本スタンスだ。

 それから太陽が少しずつ傾く。人々が間食を終える時間帯だった。
 三人分の自転車が調達される前に、一行はウィリディスの街に徒歩で着いた。
「シエリアさーん」
 今度はハンマーが彼女の名を呼ぶ。
『なんでしょう……』
 疲れた様子の声が応えた。
『いや……完成は当分先になりそうです……私も設計図を知らないものは流石に作れないし自転車は専門外なので……何かあったら困るかなって思って自転車屋さんで図面を入手できないかと思ったのですが』
『自転車屋さんは整備専門だもんねぇ』
 ジバの声が割り込む。
『だからシエリアさん曰く、完成は早く見積もっても明日以降だって』
「そうですか了解です、あと……頼みますから無理だけはしないでくださいと言ってください」
『承知したよーん』
『ありがとうございます……』
 通信は切れた。
「シエリアさんも大変なんだねぇ」
「あの人の体調を良くするためにも、私たちがシャキッとしましょう!」
「慣れない外出に難儀しただけだと思うんだがな……」
 基本的なオフの日、シエリアは方向音痴だ。

 ウィリディスの街は石造りの家も多かったが、木造の家も決して少なくは無かった。街路樹が街の道の傍に並ぶように植えられ、植え込みや街に配置されている植木鉢も少なくなかった。
 そしてウィリディスの街も、イニーツィオほどでは無いにせよ荒らされた痕がそこかしこに見つかった。ERTは取り払われていたものもほとんどだったが、少しは見かける程度に道に突き刺さっていた。あちこちの道路にヒビが入っているのを、人はそれとなく避けて移動している。
『この角を曲がると……あ、ありました!』
 石造りの二階建ての建物が、シエリアの診療所だった。両隣の民家に挟まれると狭い印象を受けるが、それが逆に敷居の低さを演出する、飾らない感じのする建物だった。入り口の扉の周りにはツタが絡まり、アクセントのようになっている。その扉に、『本日は定休日』と書かれたプラカードがさがっている。
 扉を開く。待合室の傍に階段があって、シエリアの自室へと繋がっていた。手術道具などは一階に置いてきてあるのだろう、プラスチックの机や椅子の前には、街を眺められる大き目の窓(通りに面している)があり、右隣には洋服箪笥が置いてあり、左側の扉は物置になっていた。
『この物置に何かあれば……』
 三人は物置の戸を開け、ごそごそとあら捜しをしだす。
「このロープとかいいかも!」
 最初に獲物を見つけたのはハンマーだった。かなり長いロープが、円を描いて巻かれている。
「なるほどな……俺たちの中に相手を引っ張り上げるような魔術を行使できる奴はいないからな」
 前にそうしたように、ハンマーは通信機の前にロープをかざして、ジバの家に送る。
 やがて、
「ふむ……救急箱か」
「あ! 見て! 小型のランタンがある!」
「マッチなんかもいざというときは役立ちそうだね……」
 そんな会話をしながら、物置の探索を手早く行っていった。
「ん?」
 ジノグライは古ぼけた冊子を見つけた。
「これは……」
 ぱらぱらめくると、既にセピア色に変色しかかっている写真がページの至る所に貼り付けられていた。黒髪の女子と、茶髪になりかかっている男子、それに黒髪の幼女が仲睦まじげに写っている写真をジノグライが見た途端、その冊子が掻き消えた。
『やめてーっ!!』
 シエリアが恥ずかしげに絶叫する。
『それはアルバムなのーっ!!』
 心なしかシエリアの口調が素に戻っているような気がした。換気のために開いた窓から吹き抜ける風が、クリーム色のカーテンをなびかせる。

 めぼしいものを見つけ終わると、一行は一階へと降りていった。
『でも時間はあるけど、早く行かないとねぇ』
「そうか……」
 ジバ、ジノグライと喋る。喋り終わったジノグライが、ちらりと太陽の方を向いた。日が傾いており、夕方と呼んでも差し支えないような空模様が広がりつつる。日の入りは近かった。
「夜までにマルシェに着けないと、不利な状況のまま戦うことになりそうだね、住民のみんなにもどう説明したらいいんだろう……」
「特にあいつら、真っ黒だからねぇ……」
『ここからなら既に舗装された道を通ってマルシェに行ったり、汽車を利用するという手もありますが……』
『汽車は使いづらいし、駅に辿り着いたり道を通ったりしても日没までに間に合うかねぇ?』
 今度はミリ、ハンマー、シエリア、ジバと喋った。状況は八方塞がりに近く、いいアイデアは思いつかずにいた。
「あ」
 そんな空気のままでミリが診療所の扉を開けると、壮年の男性が立っていた。ミリは彼に躊躇無く話しかける。
「すみませんっ!」
「おぅ、な、なんだ? その格好は……旅人さんか?」
「そうです、急いでるので、マルシェに行くための近道を教えてくれませんか? 知っていたらでいいので!」
「ふむ……そうか……」
 すると男性は、ジノグライとハンマーを品定めするように眺め始めた。
「……安全に行くなら舗装された公道が森に沿って西に伸びている。だがどうしても早く行きてぇんなら、西にある森から北西方向に森を突っ切るほうが――」
「ありがとうございました!」
「助かりました!」
 男性に最後まで言わせず、一行は西へ向かって歩を進め始めた。心なしか、早足になるのを抑えることが出来ない。そんな様子を、男性は呆気に取られたような目で見ていた。
「……何なんだろうねぇ、あの騒がしさは……」
 近くのベンチに腰を下ろし、男性は一人ごちる。
「何なんだ、といえばわしもよっぽど何なんだろうがな」


 男性は回想する。
「あのっ!」
 遠慮がちにかけられたのは、青年の声だった。
「おぉ……?」
 気の抜けた声で振り向くと、後ろには薄い赤髪、鉢巻を巻いて、腰にレイピアを吊っているのが特徴的な青年が立っていた。そして、何故かそのジャケットは煤や炎の痕がついているのが理解できた。
「もしこのあと、濃紺のジャケット、両手に黒い金属の義手をつけた人や、工事現場の作業着を着ている人がいたら、『この先に行くつもりなら、舗装された公道を通るのは危険だから、森を突っ切ったほうが早い』と知らせてやってくれませんか?」
「いいけどよぉ……」
「理由は聞かないでください、では!」
「あ、ちょっ、おい」
 途端に素早く動き出し、青年の行方は知れなくなった。
 あとには、やはり呆けたままで立ち尽くしていた男性がいるばかりであった。

 回想は停止された。
「一応……あの子の言ってたことは出来たわけだが」
 男性は溜息を吐く。
「つくづく彼らは、何のために戦っているのだろう」



「ちぇ……」
 モニターには、ジノグライ一行の様子が観察されている。まるで監視しているかのようだった。
「あの公道には行かなかったか……」
 そいつはそう言いながらカメラを切り替え、公道を見た。両手じゃ数え切れないほどの機械兵団が群れを為していた。それぞれが隠れていた持ち場に戻りつつある。
「公道にいたら、あのジノグライとかって奴を挟み撃ちに出来たんだがな……」
 再び画面が切り替わり、三人の様子が映される。
「マールスが壊される前にイニーツィオの様子が知れたのは良かった……だがあのジノグライという男、侮り難いな」
 画面が閉じられた。そいつはほくそ笑む。
「果たしてボクのもとまで辿り着けるのかねぇ?」




* To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 009- いっぱいのトーストに砂漠色の未来図をトッピングして

「この世界の人間にも属性ってのはあるよ」
「電波みたいな?」
 兄妹の会話をシエリアはのんびりと見つめる。
「いやほら、魔術を使う時ってさ、凍らせたり焼いたりテレポートしたりでは全然さ、ほら性質が違うワケじゃん?」
「そりゃあまぁ……」
「やっぱりこういうのも物好きな大人がいて、ガイドラインみたいなのが決まってるわけよ」
「ふーん」
「基本的には『炎』『水』『風』『地』がメジャーな魔術属性だね、それぞれを補佐するかたちで『雷』『氷』『草』『鋼』っていうのがあって、これらの理から外れるかたちで『闇』『光』がある」
「へーぇ……」
「基本的にはどんな属性の人でもバトルにおいてダメージって通るんだけど、やっぱり有利不利みたいなのはあるわけよ」
「……」
「で、君の属性は……なんだっけ」
「ぐー……」
「おい」
 つまらない長話に飽きて、ミナギは机に突っ伏したまま昼寝をする。おやつを食べ終わり空腹が満たされ、丁度眠気が支配してきた頃だった。すやすやと寝息を立てる彼女を起こさないよう、ジバは席を立った。モニターには青空とフライハイト草原が映る。三人の姿もそこにあった。
「一件落着?」
「そうみたいですね」
 ヒソヒソ話でジバとシエリアが会話を続ける。
「基地に潜伏していたマールスっていうのがマザーコンピュータを兼ねているという説が正しいなら、この付近一帯の機械兵団の動きは全て停止できているはずです……ERTは多分対象外でしょうけど」
「アレ多分タダの『モノ』だからなぁ……遠隔操作の範囲外にあっても全然おかしくない、警戒する必要がある」
「それはそうと、帰って来るみたいですね……『あの子』を連れて」
「どんな子なんだろうねぇ、活発で良い子そうだけど」
「お話を色々聞きたいですね」
 噂をすれば影、とはよく言ったもので、
「ただいまー」
「……帰ったぞ」
「おジャマしまーす!」
 三人分の声が玄関先に響く。ミナギが意識をぼんやりと取り戻した。


「それでですね、私がコンテナの中に入れられたのは、この辺りを、旅行、していた……むふ、頃、んんん……でした」
「へー……」
「食べながら喋らなくても」
「相当おなか空いてたみたいね」
 ミリの声は、詰め込めるだけ詰め込んだパンによって塞がれがちになっている。ジノグライとハンマーはテーブルの傍で軽口を叩きあっていた。やれ動きはどうだったの、遠目から見てもダサかっただの、色々言われているジノグライにも反省すべき点は色々あったので、反論はしない。ジバとシエリアはミリの話に聞き入っている。
「ぐぐぐぐ……」
「詰まってるし」
「水ありますよ!」
「ふー……」
 咀嚼してどうにか飲み込んだ。安堵の溜息が思わずミリの口から漏れる。赤くなった顔が元に戻った。
「ああ、失礼しました……」
「続き教えてよ」
「どこまで話しましたっけ……」
 小首を傾げる。
「あぁ!そうそう……」
 コップに注がれていた水を一杯飲んで、話し始める。
「この私は観光が趣味なんです。色んなところに旅行に行ったり、それを写真に撮ってみたり、旅先の美味しいものを食べたり……色々な世界を見てみたいんです」
「ふむふむ」
「私が攫われたのは、このイニーツィオの街に着いてすぐでした。列車を利用してこの街まで来て、しっかりとしたいい街だな、って」
「それは……どうも……でもしっかりとしているって何だろうね?」
 妙な表現にしばし困惑する。
「でも、この街を散策し始めてすぐの頃でした……突然機械でできた人に羽交い絞めにされて」
「!」
「それで、なんか……ガス?みたいなのを道の裏手で嗅がされて……あとはよく覚えてない……かな」
「むむぅ」
「ガス……ということは手荒なマネはしたくなさそう、ですね」
「コンテナに突っ込まれたあとのことは覚えてる?」
「うーん……正直記憶が曖昧で……でも薄暗い……いや、コンテナの中は満足に光源も無くて殆ど真っ暗闇でした……辛うじてコンテナの継ぎ目から見えるライトの灯りぐらいで、それも頼りないんですけどね」
「んん……」
「でも目覚めてからすぐに、ジノグライさんが見つけて、ハンマーさんが開放してくれたので、」
 ちらりと二人を見た。
「だから、あの二人には、ありがとうって何回も言いたいです」
「おーう、言ったれ言ったれ、ジノグライが恥ずかしがりそうなぐらいにね」
 あはははは、とミリがからから笑う。
「素直に笑うと可愛いですね」
 意外にもシエリアがそう言った。結局ミナギはソファーに寝っ転がり、すやすや眠りこけている。

「で、ジノグライよ」
「ん」
「これからどーすんのさ」
「……」
 ついてきた通信機が、ジバとジノグライの近くにふわふわ浮かぶ。
「街の怪異は、ERTを除けば殆ど収束したし、君はこのまま帰ってきてもいいぞ」
「……そう言われたくねぇんだよ」
「……ほう?」
「強い奴と戦って、強くなりたい」
「それがあーたの望みかいな」
「そんなところだ」
「強さばっかり追い求めて何になるってんのさ」
「相手は機械でも人間でも構わない、だが、命を賭した駆け引きは何よりも楽しい……それだけのこと」
「ふーん、じゃあ?」
「……気づいてるだろ?」
「……まぁね」
 ジバとジノグライは話し終えた。部屋のラックの中から、昨日の新聞を引っ張り出す。
「ほれ、この面見てよ」
 一面にはイニーツィオの街のこと――窃盗犯逮捕のニュースや、魔術による決闘の地区大会の開始を告げるニュースなど――が書かれており、ぱらぱらと数枚めくると、そのニュースは見つかった。
「なになに……『ノックス北部の町、謎の柱の襲撃』……ねぇ」
「わかる?この街の事例と酷似している」
「多分そういう町の近くには、敵さんの前線基地とかあるんじゃねぇか」
「どう思う?」
「俄然興味が湧いた」
「やっぱり……」
 ジバは溜息を吐く。
「でもノックスっていったら砂漠の街、その近くの集落……砂漠は見晴らしがいいにせよかなり苦労するんじゃない?学校とか大丈夫なん?」
「お前……俺が学校に行ってないの忘れてるだろ」
「そういやそうだったわ……」
「それにお前、仮に通ってても春休みだろうが」
「ぐぅ」
「だから数日家を空ける」
「許さん」
「マジで許してなかったら」
 ジノグライがデコピンで隣に浮かんできた通信機を弾く。
「こらこら」
 ジバは彼を止めるが、
「こんなもの作ってないだろう?」
 そうやって言い返される。
「まぁそうだけどもよぉ……」
「心配すんな、どーせくたばらねぇから」
「そうあって欲しいものだがな」
 隣で市販のクッキーをサクサク食べていたハンマーとミリ、ミナギは、どうやらすっかりと仲が良くなったようだ。

「で、結局」
 すっかり別の街に行く気まんまんな三人は、既に玄関先に出ていた。
「余裕が無いって感じたらすぐ戻ってきてよ、いざとなったら妹に超長距離移動の魔術を行使させて連れ戻すから慌てなくていい」
「そりゃー安心だ」
 感情の無い声でジノグライが答える。
「あと、ここから砂漠までってかなり遠いけど、問題ないの?」
「問題ないだろう、脚さえ無事なら」
「問題なのはその脚が潰されちゃったらどうすんだってことなのに」
「……」
「考えなしか」
「いざとなったら僕が背負うから問題ないよ」
 朗らかにハンマーが口を挟む。
「なるほど、なら安心だね」
「私も役に立てるように頑張ります」
「……二人はなんで旅に出たいんだい?」
 二人は暫し黙る。やがて、
「ジノを放っておけないから?」
「世界をもっと知りたいからです」
 それぞれの理由を確認したジバは頷く。
「じゃあ……一個だけ」
 ジバは人差し指を立てる。
「ミリちゃんは春休みが終わる前にきちんと冒険を終わらせること!」
 ふ、と息が漏れた。
「あははははは!」
 大声をあげて笑ったのはミリだ。
「春休みは始まったばかりです、きっと問題ないですよ」
「だといいけどね!」
「いやー、それにしても……よく笑うようになったなぁ」
「だってまるでジバさんの言い方がお母さんみたいなんですものー」
「おか……っ!!」
「あははははははは!」
 ハンマーの笑い声が重なる。こうなると言っても無駄だと分かってるから、ジノグライは頭をポリポリ掻いて、「ジノと呼ぶなって」と呟くだけに留めた。
「おか……あさん……」
 それをよそに、かなりショックだったのかジバはぷるぷる震えだしている。

「いってきまーす!」
 最後にハンマーの声が響いて、玄関のドアががちゃりと閉じられた。
「やーれやれ……」
 椅子にジバは腰を下ろす。シエリアが話しかけてきた。
「気持ちのいい子でしたね」
「全くだな……あの子ならなんとか支えてあげられるかもな、アイツを」
「んー……」
 言いよどむ。
「なんかよぉ……ジノグライの奴、生き急いでる感じがしてね、ちっと不安なんだね」
「あー……」
「アイツのことをきちんと支えてあげられる人間が、アイツには必要なんだ……今の状況なら、特にね」
「……」
「……」
 二人して黙り込むと、頬に両手をあてて唐突にジバが喋った。
「これが……子離れの出来ない親の気持ち……!?」
「ジバさんは拾ってきただけでしょう」
「さっさと仕事に戻りなさい、あと気持ち悪い」
「妹よ起きてたのか」
「監視なら私たちがしてますからー」
「ふぁい……」
 トボトボと階段を上がって、ジバは自室へと戻っていく。

「ってぇ……」
 青年の声が響く。その主の纏う衣服は、周りの緑とはあまりにも不釣合いな真紅だった。
「むぅ……この辺は茨なんかが張り出してて先に進みづらいな……」
 そう言うと、腰からレイピアを取り出した。茨に囲まれた道をざくざくと繊細に切り開く。
「犠牲は最小限でいいんだ……最小限に……」
 切り損ねた茨に鉢巻きが引っかかれば、
「ふんっ!」
 鉢巻きを茨から引っぺがし、ソキウス・マハトは進んでいく。
「バイクが使えないっていうのはなかなか大変かもな……」
 そのツアラーバイクは、エンジンが切られてソキウスの傍らにあった。
 彼は、森の中に居た。イニーツィオから一つ街を抜け、機械兵団の襲撃をかわし、住民や街を守るために数体を破壊した。その後なりを潜めるように森の中へと逃げ込んだが、いつの間にか獣道へと入り込んでいたらしい。彼の信条として、森を切り開いて進むことは許せなかった。
 だから、面倒でも茨を裂く程度に留め、バイクは押して進んでいる。邪魔な木々を全て焼き払えるだけの魔力があるにも関わらず、である。
「でも」
 考え直す。
「自分で歩くのはなかなか楽しいし、何か見つかるかもしれない」
 ソキウスはポジティブな男だった。だからこそ実力の差があるジノグライとも毎度毎度戦ってきたし、この状況下でもへこたれないで済んだ。小川を跳び越し、茨を避け、ツアラーバイクを抱えながらソキウスは暫く歩く。
 暫く歩くと、潮の香りがしてきた。
「これは……」
 木々の間から陽光が差し込む。それが見えたとき、ソキウスは思わず駆け出していた。それでも周りの植物を極力傷つけないように、ツアラーバイクも押しながら、でも心が逸る。
 そして、木の間の光と見ている景色が同化したとき、
「ほーぅ……」
 ソキウスの目の前には、水と共生しているような街の景色が広がっていた。
 街の中に川が流れ、ボートを使って様々な貨物や人が行き交う。石畳の街路や、古ぼけた街灯が独特の雰囲気を醸し出している。真昼時よりも過ぎた時間帯だったが、まだ街には多くの人が溢れ、賑わいを見せていた。
 まだ舗装されてない道をソキウスは歩く。石畳の密度は次第に増していき、やがて一本の道になる。それはあたかも、遠路はるばるやってきた旅人と、地元の人間の交流を表す縮図のようだった。ソキウスは、ふっとそんなことをぼんやりと思う。どこかでマーケットをやっているのか、パンの香りと果物の匂いがする。
「バイクで走り甲斐のありそうな良い街だな」
 潮風に吹かれながら、ソキウスはそんな事を呟いた。バイクに跨る。潮風が、もう一度彼の巻いている鉢巻を強く揺らした。




*To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 008- ミリティーグレット・ユーリカ

 ナイフが弾け飛んだ。
 くるくる放物線を描いて、離れたコンテナまで落ちるその前に、少女はマールスの第二撃を警戒して距離をとった。そのまま両腕を上下に重ね合わせ、小さく充填した冷凍ビームを次々放つ。それぞれ床、床、コンテナ外壁、床に着弾し、五発目がマールスの鋭い左腕に命中した。一瞬だけマールスの動きが止まったその隙に、懐からナイフを取り出し猛然と走り出し、一度開いた距離を一挙に詰める。
「はっ!」
 凛々しい声と共に、ナイフの一閃はマールスの胸を貫くかと思えたが、
「ぎゃぅ!」
 情けない声と共に、マールスの一閃が少女を吹き飛ばす。
 例によって爆風は少女の肢体を襲い、転がした。ハンマーが駆け寄り、入れ替わりでジノグライが飛び出す。
 蒼いレーザーは、少女の氷と違い火薬などに当たってしまえば誘爆してしまう恐れもあった。コンテナに当たらないよう、一発、二発、三発、四発、五発、六発、七発と飛ばす。
 ところが、マールスは右へかわし、左に避けながら右腕を剣から戻し、また左に避け、コンテナを右腕で押して大きく右にステップを踏み、そのまま転がってかわし、左腕でレーザーを受け流し、もう一度左腕を振るってレーザーを弾き飛ばした。
「ちぃッ」
 全弾避けられたジノグライは舌打ちをする。嘲笑うようにマールスが言葉を放った。
「甘いんだよ」
「!?」
「お前のレーザーは直線的だ、光学兵器の軌道は同業者である俺たちからすれば非常に読みやすい」
「……」
「トリッキーさがな……足りないんだよッ!!」
 そうかと思えば左腕の剣を大きく素振りしたかと思いきや、濃い紫色に刀身が発光し、次の瞬間には発光した残像が空間に迸った。宵闇を融かしたような半月形の衝撃波は、ジノグライ目掛けて加速する。
「なにっ!?」
 驚愕に目を見開いた。マールスの攻撃は爆発だけでは無かったのか……!!
 鳩尾を強く殴られたような感覚、吹き飛ばされる感覚、そして頭を打ちつけ、脛を強か打ち、ジノグライは転がっていく。ハンマーと少女が、入れ替わりのようにマールスと対峙し始めた……

 どうしよう……!
 僕もジノグライとあまり乗り気じゃなかったけど特訓をやってたから、今の状況がどれほどピンチかって分かる気がするんだ……
 さっきマールスは言ってた、光学兵器の軌道は読み易いって……
 だからジノグライは例えレーザーをどんどん撃てても、全部避けられちゃうかもしれない……ってことだよね、
 あとあの子……そういえば名前聞けてなかったな、あの子は氷魔術の小技は揃ってるみたいだけど、もう一押し、パワーに欠けるというか……
 かといって僕が戦おうとしても……あいつは遠くから空間を爆発させてくるに違いない!
 僕の能力は相手の懐に潜り込まないと有効に作用しない……怪力っていっても結構つらいし、あの子のナイフを無断で借りていくわけにも……いや、今は一大事だし……かといって勝手に使われたら……ああ!
 ……とにかく、今のままだと僕たちは絶対にジリ貧だ、なんとか……なんとかしないと……

 こんな時に限って、ハンマーの思考はぐるぐる回りだす。頭の中の情報は、いつも見ている世界とはまるきり違う。照明は薄暗く、硝煙と氷の混ざった匂いはハンマーも嗅いだことが無かった。いつもと違うというパニックが、ハンマーを徐々に侵食していった。
「ヘルメットさん!」
「!?」
 声のしたほうに少女はいた。
「僕の事……?」
「受け取ってください!」
「はっ!」
 はっしと受け止めたそれは、彼女の携帯しているナイフのうち一振りだった。
「非常事態です! 大切に……してくださいね?」
「わかりました……!」
 あくまでも凛とした声に、ハンマーは濁りかかっていた意識を取り戻したような気がした。
 勝てないと思わなきゃ、何事も始まらないと信じて。

「ぐぅっ……」
『気分はどう?』
「最悪」
『でしょうな』
 寝起きでジノグライとジバは漫才を繰り広げる。
「こうしちゃいられねぇんだ」
『任せてみたら?』
「生憎と俺にそういう選択肢は無い」
 二人が戦う現場に、走り出しながら言う。
「俺は容赦はしない」
 通信機からそれを眺めるジバは、複雑な感情を抱いた。
 ワンマンプレーでいいのかと問いたかったが、既に戦場と化した地下に彼の身体は躍り出ていた。
 溜息を吐き、補佐をしに追いかける。

「ふ……ぐぬ……」
 飛んでくるナイフと冷凍ビームを冷徹に弾き飛ばし、たまに懐に潜り込んでくるハンマーの一撃は横っ飛びにかわしながら、マールスは三人の敵を相手にしながら退く気配をまるで見せなかった。向こうからの攻撃が止めば、爆破魔術や剣の残像を飛ばして彼らを近づけさせず、ピンチになればコンテナの陰に隠れるという周到な手も使った。これは意志を持たない通常の機械兵団には出来ない芸当である。
(そう)
 マールスは口に出さず思考する。
(人間と同じように会話ができ、思考を巡らせられるのもあの方のお陰なのだ)
 前から飛んでくる一丁のナイフを残像を飛ばして弾き返す。ナイフが飛び、打ち勝ち、前方の少女に飛ぶ。彼女は冷凍ビームを放ち、これを防いだ。
(だが違う、人間は我々に蹂躙される運命にあるとあの方は仰られた、俺はただ任務を遂行し、お役にたつのみ……)
 ハンマーが大金鎚を放り捨て徒手空拳で向かう。速度は格段に速くなっていたが、これを冷静に頭を動かし避ける。放たれた蹴りを左腕の剣で防ぎ、たまたま当たった長靴に大きく傷をつけた。作業着のズボンに当たっていたら仕留められていたはずだったが……とマールスは苦々しい顔をした。
(そういえば)
 ふと思い当たった。
(蒼い電撃が飛んでこないが……)
 ジノグライの攻撃を警戒する。軌道が読みやすくとも、不意打ちされたら終わりなのだ。
(奴はどこにいる?)
 薄暗い地下に、更に暗い領域が現れた。
「!?」
「もらった!」
 コンテナの陰に隠れたマールスを、ジノグライはずっと見張っていたのだ。
 コンテナの山の頂上から。
 両腕を組み、電撃を充填させながら、脳天に金鎚のように高度を重ねて義手を振り下ろした。
 マールスは咄嗟に避ける。避け切れなかった。
「がふっ……!」
 破壊されたのは右腕だった。その刃がまるごと砕け、バラバラになる。義手の高度が右腕に打ち勝ち、義手のほうの被害は殆ど無かった。スパークした電撃がバラバラな右腕を焼き焦がし、変形の内部構造を赤黒く目立たなくさせている。念のためにジノグライは数歩下がった。
「どこのどいつだ?トリッキーさが足りないなんて言ったのは」
「危ない!」
 マールスが不敵に微笑むのと、少女の声が飛ぶのは同時だった。
「しまっ……!」
 轟音が炸裂する。
「ぐぼ……ぉっ!」
 今日一番の衝撃をどてっぱらに受けたジノグライは、まずリノリウムの床に大きくバウンドしたかと思うと、少女の身長ほどに大きく跳びはね、力なく背中から落ち、ぐったりと止まった。相手を弱体化させた快感に酔いしれたジノグライは、そのせいで爆破魔術をマールスが行使できることを忘れていたのだ。
 右腕を亡くしても、マールスは戦いを諦めようとはしなかった。人間なら鮮血が迸るはずの断面から、バチバチと火花が断続的に上がるのがより一層不気味でもあった。
「さあ、あいつはすぐには戦いを続けられないだろう……大人しく向き合え」
 溢れる唾をハンマーは飲み込む。なんだかんだ言って、ジノグライの戦闘技術を信頼していた。決定打になり得なかったとはいえ、右腕をもいだ彼を改めて強いと思った。ゆえにここで退いては何かを失う気がした。
 ここでマールスが無事な左腕をハンドガンに変形させて確実に二人を仕留めにきた。鉛弾が連射され、ハンマーは手近なコンテナ群の陰に隠れる。
 鉛弾が弾切れを起こす音がした。入れ替わりで少女が飛び出し、床を冷凍させる。そのまま別のコンテナの陰に隠れた。遠目には分からなかったが、マールスは用心のために足の裏をスパイクシューズと同機構に変形させた。
 目視できなければ爆破魔術の行使は出来ない。コンテナの中に何が入っているかは機械の記憶容量をもってすれば記憶できたが、戦闘というアブノーマルな状況下で手荒な真似が出来ないのはこちらも同じだった。
「そこか!」
 案の定、先ほどの戦法を真似て少女がコンテナの頂上から通信機を伴って飛び出した。
「二度同じ手にはかからん!」
 爆破。
 通信機がバリアを張って矢面に立つ。衝撃を受け、コマのようにその身体がくるくる回る。
『ひぃーっ』
 ジバの情けない上に緊張感の無い声が答えるが、当のマールスは当てが外れた顔をした。
 そして少女が地上に到達したが、不審なことに、たとえば上から踏みつけたりせず、マールスと適度に距離をとった通路に着地した。直後。
 口笛が聞こえた。
「?」
 思わずマールスが振り返った先にはハンマーがいて、間髪入れずにナイフを投げつけてきた。いつの間に持っていたのかと驚愕する間もあらばこそ、左腕の剣で打ち払おうとした。
 がり、と鈍く音が響く。
「馬鹿な……」
 少女のナイフ投げは比較的軟弱なパワーだった。だが繊細で狙いは百発百中だった。だがハンマーのナイフはコントロールを犠牲にしストレートに投げることで、凄まじいパワーを乗せることに成功している。
 よって、マールスの左腕に、ナイフが突き刺さった。
 そして少女は、それを見越していた。
「はっ!?」
 ふと冷たい感覚がマールスの背中を襲った。気づいたときには、全てが遅かったことを悟った。
「しま……った……!」
 少女の冷凍ビームを背中側からまともに喰らったマールスは、既に凍り始め、身動きがとれなくなっていた。腕の変形も出来ず、氷の塊の中に身体を埋められていった。ハンマーが大金鎚を装備し、通路の向こうからマールス目掛け走り去る。
「よくもジノを……!」
 ジノグライは失敗した。だが、それを最大限に糧に出来るというのは、どれほど素晴らしいことだろう。
 目と鼻の先。
 大金鎚がマールスの身体に刺さった。人間なら、心臓の部分。
 オイルと火花が弾けたのが見えた。マールスが白目を剥いたのも見えた。
 少しだけ。

 直後、大爆発が起こった。軽いコンテナを吹き飛ばし、ハンマーと少女が床に転がる。
 視界がブラックアウトした。

「うぅ……」
『やれやれ……』
 どれほどの時間が経ったか定かではないが、目を覚ましたハンマーに向けてジバの声が上空から降ってきた。ライトの照度を最大にして、すっかり電灯の消えた地下三階を明るく照らしている。
『マールスはこの地下基地のマザーコンピュータのスイッチを兼ねていたらしい、電灯が消えたのもそれが理由……でもよぉハンマー君、君無鉄砲すぎやしないかね』
「ぐ……」
『ジノグライなら遠距離からレーザーで狙撃していたに違いないし、君ならまたナイフを投げればよかったのに……マールスの自爆装置が作動したらしくてあれから暫く気絶してたよ』
「自らの手で下さないと……」
『意志は尊重するけどね、私がまた守ってなかったら今頃大変だったよー』
「ごめんなさい……」
『立てる?あの子を起こして、ジノグライを抱えあげなきゃ』
「分かりました」
『まぁ勝てたんだからそこは凄いぞ、一旦おうちに帰ってくるといい』
「ありがとうございます!」
『む……』
 ジバはマールスが自爆した地点に何かを見つけた。
『水晶……?』
 それにしては、綺麗な緑色がかった六角形にカッティングされた宝石だった。宝石かどうかも定かではないが、明らかに人の手が加わっている。
『……』
 それをジバは、ひとまず自宅に回収することにした。宝石が消える。

「やっと太陽を拝めた……」
 心なしかジノグライはぐったりしていた。ナイフを全て回収し、リュックも取り返した少女は、対照的に目が輝いていた。
「あんなに凄い人だったなんて……驚きです!」
「いやいやそんな……ハハハ」
「もし良かったら、私を連れてってください!」
「え?」
 ハンマーは聞き返す。
「女の子を危険な目に遭わせるわけにも……」
「勝手にしろ」
『いんじゃない?』
「えー……?」
「決まりですね!」
「えー!?」
 適当に決まってしまったことにハンマーは驚きを隠せないが、
「自分の身ぐらい自分で守らせろ」
『まぁいざとなったら守ってあげたら?』
 また適当なアドバイスを貰った。ハンマーは複雑な気分だったが、ジノグライはこれっきりだと思っていたから余計に複雑な心境だった。勝手にしろと言うべきではなかったのだろうが、訂正も面倒なので諦める。
『そういえば、まだ名前を聞いてなかったね』
 通信機越しにジバが言う。
『私の名前はジバだよ』
「僕はハンマーって呼んでね」
「……ジノグライだ……お前は?」
 名前を聞かれることで、一人前になれたような気がした。とびっきりの笑顔で答える。

「ミリティーグレット・ユーリカ……ミリって呼んでください!」




*To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 007- 囚われし戦乙女は氷のように煌いて

「……え?」
 三度目の轟音こそ聞こえたが、熱と衝撃をあまり感じないことにハンマーは当惑していた。未だ仰向けで転んだ状態で、無防備にも程があった筈なのに、である。ふと目の前を見たところ、
「あ……っ!」
 前にいたのは通信機だった。ジノグライの方に行かず、こっそりついてきたのだ。薄白く光る球状のフィールドが通信機を包み、後ろにいたハンマーを小規模な爆風から防御していたのである。
『バリアがついてないとでも思ったかー!』
 ジバの楽しげな声が聞こえる。
『ハンマー君、聞こえるかい?』
「は、はい!」
『ん、元気でよろしいぞ……戦ってるのは君たちだけじゃないことをよく覚えておくように! 私たちもいるからね』
「あ、ありがとうございます……」
「お前ら何をボソボソと喋っていやがる……!」
 ハンマーは飛び起きた。そして、未だマールスが遠くから爆破魔術を行使してくるにも関わらず、大鉄鎚を拾い、大きく振るった。その目的は、
「!!」
 凄まじい金属音とともに、何かががひしゃげる音がした。間髪入れずに、二度目、三度目、四度目の金属音が響く。
 事ここに至って、マールスは爆炎を振り払った。細々とした小部屋の視界が晴れる。ところがそこには、
「……いない……」
 闖入者と通信機の姿は無かった。転がっていたERTも既に消えている。そして背後でハンマーを塞いでいた鉄板が、凄まじい衝撃を受けて内側から破り去られていた。あったのは人型大の大穴と、金属の瓦礫のみである。
「……逃げたか」
 金属の駆動音が、マールスの体内から聞こえる。
 いつの間にかその左腕は変形し、ただの左腕から鋭い刃になった。大きなナイフのようないでたちのそれは、あくまでも黒一色の無骨な姿をしている。
「逃げたことを後悔させてやるぞ……」
 そのまま、空いた穴から階段へと走り抜けていった。

「……!」
「……」
 面倒くさい、と思った。
 名も知らない囚われの少女を助けてしまったら、また何か面倒な目に遭うことは容易に想像がつく。英雄とか王子様とか何とか言われて擦り寄ってくるのも、ジノグライには疎ましいだけでしかなかった。よく見ると、額にまだ新しい傷がついているから、ここに放り込まれたのは割と最近の事なのだろう。
 そしてこの娘の髪の色のことは、ジノグライは一応知識として知っていた。

 クロスジーン。
 この世界の人種は、髪の色によって決まるらしい。黒髪の人間もいれば、金髪の人間もいるし、薄桃色の人もいる。
 ところが大昔の人間は、これらの髪色を、「より明度が明るいか」「より黒か白のどちらに近いか」のような区別で分け、正確なガイドラインを設置し、人種として定義付けたようだ。例えば灰色の髪をしてても、黒に近ければ黒髪系人種、白に近ければ白髪系人種と呼ばれる。金髪は白髪系、青髪なら黒髪系、という具合。
 その名残は、現代社会のあちこちで見かけるし、事実昔は、黒髪系人種と白髪系人種の大規模な抗争なんかもあったらしい。今は人種による差別は全くといっていいほど見なくなり、街角の喫茶店で同じテーブルで黒髪系人種と白髪系人種の友人同士が笑いあう光景も、今では見られるようになったという。ちなみに、この世界で髪を染めるのは、人種を偽ったとしてそれなりに重い罰を受ける。
 そんな二つの人種が、揃って忌避する人種がいた。
 黒髪系も白髪系も、全世界の人種はだいたい50%ずつくらいだ。だが何を間違えたか、ごくたまに小数点以下二桁目が必要になる程度の確率で、「二色」の髪色の人種が現れるらしい。誰が呼び始めたかは知らないが、人々はこれをクロスジーンと呼んだ。未だに黒髪と白髪の人間しか確認されていない。
「出る杭は打たれる」の故事はここでも通じてしまうようで、白髪系も黒髪系も、こぞって彼らを疎んだ。過剰に暴力を振るい、蔑みの目で嘲った。もちろんこれも、前時代に比べたら差別はだいぶましになったほうだが、それでも老人の中には未だ差別的思考を持っている人もいる。
 そして目の前の少女は薄汚れてこそいるものの、
「ぅ……う……」
 綺麗な白髪と黒髪だった。
 左半分が白髪、右半分が黒髪だった。

「……」
 とはいえ、ここで見捨てて探索を続けるのも、中途半端だと思った。ここをハンマーに見つかっても、何と言われるかは想像がついた。ひとまずはこの鉄棒から伸びる手錠を断ち切らないことには何にもならないと感じたジノグライは、手錠を目視したが、
「……何だこれは」
 ジノグライは呟く。ただの合金の手錠で縛られていたと思っていたが、その金属は仄白く発光しており、ただの金属には見えなかった。金属そのものも頑丈そうだし、義手ぽっちでは破ることは出来ないとジノグライは思う。ここでハンマーがいたら良かったが、今はいない。なまじ少女に期待をさせてしまった後悔が、丁度少女を縛ってある鎖のようにジノグライを締め付ける。背を向けて歩き去ろうとしたそのとき、
「助けてーっ!!」
「この声……!」
 数年来の付き合いなのだから、声の主がハンマーだとすぐに分かった。すぐに辺りを見回して、黄色く塗装されたヘルメットと、薄緑色の薄汚れた作業服に身を包んだ姿を見渡す。見つからない。見つからない。
「いた!」
 階段から駆けて来たハンマーは、大金鎚もERTも両方持っていた。それでもスタミナを切らすことなく、ジノグライの元にまで駆け寄ってきた。だがかなり息が切れている。
「ジノグライ……階下に敵がいたよ」
「そうか……」
「相手は急に爆発を仕掛けてくるロボットだった……でも顔があって……普通の人間みたいだったよ」
「ふん……爆発……いきなり空中に即効性の爆弾があるようなもんか」
「そう、そんな感じ」
『そんな感じ』
「お前は来るなよ」
『つれないな……んっ』
 通信機越しのジバの声が違和感を覚える。
『その子は……誰よ』
「あぁー……」
 ジノグライは答える。
「コンテナに居た……んだよな……でも手錠があってな……俺では」
「じゃあ僕に任せて」
「……チッ」
 舌打ちをする。女の子にいい所を見せたかった、とかそういうのでは無い、単純に力に差がありすぎることに、ジノグライは腹立たしい思いがした。

「ふんっ!」
 手錠が破壊される。接合部分が剥がれ、少女は両腕の自由が利くようになった。鎖のパーツがぱらぱら弾ける。
「……ぅう、ん……」
 少女は溜まっていた土埃を掃い、顔を大きく振る。ツインテールが揺れる。
「……はー……」
 出た声はやはり幼かった。年の頃はハンマーと同じぐらいか、それとも少し下ぐらいだろうか。よく見るとそれなりに美しい少女だった。私物であろうリュックがコンテナの内部に転がっていたことに今更気づく。多分、旅行か何かだろうか。
「えっと……た、助かり……ました!……まずは、ありがとう……ございます」
「いやいや、無事で何よりです」
「ふん……」
 小さなエンジン音。
「おい!後ろだ!」
「「!!」」
 幸いにもこのコンテナ周辺は見通しがよく、敵の侵入もすぐに分かった。黒い影にも似た人影が後方に現れ、けたたましい排気音を鳴らしながら急接近していく。大きく薙がれた鋼鉄の刃の軌跡に三人の姿は無く、既に伏せたあとだった。人影はそのまま上を滑るように飛んでいく。エンジン音が途切れ、人影が着地した。
「貴様は……」
「マールス!」
「お前か……」
 ジノグライ、ハンマー、マールスが言葉を三者三様紡ぐ。少女だけ黙ったままだ。
「そして……お前……脱出までしたか……クソッ」
「……」
 少女に目を向けたマールスは吐き捨てるようにいう。
「まあいい」
 両腕が瞬時に変形し、同じ形の鋭い剣へ姿を変える。
「お前らをここで片付ければ済むことなのだ……」
「……!」
 怯えたのは一瞬だった。少女は立ち上がる。その目は闘志に燃えていた。
「あの手錠……魔力を封じることができるんです、もっとも、私の魔術では手錠には太刀打ちできませんでしたけどね……」
 彼女はさっきよりも流暢に口を利くようになった。
「でも、開放された今なら……」
「ごちゃごちゃと喚くな」
「!」「!」「!」『!』
 爆炎が三人と一機の傍で唸った。通信機は上に、ハンマーは後ろに下がり、ジノグライが左方向に伏せ、少女は右方向に――もといたコンテナの内部に入るような形で――転がって避難した。炎が晴れる。ハンマーは大金鎚を装備し、ジノグライは義手を構えて、少女は、
「えっ」
「何!?」
「……!」
 何処から持ってきたかは知らないが、多数のナイフを既に構えていた。両手に二本ずつ、しっかりとその手に握られている。
 それを横目にジノグライはマールスに向かって走り出す。右腕を振り下ろし、マールスに構えて、電撃を発生させ、一気に打ち込む。
「ちぇいッ!」
 ところがマールスは剣と化した左腕をその軌道に合わせて電撃を打ち払った。それらは散り散りになるが、ジノグライが距離を詰め寄る。
 左フックをマールスがしゃがんで避け、下から上へジノグライの身体を大きく削ごうとする。これをジノグライが肘、ひいてはその下の肘当てで斬りこみを防御する。ある程度耐え、大きく腕を上に上げて衝撃と勢いを殺す。だが剣と化した右腕はジノグライの脇腹に迫っていた。
「っ!」
 咄嗟に義手で防御する。火花が散った。そしてジノグライは後方に倒れこみ、ギリギリで右腕の突きを回避する。そして前方に転がっていく過程で、マールスの左腕がリノリウムの床に突き刺さる。
「よし!」
「!?」
 ジノグライに気をとられている間、マールスはハンマーに気づかなかった。万力のような怪力が、マールスの肩を締め付ける。
「下がれ!」
 ジノグライはハンマーに言った。
「え?」
 次の瞬間にはマールスの右肩で爆発が起こった。たまらずハンマーは吹き飛ばされる。威力は弱いが、怯ませるには充分だった。
 ここでマールスは両腕をニュートラルな両手に戻し、一度ハンマー達には脇目も振らず走り出した。ジノグライを避け、少女を通り過ぎ、ブレーキをかけた。
 そこにはハンマーが持ってきたERTが転がったまま放置されていた。
「しまった!」
 後ろを振り返りハンマーは鋭く叫ぶ。コンテナに囲まれた通路は幅が狭い上に、コンテナに阻まれて左右への回避が難しい。こんな狭い場所で直線状に鋭く大きく伸びるビームを撃たれては、回避は困難だ。
 ジノグライのレーザーではコンテナはどかせない、ハンマーの怪力も、何個ものコンテナを一気に動かすのは不可能だし、そもそも中身が分からないものを乱暴に扱うのはマイナスだと思った。どんな爆弾が積まれているかどうかすら分からないのに、かなり大きなリスクを背負うことになるのである。そうこう模索しているうちにも、マールスは他の機械兵団がそうしているように、肩にERTを乗せて接合させ、着々と発射の準備を進めている。
 次の曲がり角まで走って避けようと二人が駆け出そうとした瞬間、まだ動いていなかった少女がマールスの前方に出た。
「あっ!?」
 そしてそのまま、あろうことかナイフを捨てたではないか。
「何だと!?」
『嘘……』
 三者三様驚愕する。無防備な状態の少女は、まるで「撃ってください」と言わんばかりの雰囲気を湛えていた。ところが彼女は両手を前方に突き出す。
 光の点がERT周辺に瞬いた気がした。発射の合図だ。放たれたのは大きな光線。
 ところが、少女の周りに一瞬何かが煌いたかと思うと、手から白金と見紛うばかりの光線が迸った。ERTから出た光線とぶつかる。
 何かが蒸発していくような音がする。やがて光線のしっぽは途切れ、静寂が戻る。
「これだから閉じ込めておきたかったんだよ……ったく」
 マールスは吐き捨てると、ERTを床に転がし自由を得た。

「な……」
『うん……』
「なんだろ……あの子」
 ハンマーは驚きを隠せない。ビームを残さず平らげてしまうような魔術とは出会ったことが無い。
「考えられるのは」
 ジノグライが、腕を剣に変形させたマールスとナイフで互角に切り結ぶ少女を見て呟く。
「彼女の魔術が氷属性なのでは、といった所だろう」
「氷かぁ……」
 戦闘中だったが、それにも関わらずハンマーの羨ましげな吐息が漏れていた。




*To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 006- 地下基地、轟音、コンテナ

 ガシャン。ギュルル、ギュルル、ガチッ……

 無機質なプレートは、ハンマーが拾ったERTを鍵としてその正体を明らかにした。正三角を描く窪みにERTの爪はピタリと嵌り、ドライバーの要領で回転させると、機械音と共に複雑な記号を描く線が現れ、ERT底部に似た図形になった。ERTをどけると、気の抜けたぷしゅー、という音を立てて自動的に開いていく。人ひとりの肩がギリギリ入れる大きさだったが、二人はなんとか身体を滑り込ませた。重たく大きな大金鎚も、どうにかなった。しんがりに通信機が入っていく。
 すぐに脚がついた。二人が辿り着いた空間は、
「おぉ……」
「うわぁー……」
 プレートと同じ、白磁の色をした空間だった。陽の光が差し込み足元ばかりが白いが、最低限の灯りしかなく薄暗い。ぽつぽつと蛍光灯が天井に設置され、無菌室のように飾り気の無い施設内が一層寒く見える。二人の立っている足場は大きな柱になっていて、小さな螺旋階段がついていた。それは家屋にして一階分相当の螺旋を描き、下のフロアへと続いている。
 途端に背後から機械音がする。勝手にプレートがガシャンと閉じられ、陽光が閉ざされた。
「!」
 薄暗闇が空間を支配する。静寂が満たされ、あたりがしんと静まり返った。
「……」
 目が慣れてくると、一階分相当の螺旋階段を下りた先のフロアの光景が少しずつ見えてくる。大規模なスポーツを行うスタジアム……とは行かずとも、知識として知っている学校の体育館を二つ繋げた程度の広さはあった。そしてその四方には、
「見て!あれ!」
「……むぅ」
 ハンマーが声をあげ、視線を促す。視線の先には五列に並んだ白磁の直方体のボックスが、こちらを四方から取り囲むようにして合計二十個置かれていた。薄暗闇の中では、奥の方まで続くその全容を垣間見ることは出来ない。目測だが、ボックスはジノグライたちと大体同じ高さのようで、奥の方向への長さはかなりあるように思われた。
 そして、二人はゆっくりと、何処かに張り巡らされているかもしれないセンサーに気を使いながら、慎重に螺旋階段を降り始めた。
 結論として、センサーは張られておらず、下のフロアまでは簡単に辿り着いた。
「なんかヤダね……」
「試されてやがるな……何にしたって出口は塞がれてるんだから打つ手は無いが」
「僕に任せて!」
「やめろ」
「?」
 首をかしげたハンマーに、ジノグライは説明する。
「この地下基地はまだどうせメインのコンピュータが生きているんだろう……それを停止させてからでなければ、今度こそ袋叩きに遭うんじゃねぇか」
「なる……ほど……」
「……!」
「どうしたのジノ」
「その名で呼ぶな」
 階段を降りて、ボックスを覗く。
「こんなに早く見つかるとは意外と無用心だな?」
 ボックスには、理科実験室の試験管を置いておく試験管立ての要領で、爪を上向きにしたERTが大量に設置されていた。整然と並ぶその様はある種壮観であったが、所々歯が抜けたかのようにERTが無いことがあるので、恐らく街の破壊に使われたのだと容易に想像できる。
 簡単に剥がせない様に、片方しかない手錠のように半円状の金属ストッパーがERTを固定している。何かしらの小さなメーターがつけられ、低い電子音が共鳴して現実離れした金属の森林のような光景が目の前に広がっている。
「このストッパーを外すとまずそうだな……自爆装置やセンサーでも取り付けられていたら悲惨なことになる」
 ジノグライがひとりごちたその瞬間、バリバリ、バキィという破壊音が鳴り響いた。
「……あ?」
「えっと、壊せた!」
「馬鹿!!」
 ハンマーの手にはむしり取られたであろう、さっきの一瞬までストッパーだった砕けた金属の残骸がハンマーの手袋すらしてない素手に握られていた。平時なら怪力に震え上がっても良かっただろうが、そんなことをしている暇はなく、ジノグライはハンマーを制し、息を殺して刺客が訪れるのを待った。
 ところが暫く経っても、ロボットは一体として現れなかった。
「……せめてそいつは持っていったほうがいいだろう」
「そのつもりだったんだけどな」
「だが気をつけろ?絶対に中には何かしらのエネルギーが注入されてると見て間違いない、落として爆発することも充分ありうる話だ」
「……爆弾みたい、ブラックボックスみたい……」
「吹っ飛ばされたくなけりゃせいぜい慎重にな」
「そう決まったわけじゃないのに」
 だが戦闘における彼の観察眼を頼りにしているハンマーは、奪取したばかりのERTを確かに握り締めた。

「サンドイッチでも送る?」
 ジバは出し抜けにそんなことを言った。
「どうして?」
 ミナギは問い返す。
「いやー」
 モニターには二人の映像が移っていた。暗くてよく見えないので、自動で通信機のアンテナの先端にライトが付くようになっている。
「頑張ってるから、なんかしなきゃーって……」
「やめたほうがいいんじゃないですかー」
 シエリアがのんびりと言う。
「何で」
「だってジノグライ君はご飯食べるとき手袋なんでしょう?」
「あーそうか……手袋だけあげれば」
 きな臭い兄の視線に、ミナギは気づく。
「単に実験台を探しているだけでは?」
「……妹よ何のことかな?」
 キッチンには非常に不器用な手つきで、リンゴジャムとバターのサンドイッチが乗っかっている皿が置かれていた。おまけに、
「いやー、アップルパイみたいなの作りたくて?フライパンに油引いて加熱したらめっちゃ熱くなってああなるとは思わなかった……」
 どうしようもないほど焦げていた。ぶすぶすと音が立つほどに強烈に焼いたらしい。
「すぐ裏返さないからだよ」
「熱に怯むのはいただけませんねぇ……」
「う、うるさいぞ」
 ジャブ程度の非難をかわし、再びモニターに目を移した。焦げ臭い匂いとリンゴの香りを、流石に通信機で送ることは出来なかった。

 香りとは無縁の地下二階を二人が探索していると、
「階段があるな」
「うん」
 ボックスが置かれていた地下二階を巡回すると、恐らく地下三階へと続く階段を発見できた。金属で出来たステップを、かつん、かつんと音を響かせながら二人分の足音が下方向へ落ちて行く。やはりセンサーの類は配置されておらず、すぐに地下三階へと辿り着いた。
「まだ階段があるか……」
 降りてきた下には、また地下四階へと繋がるであろう階段が続いていた。
「地下四階はお前に頼んだ」
「不安だなぁ……」
「心配はしてない、お前が閉じ込められそうになったら」
 言葉を切って、大金鎚を見る。
「それでもなんでも使って乗り切れるだろう」
「うーん……」
 ジノグライは答えを聞く前に、とっとと姿を消していた。かつん、かつんと響く一人分の足音が、またしても階下まで響くのを聴きながら、ハンマーは憂鬱な気分になった。居所が知られたらタダでは済まないのは百も承知だ。
 だが、敵の心臓部は、意外なほど呆気なくこの闖入者たちの入場を許した。
 もっとも、許したのは闖入するまでだったのだが。

「……名を名乗れ」
 地下四階。あったのは小部屋だけで、見たことも無いようなサーバーやディスプレイ、キーボードがジャングルを作っているような小部屋だったが、そこには一人の青年がいた。いや、青年と呼ぶのは不正確かもしれない。何故なら、
「あなたは……誰?」
 機械のように若干ノイズがかった声。ゴムのつなぎのようなものを着た、隅から隅まで黒一色のその姿は、今まで戦ってきた機械兵団の一味であることを容易に想像させた。腕にはこまごまと機械がつけられてあり、足首にも手首にも皮膚の色は全く見当たらないが、彼が一般機械兵団のそれとは違うと思われる理由のひとつとして、
「俺は『マールス』と言う」
 第一に言葉を操り、意思疎通が可能だという点。第二に自分の名前をきちんと名乗る点。第三にそいつ自身の顔面が、一般人のそれとほとんど変わらないと言う点。フルフェイスのヘルメットでは顔が覆われておらず、一般的な青年と同じような顔つきをしていた。しかしながら、どことなく空ろな目をしている。身長はジノグライとそう変わりは無い。特徴的ではなく、パッと見ただけならすぐにその顔つきを忘れてしまいそうだ。
「マールス……あなたが街を破壊しつくしたのですか……?」
 一歩前に出た途端、地下三階への階段が、床から飛び出した厚い鉄板によって封じられた。
「俺がやった」
「!!」
「そしてその総意はもっと高位の存在であるあの方が知っている……俺はあの方に救われたのだ」
「……」
「この破壊には充分それに足る利益があると俺は信じている……」
「いたずらに全てを壊してしまうことが正しいなんて認められません!」
「どうかな? だったら、」
 マールスと己を呼んだそいつが指を向ける。ハンマーの装備に指を向ける。
「俺を倒すことは意味のある破壊なのだろう? 俺を壊してみろ」
「……」
 ハンマーはERTをリノリウムの床に慎重に転がした。不利益になるとは分かっていたが、一対一なら勝手を知っている武器に頼ったほうがいい。
 だっ、と地面を蹴り、両手でしっかり大金鎚を握り締め、大きく横方向に振りかぶり、マールスの胴体を大きく薙いだ。
 そのはずだった。

 ゴウッ、と大きな音と閃光が生まれて、網膜が焼かれるような感覚がする。熱い。身体が吹き飛ばされ、爆破の果てに大金鎚が吹き飛び、ハンマーの身体は空を切り、厚い鉄板にぶつかった。呻き声をあげながら、ハンマーは少しずつ少しずつ立ち上がる。
 自分を襲った音と閃光の正体が、二度目の轟音ですぐに分かった。
「まさか!」
 ハンマーは気づいた。轟音が発生する前に、空間に火種が生まれていることを。それが文字通り爆発的に広がり、意味どおりの爆発を形作っていたことにも。
 つまり、
「あなた……魔法が使える……!?」
「だったらどうした?」
 マールスが、大きく腕を振りかぶる。
「くたばれ」
 三度目の轟音が、地下四階を響かせた。

 時間は少し戻る。
「……」
 ジノグライは地下三階にいた。広さは地下二階に負けず劣らず広い。そして彼の周りには、
「……悪趣味だな」
 大小様々な色や形のコンテナが並べられていた。埠頭で目にするような、荷物輸送用のコンテナである。だがその大きさは、両手で抱えられるようなものから、ちょっとした倉庫に迫る大きさのものさえあった。無造作に積みあがったりしているが、積んだコンテナが崩れた痕跡は無い。コンテナは絶妙に位置取りされていて、それらが置いてない部分で形作られた道路は、交差点や三叉路を描いていく。
「……」
 ジノグライはそんな異様な空間をひたすら歩いていく。たまにコンテナを凝視して、その義手でノックをしたりすることで、何が入っているかを探ろうともしていた。
 足音がリノリウムの床に静かに反響する。ジノグライの革靴はほとんど音は出ないが、やはり細心の注意を払っていた。
 次の瞬間、ドン、と何かがぶつかる音がした。
「!!」
 ジノグライは後ろを振り向く。今まさに音がしたコンテナを通り過ぎた所だった。しげしげ眺めると、水色の塗装が為されたコーティングで、高さも幅もそれ相応にあった。そのコンテナからは、強い衝撃を一点に吸収したかのようなぶつかる音がした。コンテナの中に入っているのは、とジノグライは考えた。生物兵器だろうか、それとも、ただの平凡なだけの機械なのか、にわかには判断に苦しんだ。
 ぺたりと、ジノグライはコンテナに耳をつける。すると微かにではあるが、人間のものである荒っぽい息遣いがそこにあった。
 コンテナの隅のボルトやナットを、ジノグライは壊し始めた。ネジが融けたり、ナットが転がる中、ようやくコンテナを覆う扉が外れた。前方に、民家の扉ほどもある大きさのコンテナの板が、バン、と落ち込んだ。
「……」
「……!!」
 『それ』を後ろに下がったジノグライは見た。
 コンテナの中に居たのは女子だった。幼さの残る顔立ちをしており、ツインテールの髪の毛を歯車を模した飾りのあるヘアゴムで縛っていた。蒼い瞳の色で、薄汚れたチェックのスカートに、これまた土埃や傷がチラホラ見える長袖パーカーの袖から伸びた両腕は、手錠らしき道具で拘束されていた。コンテナ内部に橋の様に架けられた鉄棒から鎖が伸び、鉄棒と手錠を繋いでいた。
 戸惑いが隠せないまま、二人の視線は交錯する。階下から、轟音が聞こえてきた。




*To be Continued……

SEPTEM LAPIS HISTORIA 005- 隠蔽工作とリンゴジャムの味

「ただいまー」
「おーっと、お出ましか」
「おかえりなさい!」
 軽やかなスニーカーの音が、玄関で跳ねる。長い黒髪と、鮮やかなピンクのパーカーがすぐに目を引く。赤いフレームの眼鏡をかけた少女が、玄関先に立っていた。その傍らに、辞書ほどの厚さの本がふよふよ浮いていた。表面には魔道書然とした複雑な装飾が為されている。
「よっす」
「おかえり妹よ」
 ジバの妹、ミナギだった。買い物の中身が入った紙袋をテーブルの上に置く。そのテーブルの上に、見慣れないディスプレイが置かれているのにミナギは気づいた。
「……なにこれ」
「監視カメラ」
「ほんと?」
「ホント」
「そんな趣味あったのね……妹やめよ」
「待って」
 パーカーのフードをむんずと掴んで引き止める。
「シエリアさんもいるんだからさ、な?」
「……待って!映像がおかしなことになってません?」
「……ふへ?」
 マヌケな声を出した後、ジバはディスプレイに目を走らせる。ディスプレイには、焼け焦げた石畳が映っていた。
「ありゃ、ジノグライの義手の出力を上回ってる火炎じゃないの?」
「一体誰がこんなことをしたのかな」
「そりゃあ敵さんに決まっておろう」
「……はぁ??」
「……そういや話してなかったよな……いいよ、教えちゃる」
「というかさっきから道に落ちたり刺さったりしてるアレは……」
 ミナギがシエリアに目を移す。当然その傍にあるERTに目がいった。
「……なぁに?」
「兵器です」
 シエリアが決然と言う。
「また兄貴の仕業じゃないでしょうね……!」
「またってなんだ! またって!!」
 浮いていた魔道書が空中で開きぱらぱらページがめくれる。演出だが威圧感があるのでジバは思わず萎縮した。
「待て待て落ち着け落ち着くんだ」
「……」
 魔道書が閉じる。
「……言い訳を聞こうか」
「信じろ!!」
 慌てるジバをよそに、ミナギがディスプレイを見る。
「ジノグライとハンマーが襲われてる……」
「まぁ彼らなら乗り切れるよね」
「酷いことを」
「で、今その兵器……ERTって呼んでね、の研究をシエリアさんがやってて、彼らの補佐をしようということでさ」
「へぇ……『エリンギをリンゴと食べる』の略?」
「絶対美味しくない、というか突っ込む所を間違えてる気がする」
「エリンギとリンゴなら買ってきた」
 紙袋から取り出す。
「……うん、話を聞け」
「というかこのERTなんだけど」
 大きな音がディスプレイから飛んできた。ロボットがERTを介してビームを打ち出したところである。
「……事情が分からないけど、とにかくERTを解析すればいいの?」
「うん」
「そういうことか……」
 ミナギは再びシエリアに目を向ける。
「……ERTがどう兵器として使われてるか、ディスプレイをずっと見てたシエリア姉ちゃんなら分かると思う……話して?」
 そこでシエリアはジノグライが襲われた経緯を細かく語り始めた。

 ミナギとシエリアが会話を交わす。
「うん、だいたい分かった」
「……え?」
「あの兵器に常識は通用しないと思うの。常識に囚われない挙動をあのERTがしているとしたら?」
「うーん……」
「あくまでも想像にしか過ぎないんだけど……」
 ミナギが目を伏せる。

『「『有機物を取り込むことでリロードが完成している』としたら?」』

「……やっぱりアイツも同じことを考えていたか」
「どゆこと?」
 既に二人は郊外を抜け出し、そこに程近いフライハイト草原の端に辿り着いていた。通信機からは未だ声が漏れ出していて、ミナギの考察も駄々漏れとなっている。
「俺もミナギと同じように考えていた」
「ふむ?」
「……ERTが放り投げられたときに、ERTは地面に爪を下にして刺さっていた。あの後俺は地面を見たが、不自然に地面は抉れていた……それで思ったんだが、『あれは地面の有機物を吸収した跡』なんじゃねぇか、って」
「……」
「例えばあの地面の跡に熱した鉛を流し込んで冷えるまで待ったら、丁度お前の持ってる大金鎚と同じような形の構造物が現れるはずだぞ」
「えっ!?」
 思わずハンマーは自分の大金鎚を確認する。
「……ERTが刺さって、周りのものを吸い込んだ……?」
「そういうことだ」
 ジノグライは言った。
「無機物で同じ芸当ができるかは分からないが、今まで考えてきた仮説は説得力があるとは思わんか」
「説得力はあるよ?でも……なら……」
 ハンマーはフライハイト草原を見回した。
「そんな物騒なものがたくさんたくさん転がってるってことだよね……」
 フライハイト草原には、ERTが数十単位で突き刺さっていた。
「そういうことだ」
 がりがり頭をむしりながら、ジノグライは賛同する。
「とりあえず来たはいいんだが……あのプレートが嘘だと言える明確な根拠は何処にもない、そして巧妙にブラフを仕掛けておくか? と考えても、そんな面倒なことはしないはずだ。ロボットの身体から出てきたあのプレートは、製造元を示したものであろうというのが一番納得できる話だ」
「そうだね……」
 ハンマーが再び目の前の草原に目を移す。
「……ねぇジノグライ」
「なんだ」
「……本当に手がかりなんてあるのかな……」
「……さぁな」
 数十のERTが突き刺さっている以外は、フライハイト草原には低木も茂みの類すら無かった。低い草だけが生えているだけの、ただの草原である。誰かを讃えて造られた銅像すらなく、そこそこ起伏がある丘の頂上にも、展望室のような人工物は無かった。観光名所としてはパンチに欠けるが、たまに憩いの場として訪れる人がいないわけではなかったその草原は、ERTの侵攻を受けて無人の荒野と化している。
 ジノグライたちが住む街――名をイニーツィオという――の南東に位置するフライハイト草原は、更に南東に進むと海に面する。港が存在しないのは、地形の関係上、急流が頻繁に起こることと、切り立った崖になっているからだ。誰によって管理されてるか分からない灯台は、申し訳程度に昔からあった。
「可能性があるとすればもはや地下しか無いのは分かるな?」
 ハンマーが頷く。
「……ここに来てまで動いてないのは、俺があいつらを警戒しているからだ……この草原に足を踏み入れた途端、四方から奴らが沸いて出てくる気がしてならない」
「そうだね……でも行くしかないでしょう?」
「出来ればすぐさま帰りたいが……」
 言葉を切った。
「面白そうじゃねぇか」
 腕に蒼い火花がパチパチと散る。
「どれだけあいつらをスクラップに出来るか……自分の力を試せるわけだ……行くぞ」
 ハンマーに声をかけた。
 彼はちょっと困った顔をする。そして慎重に、草原に足を踏み入れた。

 空が裂ける。
「!!」
 突如として、ワームホールのような空間から、四体のロボットが現れた。草原に落ちたそばから、一体目がジノグライの手早いスライディングを受けて転がる。ERTにぶつかるが、傷は浅いようだ。その間に二体目が鉄拳を二つ合わせて、ジノグライの脳天を後ろから割ろうとする。それをジノグライは、まだ自由な両腕で受け、そこからレーザーを打ち込みロボットの腹と両腕とカメラアイを焼く。後ろに倒され、沈黙する。
 大してハンマーは、三体目を難なくハンマーの一撃で葬った。ところが、
「えっ……嘘……」
 草原の土は柔らかく、大金鎚が刺さってしまった。そうこうしてる間にも、四体目が蹴りを見舞う。屈んで伏せて咄嗟に頭突きをロボットの腹にかましても、あまり効果は無いように見えた。プラスチックのヘルメットと金属がかち合い、ロボットは少し後ろによろめいただけに留まった。脳筋という言葉こそあれど、実際に頭をパワーアップさせるわけにはいかないのだ。
「……」
 先に倒れた一体目の頭をレーザーで粉砕したあと、ジノグライはハンマーの戦いを見ていた。身のこなしは軽くなってるし、相手の蹴りやパンチを避ける動作も様になってきている。だがジノグライには引っかかることがあった。
「これだけERTがあるのに何故使おうとしない……?」
 ERTの威力は先ほどまざまざと見せ付けられた。あんなビームや火炎をまともに喰らえばおしまいだ。言い換えれば中~遠距離間の有効な飛び道具を放てる砲台ということになり、戦力は大幅に上がる。代わりに機動力と近接戦闘力は犠牲になるらしいが、そこはERTを肩から剥がせば良い話だ。
 同士討ちを避けるためか?とジノグライは思ったが、それにしては徹底的すぎると思った。そもそもご大層な人工知能を背負ってるんだから、同士討ちなんかは起こることも無さそうなのに、とも思った。
 ある結論が浮かぶ。
 ジノグライは、
「……悪く思うな」
 ハンマーを置き去りにして、駆け出した。こちらを見て驚愕するハンマーの顔は、一瞬で後方に消え去った。それでもロボットの徒手空拳は止まない。かわす。拳を打ち込む。避けられる。それを尻目に、ジノグライは駆けた。
 駆けた。駆けた。そうして、次の瞬間。
「やはり」
 八体のロボットが、さらに空間を切り裂き落ちて来た。その配置は、まるでジノグライを取り囲むように。
「伏せろ!」
 今日の最高記録を叩き出す声の大きさで、ジノグライが叫んだ。その声の先に、ハンマーもいた。
「!?」
 わけが分からないまま、草原に伏せる。そしてハンマーが伏せたことをいいことに、ハンマーの目の前のロボットは、脚を大きく後ろに下げ、勢いをつけてハンマーに蹴りかかろうとした。
 次の瞬間には、そのロボットの上半身は割れ砕けていた。がらがらと崩れ落ちる金属の塊から、ヘルメットが辛うじて身を守ってくれた。

「……え?」
 わけの分からぬまま草原に伏せ、わけの分からぬまま目の前の標的を破壊された。だがその真意は、分かってみればごく単純だった。土に埋まった大金鎚を掘り出し、土埃を払う。
「……無事か」
「ジノグライ……」
 ジノグライの周囲に、八体分の焼け焦げたスクラップが散乱している。彼は円を描くようにレーザーを放ち、周囲の機械兵団を一掃したのだろう。
「あのねぇジノグライ! 勝手に」
「分かったから落ち着いて話を聞け」
 腕を前に出し、待ったの合図をする。やむなくハンマーは沈黙し、ジノグライは喋り始める。
「お前に襲いかかったロボットも、ERTを使わず全員徒手空拳で戦っていた。推測だが、光学兵器や火器の使用によって、」
 ジノグライが草原を蹴る。
「地下の隠蔽が暴かれるのを避けたかったんだろうさ」
「じゃあ、この近くに入り口が!」
「急くな、まだそうと決まったわけでは何一つ無い」
 ジノグライは自分の下に広がる草地を見る。
「暴かれるのを避けたかったあいつらの言いなりになんかなってやるかってんだ」
 突然、ジノグライは足元にレーザーを打ち込んだ。一発、二発、三発……そして八発目のとき、
「……ビンゴ。ここに立った途端一斉で攻撃を仕掛けて注意を逸らそうって作戦だったんだろうが」
「わぁ……」
 赤く焼け焦げた土が剥き出しになり、中心には白磁のプレートが収まっていた。
 そのプレートは洗濯機ほどの大きさの円形で、中央には正三角を描くような窪みがあった。

「……ところでシエリアさん、妹に用があるんだっけ」
「あ、そうでしたそうでした……その通りです」
「え、なになに?バッグをゴソゴソしてるけど……」
「へへ、いつもありがとうございます」
「わぁ……やったー!ジャムだよ!しかもリンゴの!」
「喜んでもらえて嬉しいです……!」
「あっ、丁度私も」
「えっ?何ですか……?」
「バターとお茶を買ってみた!あとでティータイムとしゃれ込みましょ?」
「いいですねぇ!食べましょう」
「お昼ごはんは外で食べてきたのか?」
「そういうことになるかな、でも楽しみだな」
「これはもしや……アレですか……」
「そうです……お菓子を作るところから始めましょう……」
「上手くいくかがちょっぴり不安ですが……」

「……あっ、マズいマイクの電源を消すの忘れてたな……今までのあんなことやこんなことも全部ジノグライに聞こえてるかも」
『聞こえてるぞ』
「はぅ、……で?」
『どうやら敵の前線基地らしきものを発見。これより攻略する』




* To be Continued……